曇りのち晴れ、SWAN航空幸せ行き〜奥様はエリートパイロットともう一度愛しあう〜

第四話 企みのオーベルジュ

 ベリが丘のノースヒルにある会員制オーベルジュは、アッパー層御用達だ。
 駅近でありながら隠れ家リゾートの趣すらある、静寂さが売りである。

 そんな建物の奥まった個室で、二人の女性がソワソワしていた。

「ねえ、本当に一柳さんとミカさんが来るの?」

 女性達に希空を吊し上げするようそそのかした妹が、五分おきに姉に訊ねる。

「来るわよ」

 披露宴の場で希空を悲しみのどん底に追いやった姉が自信たっぷりに言う。
 そして、妹に己の携帯画面を見せてやる。

『久しぶり。急だけど会わないか。二人だと緊張してしまうから、俺のほうはミカを連れていく。妹君も一緒だと数が合うんだが』 

 姉に見せてもらった画面に食い入るように見入ってから、妹はうっとりと呟く。

「嘘みたい。ようやく我が社のモテパイワンツーをゲットできたのね」

「そうよ、頑張った甲斐があったわ。あの女のシフトを手に入れるために、グラハン女にブランド物を買ってやったりして! ……まあ質流れ品だけど」

 姉が得意げにふふ、と笑う。

「一柳さんはクレームを言った客が本当に存在していたことを知って、がっくりきたでしょうね」

 妹も自分の手柄を自慢する。

「そういえば男の子達のチケット代はどうしたの? パパに出させたの?」   
   
 姉は興味ぶかげに妹へ質問してきた。
 妹はふるふると頭を横に振った。

「憧れのCAとデートできるのよ? むしろ、出さないと男じゃないでしょ。……に、しても。さすがお姉様ね。あの女のシフトの一本前のフライトで、私が目的地に前乗りしておく」

 妹の言葉を姉が引き取る。

「男の子達には、あなたと目的地でのデートを餌に、あの女の業務についてクレームを入れさせる」

 妹がくすくす笑う。

「ボーイフレンド達は、私とのデートがかかってるから絶対に口を割らないし」

 姉はベルを鳴らすとウエイターを呼び、高額のワインとアンティパストを何品か注文する。

 理人からのメッセージには続きがあった。

『誘っておきながら、すまない。俺とミカは、どうしても抜けられないブリーフィングがある。ああ、終電は気にしないで。部屋をとってあるから』

 姉がオーベルジュに確認したら、ダブルルームで二部屋、一柳理人とミカ・ライネそれぞれの名前で予約されているという。

 ウエイターがワインを姉にティスティングさせたあと二人のグラスに注ぎ、一礼してから退室していく。
 姉妹は乾杯をすると、うまそうにワインを飲み干した。

「ねえ、お姉様。パパと、一柳さんの披露宴に参加したんでしょ? あの女になにを言ったの。面白かったわよ、なにをしてもへこたれなかったあの女が、翌日から真っ青のフラフラになってて! それでも仕事をミスしないのが憎たらしいけど」 

 姉は余裕たっぷりに微笑むと、希空に告げた言葉を一言一句違わずに復唱してみせた。

「そんなこと言われたら、一柳さんがどんなにフォローしても、彼のことを信じられなくなっちゃう!」

 妹は大喜びし、はしゃぐ。

「でしょう? 一柳君が不機嫌な顔でずっとあの女を睨んでたから、不仲になったのすぐわかったわ。だいたい生意気なのよ、グラハンのくせにナンバーワンの男を奪うなんて!」

 姉が空になったグラスにワインを注ごうとしていると、飾り戸棚にしか見えなかったドアが開いた。

「一柳君!」
「ライネ機長」

 ビクッとしたが、二人は、待ち望んでいた男達が現れたので喜色満面になった。

「たった今、興味深い話を聞いたけど。理人は希空に体で落とされたんだって? 確かに彼女は素晴らしいプロポーションだよね」 

 ミカが親友を見ながら口火を切る。
 理人も喋る。

「人妻の体をじろじろ見るな、飲ませて潰すぞ。気に入ってるのはプロポーションだけじゃない、彼女の仕事ぶりに惚れたんだ」

 姉妹の表情が歪む。
 
「真実は違う。彼女を体で落としたのは、俺のほうだ」 

 理人がニヤリと笑い、妹のほうが赤くなった。
 姉が凄まじい目で理人を睨む。

「ねえ、今日は私と一柳君のデートの日でしょ? 他の女の話をするのは、マナー違反だわ」

 姉が不機嫌を隠さないが、理人はにっこりと笑う。

「違う。俺が希空のことを思い切り惚気るのを君達が聞かされる日だ」

「お姉様、帰りましょう。不愉快よ」

 妹が立ち上がって姉を促す。
 姉も立ち上がりかけながら、言い捨てる。

「男二人が女性を密室に呼びつけた。そこでなにが行われていたのか……。今の世情では、かなり不利になるでしょうね。こんな文面も残っているし」

 ニヤリと笑った姉が、理人から送られたメッセージをこれみよがしに理人とミカに見せつける。

「もちろん、俺は既婚者だしミカも紳士だから、懇意でない女性と密室に篭ったりはしない。俺達が無実であることを証明するために、今日は他にも素敵なゲストをお迎えしてるんだ」

 理人が言えば、機長二人が現れたドアから一人の男性も姿を見せた。
 姉妹はあらたに登場した人物が父親だったので、不思議そうな顔をする。

「パパ?」
「どうしたの」

 娘達の問いかけに怒りのあまり真っ赤になった父親は、わなわなと震えたまま、動けない。

「お嬢さん達は、ずいぶん悪巧みが上手なんだねぇ」 

 姉妹の父親の後ろから、ナイスミドルの男性が二人に声をかけた。

「うちの義娘を嵌めて、楽しめたかな?」

 ニコニコと笑っているものの、目がとても冷たい。

「……あなた、は」

 姉の言葉に、ナイスミドルは優雅な礼をしてみせた。

「申し遅れました、僕は一柳龍人。SWANを持っているだけの、ただのおじさん」

 ひ、と妹は息を飲んだ。

「……これはなんの茶番なんですか?」

 闘志盛んな姉が挑戦な目つきをすれば、ミカが優雅な仕草でポケットから取り出した携帯を再生させる。

「隣で聞かせてもらった」

 姉妹の会話がクリアな音声で部屋いっぱいに流れ、父娘はばつの悪い顔になった。

「……盗聴は法的に証拠能力がないんじゃありません?」

 妹は真っ青になりガタガタ震えていたが、姉はどこまでも強気だった。

「そうかもしれないな」

 理人は獰猛な笑みをみせる。

「だけど、心情的には君達の会話を聞かせたくないメンツがナンバーフォーまで揃ってるんじゃないかな?」

 ミカがにっこりと微笑んだ。

 結婚を狙っていた男と、その父親。そして、自分の父親。

「一柳君、すまないっ」

 姉妹の父が理人に頭を下げる。
 ……平身低頭している人物は、理人を『機長の監督不行届きではないのか』と詰った、調査委員会の外部顧問だった。

「娘達は二度と君の目の触れないようにするからっ」 

 妹が果敢に抗戦してくる。

「私がボーイフレンド達を彼女のシフトに合わせて乗せたことは事実です。しかし、彼らが振動を感じたり、トランクが破損したのも事実なんですよ!」

 龍人が穏やかに話す。

「同じ便のパイロットやCAにも聞いたけれど、振動は感じなかったと言っていたよ」

「一柳のおじさまに質問されたら、誰だってそう答えますわ」

 姉が胸を張って言う。

「なるほど。あなたが言ってることは、他ならぬこの僕がパワーハラスメントをしたってことだね?」

 龍人が物騒な光で目をきらめかせると、さすがに姉妹はたじろいだ。

「それなんだけどね、お嬢さんがた」

 龍人が言う。
 なにかの表を父娘に見せると、CAの妹がさっと顔をこわばらせた。
 クレームを入れたフライトナンバー、すなわち希空のアサインされていたシフトの一覧表であることをわかったのだろう。

「理人に『自慢の恋人のプッシュを味わってほしい』って頼まれたんだ。それで秘書に名前を借りて同じ便に乗ってたんだけど、振動など全くなかったなあ。上二人の息子達や彼らのパートナーに加えて僕のワイフもね、全く感じなかったと。もちろんこれは素人の主観だから、裁判所も証拠能力はないと判断するだろうけどね」

 姉妹の父親が真っ青になった。 

 能力云々の話ではない、飛行機会社のオーナー自らが白と言い切ったことを、協力会社の縁故程度の人間が黒だと騒ぎ立てたことが大問題なのだ。

 父親は土下座して地面に額を擦り付けた。

「ど、どうか穏便にっ。出来れば内密に済ませてもらえませんでしょうか!」

「理人、どうする?」

 龍人が楽しそうに息子を振り返る。

「お嬢さんがたについては、お父君に去就をお任せします」

 理人の言葉に姉妹は不満を漏らしたが、二人の父親は泣き出さんばかりだった。

「約束する! 二度とこのようなことはさせないっ」

 理人は冷たく言い切った。

「だが、二度はない。それとあなたにも、調査委員会の外部顧問を辞めていただく」

「……わかりました……っ」

 父親は姉妹をひったてるように部屋から出ていった。

 親娘が罵り合う声がだんだんと遠くなっていくのを待って、龍人がウインクを寄越してきた。

「理人、貸し一つだぞ」

「なにを言ってる?」

 対して理人は不機嫌の権化と化している。

「あんな老害をのさばらせていた父さんのミスだろう。……だが助かった」

 理人は龍人に頭をさげた。龍人の目が密かに大きくなる。

「俺とミカが証人なだけでは、逆に危なかった」

 現在は密室に男と女がいるだけで、性的犯罪を疑われる。

「あの狸を同席させただけでも、まだ足りなかった」

 娘可愛さに誤魔化しに走った挙句、希空や理人を攻撃しだすのが目に見えていた。
 親娘がぐうの根も出ないような人間に見聞きさせる必要があったのだ。

「しかし、親父にあの姉妹の処分を決めてもらったところで。狸抜きだと、後から文句を言ってくるだろうし」

 龍人は珍しく素直な息子に対して、軽く肩をすくめて見せるだけでなにも言わない。
 そこへ。

「理人とミスター一柳みたいな関係を、確か『虎の威を借る狐』って言うんだよね? わお! ニッポンのコトワザをリアルで見れちゃったよ!」

 ミカの剽軽な言葉に、もう一組の父子は苦笑するしかない。

 秘書がタイミングよく「お時間です」と、龍人にささやく。

「ところで理人。やっぱり貸しにしておく」

 立ち去りながら宣言した龍人に、理人は血相を変えて抗議をしかける。

「父さん……っ」

「僕の大事な奥さんが、新しい娘とおしゃべりしたがってる。近いうちに連れて来るんだな」 

 手をひらひらさせてて秘書とともに龍人も出ていった。

 残された機長二人は。
 はぁー……と力が抜けて、椅子にぐったりと腰掛けた。

「理人……。お前、なんつー荒技を使うんだよ……」

 ミカが文句を言ってきた。

「都合よく、べらべら喋ってくれたからいいけどさ。警戒されてたら。下手すると、あの姉妹と俺達、結婚させられてたぞ!」

 ミカがぶるぶる震えたあと、やにわにテーブルの上に手を伸ばし、ワインをラッパ飲みだした。

「まさか、あんなに毒が濃いと思わなかった……。まだまだ危険予測が足りていなかったな……」

 理人もまずいものを口にしたような顔で、ミカにボトルを要求する。
 親友から手渡されたボトルを、これもじかに口づけ飲み干す。

「ともあれ、これで終わったな」

 ミカが拳を向けてきた。

「ああ」

 理人も拳を突き出し、ミカのそれへぶつける。なにかやり遂げた時の、二人だけの儀式である。

「希空を幸せにしてやってくれ」

「それなんだが……、希空から『コシャリ』に誘われてる」

 理人が自分の携帯画面をじっと見ている。
 あんなに理人から逃げ回っていたのに。 嫌な予感がする。

「行ってこいよ」

 ミカが理人の肩を叩く。

 そうだ。彼女と向き合うしかない。
 そして申し訳ないが、彼女には自分を愛してもらうという選択肢しか与えるつもりはないと、キッパリと宣言しておかなければ。
 そのためなら、自分はどんなことでもするつもりだということも。

「想いの丈を告げてこい」

「ああ」

 二人が視線をかわしたところで、ミカが疑問を口にした。

「……ところで。ここの支払い、誰がすんの?」

『一泊数十万』と評判のオーベルジュのコネクティングルームを貸し切り、おまけに宿泊施設も予約してある。 しかも姉は一番高いメニューばかりを頼んでいた。

 ミカが素っ頓狂な声を出す。

「もしかしたら、miljoona(ミルヨーナ=フィンランド語で百万)いっちゃう?」

「……いや……」

 ワインボトルのラベルを見詰めている理人は難しい顔をしている。

「シャトー・ラ・トリューユの一九八九年ものだ……、これだけで百は超える」

「ひえ、飲むしかないなぁ」

 苦笑したミカがドレスシャツの喉元に指を入れ、ネクタイを緩める。

「全くだ」

 理人もジャケットを脱ぎ、腕を捲った。

 二人でボトルにかわるがわる口をつけていると、ミカが問うてきた。

「希空には今回のことを伝えるのか?」

 ……この企みは、希空の夜勤に合わせて決行した。

 ただでさえ、姉から毒の滴る言葉を食らった希空は、理人に対して疑心暗記になっている。

 理人から誘われたと勘違いしている姉が有頂天になって『彼から誘われた!』と周囲に吹聴していないとも限らない。
 外野から耳に入れさせてしまっては、もっと傷つけてしまう。

「話す」

「それがいい。……じゃあ、なおさら景気付けに飲んどくか!」

 パイロットはフライトの十二時間前飲酒が禁じられているが、ミカは今日も明日も休みで、理人は今日は早番で明日は休み。飲まない法はない。

 二人は久しぶりに徹夜で飲み、大いに語り合った。

◇■◇ ◇■◇

 翌朝、二日酔いと寝不足になりながら会計してみれば、姉妹の父親によってすでに清算されていた。
 財布の大きさはそこそこなくせにチキンな二人の機長は、胸を撫で下ろした。



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