Runaway Love
 午後からは、古川主任は、新人二人を連れて、近辺の郵便局や銀行を回るそうだ。
 仕事を覚えていくにつれ、必要になってくるのだから、今のうちにという事らしい。
 あたしは留守番をしながら、次に何を教えるのか、簡単に書き出す。
 ――外山さんや、野口くんに教えていた記憶をたどり記入していくが、自然と手は止まった。

 ――……野口くんは、ちゃんとやってるんだろうか。

 先日の電話では、以前と同じ口調だったけれど、直接顔を合わせた訳ではないから、隠されていたらわからない。
 あたしは、大きく息を吐く。

 ――……まだ、心は決まらない。

 今は、ただ、自分が本当に何をどうしたいのか、ハッキリさせたいだけ。

 そのためには――むしろ、一度、ちゃんと先輩と会った方が良いのだろうか。

 先輩と会って――棘が抜けるとは思えないけれど、それでも、自分の奥深くに刺さったそれと、一生付き合う覚悟を改めてできれば……少しは、何かわかるのだろうか。

「何をぼうっとしているんですか、杉崎主任」

「え、あ、す、すみません」

 不意にかけられた声に、ビクリと背筋を伸ばしてしまう。
 振り返れば、古川主任が眉を寄せながら、あたしの脇を通り過ぎていた。
 二人の新人も、それぞれ席に着いている。
「お、お帰りなさい。二人とも、道は覚えられたかしら」
「あ、ハイ。そんなに遠くなかったです」
「あたしは方向音痴だから……ちょっと心配です」
 それぞれの反応に、あたしは微笑む。
 方向音痴、と、言った方――大田原さんは、困ったように笑い返してくれた。
「じゃあ、簡単な地図、メモしておいてね。自分でわかればいいから」
「ハイ」
 彼女は、すぐに自分専用のメモ帳を取り出して、せっせと記入し始めた。
 その素直さは微笑ましい。
 終わるのを待ちながら、あたしも、自分の書いていたメモを見返す。
「――杉崎主任、よろしいですか」
「あ、ハイ」
 古川主任に呼ばれ、あたしは立ち上がると、向かいの彼の席のそばに立つ。
「この新人教育の最終は、それぞれが独り立ちできるようにと思うのですが、今の状態では高望みでしょうか」
 地味に嫌味じみた言葉で尋ねられ、あたしは、少しだけ強い口調で返した。
「高望みかどうかは、人それぞれでしょう。何をもって、独り立ちというのか、古川主任の基準を教えてください。できる限り、それに沿って教えていきますので」
 一瞬、場の空気がピリついた。
 新人二人は、心配そうに、だが、口も出せず、自分の席からこちらの様子をうかがっている。
 だが、古川主任は、口元を上げて返した。
「ああ、そうですね。では、私の方で来月以降、二人に振る予定の仕事を書き出しておきますので」
「――わかりました。ですが、あまりプレッシャーのかかる振り方はやめてください」
「それこそ、人それぞれですね。――まあ、あなたのアドバイスも頂きたいので。向き不向きもあるでしょうが、私よりも、あなたの方が理解できるでしょうし」
 あたしは、一瞬、目を丸くした。
 だが、次には、力強くうなづいて返す。
 ――あくまで、仕事はできる人なのだ。
「わかりました」
「――お願いします」
 初めての、彼の、お願いします、に、あたしはたじろぎそうになるが、気を取り直してうなづいた。

 ――仕事は仕事だ。

 ――みんなの事を考えている場合ではない。

 ここで、あたしがやらなければならない事を、全力でやるだけだ。

 あたしは、そう、気を引き締めながら、教育計画を練り直した。
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