Runaway Love
「――おい、いい加減……」

 すると、早川がしびれを切らしたのか、あたし達の方へ大股でやって来る。

「――来ないで」

「杉崎」

 あたしは、早川をその場に留めさせると、篠塚さんを見上げて言った。

「――あたしが何を言ったって、あなたの良いようにしか取られない。そんな人と、会話はできないわ」

 そう言い切ると、彼女の横を通り過ぎる。

「何だぁ、つまんなーい!じゃあ、認めるんですねぇ、二股――ああ、もしかして、もっと相手いるんですぅ?」

 あたしは、唇を噛みしめて足を速める。
 四方八方からの視線を感じながら、できる限りのスピードで正面玄関を出た。
 そして、正門を出ると、はあ、と、大きくため息をついてしまう。

 ――これは、明日には呼び出しか。

 彼女は、派遣とはいえ、受付。会社の顔と同じだ。
 取引先との雑談に花を咲かせているのは、全社員が見ているくらいだ。
 その彼女が、話題に上げたという事は、信ぴょう性はともかく、各社に広まっているだろう。

 もう、昨日、現場を見た時点で、こういう風にしようと決めていたのだろうか。
 見た目以上に、狡猾なようだ。
 
 ――いくら、否定しようと、もう手遅れ。
 そんな女が勤めていると広まったら、会社のイメージダウンも避けられない。

 自然と、歩く速度は落ちていく。

 ――……この前から、ゴタゴタしてるのは、みんな知っているし、逃げ場は無いか。

 アパートが視界に入る前に、ついに、足は止まってしまった。


 ――……辞めようか……。


 会社に迷惑をかけてまで、貫き通すほどの事ではない。
 部長の出向準備で忙しい時に申し訳ないけど――……きっと、このご時世、すぐに代わりの人は見つかるはずだ。
 
 ――あたしがいなくなれば、済む事じゃないかもしれない。

 でも、平気な顔をしていられる程、あたしは図太くはない。

 悔しいけれど――……でも、辞めれば、早川との接点も無くなるはず。
 アパートは引っ越そう。元々、会社に近いから住んでいるだけなんだし。

 ――負けたくないのは確かだけれど、辞める他に、手段は思い浮かばない。


 ――……二十九歳にして、無職か。


 あたしは、アパートにようやくたどり着くと、ため息をつく。
 それと同時に、涙がこぼれ落ちた。

 ――それが、悔しいのか、悲しいのかは、よくわからなかった。


 夕飯を簡単に済ませ、バッグに入れっぱなしのスマホを充電しようと取り出すと、メッセージが届いていた。

 ――具合、良くなりました?

 岡くんからだ。

 あたしは、一瞬迷ったが、一応開いてみる。
 今日は、課題が終わらずに、バイトも休まなきゃいけないそうだ。
 もちろん、あたしのところに来られるはずもない。
 それだけで、一安心だ。
 最近、立て続けに部屋に押しかけられているから、気が休まらない。
 そんな事を考えていると、続いて、また、岡くんからメッセージ。

 ――週末、空いてますか?

 一瞬、ドキリと心臓が鳴るが、深呼吸をして、平常心を保つ。
 無視してしまいたいが、一応、社会人。
 子供のようなマネはできない。

 ――ごめんなさい。

 ――これから、仕事が忙しくなるから、連絡来ても返せない。
 ――会うのも、難しいから。

 それだけ送信して、スマホを伏せた。
 嘘はついていない。
 仕事が忙しいのは確か。

 それに、こんな状況で、会えるはずもない。

 心の中で、言い訳ばかりを考える。
 なのに、浮かぶのは、いろんな表情を見せる、岡くんの顔。

 ――……アンタのせいなのに。

 そう思いたい。
 でも――思えない。

 誰かのせいにしたくて――でも、結局は、自分が逃げていたせいだとわかっているから、できなくて。

「……自業自得、か」

 自嘲気味に浮かんだ言葉は、一瞬で消えた。

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