プラトニックな事実婚から始めませんか?
あなただけ
***


 そっと目の前に置かれたビールに気づいて目をあげる。

「ごゆっくりどうぞ」

 泣き出しそうな顔をしてるだろう私に、若いマスターがにっこりと微笑む。私は小さく頭をさげたあと、グラスに入った麦わら色のビールをぼんやりと見つめた。

 程なくして、ひとりの客が店を去る。呼応するように、ひとり、またひとりと帰っていく。気づけば、残るは私だけ。

 ようやく、ビールを口に含む。苦味がまったくしなくて、ショックを受ける。思ってる以上に傷ついてるみたい。

 もう、啓介はマンションに帰っただろうか。私がいないと知ったら、どうなるだろう。いや、まだ綾と一緒にいるに決まってるか。それすら考えるのは億劫だ。

 小さなため息をついたとき、扉の開く音が背後でする。

「いらっしゃいませ」
「あ、連れがいるから」

 カウンターの中に立つマスターに話しかける青年の声に覚えがあって、驚いて振り返る。

「啓介……、どうしてここに?」
「やっと、GPSが役に立ったな」

 啓介はからりと笑って、スマホを見せる。

「帰ったらさ、祥子がいないから心配したよ」

 彼は向かいに腰かけると、私と同じビールを注文する。

 綾と飲んでたんじゃないのだろうか。そう思うけど、聞けない。啓介の行動を監視してたなんて知られたくない。

「ごめんね。急に飲みたくなっちゃって」
「考えてみたら、最近、あんまり祥子と外食してないよな。たまには飲みに行ったりしようか」

 罪のない彼の笑顔は残酷だ。素直にうなずけなくて、目を伏せる。

 啓介にどう接したらいいかわからなくなってる。優しいことを言ってくれたって、心のどこかで、あの子とも遊んでるんでしょって考えてる。
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