プラトニックな事実婚から始めませんか?
目撃
***


「ただいまー」

 東京での取材を終えて帰宅すると、マンションの中はシンと静まり返っていた。

「祥子は仕事か」

 ひとりごとをつぶやきながら、靴を脱ぐ。キャリーバッグは玄関先に置いたまま、疲れた身体を引きずるようにしてリビングに入る。そして、厚手のコートを脱いで、寝室の隣にある部屋の扉をノックする。

 いないとわかり切っているのに、祥子がいないか確認するのは念のためだ。この部屋は衣装部屋を兼ねた彼女の部屋だからだ。普段は無断で入ったりしない。もちろん、彼女も俺の仕事部屋に勝手に出入りしない。

 冬物のコートやフォーマルのスーツは一緒に管理した方がいいと彼女が言ってくれて、俺の服を何着か置いてくれている。

 コートをクローゼットにかけたらすぐに出るつもりで、部屋に踏み込む。おしゃれなドレッサーが置かれたシンプルな部屋だ。彼女はきれい好きで、どの部屋も使いやすく、雑然としていない。

 申し分ないぐらい丁寧な暮らしをしている祥子と暮らせているのは、かなり幸運なことだ。それを毎日のように感じながら、俺は過ごしている。

 コートをハンガーに引っかけて、クローゼットにしまおうとしたとき、すそがほつれて、糸が垂れているのに気づいた。

「うわー、全然気づかなかったな」

 コーヒーで汚れたお気に入りのコートはまだクリーニングに出してある。仕方ないから、普段あまり使っていなかったコートで取材に出かけることにしたのだが、すそのほつれは見落としていたようだ。
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