曇りのち晴れ、SWAN航空幸せ行き〜奥様はエリートパイロットともう一度愛しあう〜

第四話

 三月十三日。
 理人が調査委員会に上申したと教えてくれた日から一ヶ月経過した。

「調査は遅々として進んでないらしい。やる気のない外部顧問があれこれ言い訳をしている」

 苛立つ理人を見て、申し訳なくなる。

 理人やミカはそれぞれ機長として、ブリーフィングの際に、何度も「問題があったら教えて欲しい」とクルーに訴えてくれているらしい。

「だが。うすら笑いを浮かべるだけで、なにも言ってこない」

 それはそうだろうな、と思う。

 誰かが煽動しているのだと、希空も考えている。
 しかし、希空という女性共通の敵を叩くことを躊躇すれば、今度は自分が叩かれる。
 それが女社会だ。

 だから、理人やミカがいくらクルーに訴えてくれても、希空側についてくれる女性を探すのが酷というものだ。

 しかも男性が一人の女性を庇えば庇うほど、その女性は女社会から孤立する。
 自分だって、理人が誰か一人の女性をエコ贔屓していたら、平静でいられない。

 

 希空が努力しても、あい変わらず彼女を名指しにしたクレームが入り続けていたが、ある日。

「生意気なのよ、グラハンのくせに!」

 叫び声とともに頬に衝撃がきた。
 寝れなくて貧血気味だったから、踏ん張ることができず希空は床に崩れ落ちた。

「ハ! か弱い女のふり? ずうずうしいのよ、デカい女が!」

 罵倒されているらしい。しかし、頬が熱くジンジンしていて意味が頭の中に入ってこない。

「なにをやってる?」

 聞き慣れた声。
 希空がぼんやりと、声のした方向に目を向ければ、恋しい男性がいた。

 理人が女性達の輪を破り、駆けつけてくれた。
 抱き起こされる。
 理人は小さく呟いた。

「頬が赤く腫れている。殴られたのか」

 彼女は目を見張った。
 理人が怒っている。

「機長! 邪魔しないでいただけます?」
「これは女性が対処しなければいけないことですので!」

 女性達が理人に苛立った口調で声をかける。

 ……彼女達は、理人の苛烈としか表現できない目の色と、氷点下のような冷気に気付かないのだろうか。

「飛行機を飛ばす仲間を複数で囲んでいるとは、どういう状況だ?」

 平静な態度で理人が声をかけているのに、希空の肌にビリビリとしたものが伝わってくる。

「機長が気にされることはありません。私達はただ、この人を注意しているだけですから」

 女性達はあからさまに顔を強張らせていたが、理人を追い払おうとする。

「複数で一人を囲んで『注意』なんて穏やかな状況にはとても見えないが」

 理人は冷たい声で指摘する。

「この人がっ、CAPの彼女だからって思い上がってるんです!」

 興奮していた女性陣も負けていなかった。

「そうです! 最近この人の仕事の時、必ず乗客からクレームが出るんです!」

「わかった。いつの便の、どこの席の客から、どんなクレームの内容だ? 教えてくれ」

 理人が聴取すれば、女性陣が目に見えてたじろいだ。

「っそれは、」

「シップのドアを閉めた以降は、地上走行も含めてPIC(Pilot In Command)が指揮をとる。もちろん、責任もだ。問題が起こっているのならば、どうして運行責任者である俺に報告しない? それになぜ、会社を通さずスタッフに直接抗議しているのか、教えてほしい」

 理人はあくまで冷静に質問するが、女性陣は感情を昂らせた。

「そんなの、一柳CAPが彼女をエコ贔屓するからですよ!」

「俺が? スタッフの一人を贔屓した覚えはない。彼女をどんな風に贔屓したか、すまないが具体的に説明してもらえないか」

 落ち着いた物腰の理人に対して、女性は地団駄踏まんばかり。
 
 まずい。
 希空はヒヤリとする。

 パイロットとクルーの仲を悪化させてはいけない。
 それには希空がクルーから訴えられている罪を認めなければならない。

 ……自分がグランドハンドリングという、天職とも言える仕事を手放せば、それで済む。
 けれど、やめたら自分になにが残るんだろう。
 
 最初の会社での苦い思い出が蘇る。
 容姿のことを持ち出されても、言い返せなかったこと。
 仕事を一人前になるまで踏みとどまれなかったことも、記憶を苦くしていることの一つ。

 また、嫌になって大好きな仕事を手放すの? こんなにも誇りを持ってやっている仕事なのに。
 希空は散らばっていた書類を握りしめた。

「だって私達が一柳さんに上申したって、この人が恋人だからって見てみぬふりをするでしょう?」

「誰が相手であっても、事故につながることを看過することはない。しかし。今の言い方だと未来形であって、まだ俺が贔屓をした事実はないな?」

 理人はあくまでも冷静だった。しかし、希空を支えてくれている手にすごい力が入っている。

 女性陣がぐ、と詰まった。 が、すぐに喚き返す。

「でも、お客様からクレームが来ているのは事実です! だから、私達が注意してやってるんです!」

「そのお客様の情報を教えて欲しい」
 
 ……希空が理人に見せたものは非公式なものだ。
 そんなものを提出すれば、個人情報漏洩に抵触しかねない。
 クルー達から正式に提出してもらえば、いつのフライトの、どの座席かを教えてもらえれば顧客データから照合できる。 

 理人は真摯に言うのだが、恋人のために奔走しているように見えるのか、女性陣は聞く耳を持たない。

「どうせ聴取なんかする気ないくせに、嘘を言わないでください!」

「調査委員会に報告して了承が出たら、俺から状況を伺う」

 理人はあくまでも平らかに言葉を紡ぐ。
 ここで怒りにまかせたらパワハラと訴えられかねないから、懸命に抑えてくれているのだろう。
 ……それでも希空は、理人から冷気を感じ、震えた。

『あいつを怒らせると、さすがの俺もおっかない』

 いつだか、ミカが教えてくれたのを身をもって理解する。

「だったら、カスタマーサービスからお客様にお詫びを兼ねてご連絡差し上げる」

 おおごとになりそうな気配に、女性は喚く。

「そんな必要ないですよ、彼女がグラハンを辞めればいいんですから!」 

 その言葉に、希空は顔を上げた。

「お願いです、このレポートを見てください!」

 希空はばらまかれていた書類を集め、女性の一人に差し出す。

「私はグランドハンドリングの仕事を誇りを持って遂行しています。でも、クレームが入って、あらためて全作業を研修しなおしました。上長からも、合格をもらいました。その結果のレポートです。これはSWANに提出する正式な書式に則っています」

 女性陣が必死な希空を嘲笑う。

「なにを言ってるのよ、身内の報告書なんて信じられるわけないでしょ」

「なら、俺も君たちが言葉を信じるわけにいかないな」 

 理人の言葉に、女性陣が目を釣り上げた。

「……なっ! でしたら私たち、一柳機長との仕事を拒否します!」

 希空が真っ青な顔になったが、理人はどこまでも落ち着いて対応する。

「わかった。俺は調査委員会に事の次第を報告する。俺は自宅待機となると思うが、君達にも委員会から連絡があると思う。その時にはきちんと対応して欲しい」

 希空の差し出した書類を理人が受け取り、携帯電話を提示した。
 操作すると、今この場で起こった事象の画像と音声が再生される。
 女性陣が青ざめた。

 希空が泣きそうな顔になる。

「り……一柳機長は関係ないです。お願いです、彼から空を取り上げないでください!」 

 立とうとしたが、起き上がれない彼女を理人は横抱きにした。
 希空を医務室に連れていくため歩き出しながら、理人は顔だけ女性陣に向けた。

「二つ、言っておく。俺達は、地上職がいてこそ飛行機が飛ばせるんだ。それから」

 初めて過酷な目で女性陣をねめつけた。

「調査の結果、クレームの起因が彼女のミスではなく君らが捏造したと判明した時には。おそらく委員会からなんらかの処罰が下される」
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