エイプリル・ラブ
出会い
奏(そう)は私が中学1年の時に、マンションの隣の部屋に引っ越して来た。
両親と一緒に、我が家へ引っ越しの挨拶に来た時の第一印象は、静かそうな子。だった。

奏の家族は3人ともモデルかと思うくらいスラリと背が高く、顔も全員めちゃくちゃ美形。
町を歩けば通行人が振り返ること間違いなしだ。

「初めまして。隣に越して参りました卯月(うつき)と申します。どうぞよろしくお願い致します」

そう言って奏のお父さんが浮かべた笑顔に、うちのお母さんは完全にノックアウトされた。
(その日の夜にお隣さんがカッコ良すぎる!と大騒ぎした結果、うちのお父さんにヤキモチを妬かせている)

ただその時、奏は後ろの方でぎこちない笑みを浮かべて黙って立っていた。

「すみません、息子はまだ日本に慣れていなくて。
私の仕事の都合で3歳からずっとフランスにいたものですから。
そちらのお嬢様と同じくらいの年頃ですので、どうぞ仲良くしてやって下さい」

私が「よろしくね」と言うと、頑張って笑みを浮かべながら「…よろしくお願いします」と小さな声で言った。

これが私と奏の最初の出会いだ。

その後、奏は私の中学に転校してきた。
3年生だと聞き、私はそこで彼が年上であることを知った。
でも初対面の時にタメ口で言ってしまったので、今更敬語も変だと思い、以降はずっとタメ口で奏には接している。


隣の部屋とは言え、そんなに頻繁に出会うわけではないので、この頃は奏と特別仲良いわけではなかった。


変化があったのは、奏の家族が引っ越して来て4ヶ月程が経った夏休み前の終業式の日だ。


7月下旬の暑い日差しの中、昼頃に帰宅すると、奏が自分の家の前でカバンをゴソゴソ漁りながら困った表情を浮かべていた。


「あれ?どうしたの?えーっと...奏...君?」

「あ、えっと、鍵を忘れたみたいで...」

端正な顔立ちの眉をハの字にしながら、制服のポケットも探しているが、どうやら無いらしい。

「あーなるほど。私もたまにそれやるよ。お母さんとお父さんは今日いないの?」

「うん。2人とも仕事で...。今日は日帰りで九州に出張だから夕方まで帰って来なくて...」

こんな暑い中で不運な話だ。
私は自宅のドアを鍵で解錠し、奏を手招きした。

「もし良かったら、家の人帰って来るまでうちで待つ?こんなに暑いんじゃ外にいれないでしょ」

「え...、でもそんな悪いよ」

「全然悪くなんかないよ。まぁ、部屋散らかってるけど、遠慮しないで。昨日テレビでやってた映画を録画してるから、それでも観ながら時間潰そうよ」

「え!昨日の映画録画してるの?」

途端に奏の目が輝いた。

「うん。あの映画好きなの?」

「1作目から大好きなんだ。昨日は最新作のテレビ初放送だったのに、塾があって録画も忘れてたから」

「よし、じゃあ決まりだね。どうぞ上がって」

「ありがとう。あ、じゃあ親宛にメモだけ貼ってから・・・」

そう言うと、奏はカバンからルーズリーフと筆箱を取り出し「鍵を忘れたのでお隣の越智さんのご自宅にお邪魔しています 奏」と書いて自分の家のドアノブの下にマスキングテープで貼った。

「あれ?メールじゃなくて良いの?」

「メールでも良いんだけど、飛行機で帰って来るから電波が不安定みたいで。仕事の終わるタイミングが読めないからどの時間の便に乗るかは正確にはわからないんだ」

「なるほどね〜。あ、準備いけた?じゃあこっちにどうぞ」

奏がこっちに来たタイミングで真実は玄関の扉を大きく開ける。

「ただいま。お母さ〜ん!隣の卯月さんとこの奏君を連れてきたよ〜!」

「え〜?真実なんて?奏君?」

お母さんがキッチンから玄関にやってくる。

「あら、ほんとに奏君だわ。いらっしゃい!」

「なんかね、家の人が仕事で夕方にしか帰れないらしいんだけど、鍵を忘れちゃったんだって」

「あらぁ。それはかわいそうに。こんな散らかった家で良かったら入ってね」

「すみません。ご迷惑おかけします」

奏が申し訳なさそうに頭を下げる。

「あらまぁ。そんなの全然気にしなくて良いのよ。困った時はお互い様なんだから。どうぞ上がってちょうだい」

「ありがとうございます。お邪魔します」

奏は脱いだ靴をキチンと並べて玄関に上がった。流れるような見事な所作だ。

お母さんはうどんを茹でている途中らしいのでキッチンに戻った。なので2人でリビングに入る。

「荷物、適当にその辺に置いちゃって良いからね。どこでも座って良いから」

「どうもありがとう。ごめんね。僕が急に来てお母さん怒ってないかな?」

「あぁ、それは気にしないで。うちの家はそういうの大丈夫だから。あ、洗面所は廊下出て右ね。トイレは左」

「ありがとう。じゃあ洗面所使わせてもらうね」

「どうぞ〜。・・・あれ?そっか。よく考えたら奏君の家もうちと同じ間取りなんだから、そりゃ知っているよね」

アハハと真美が笑うと、釣られて奏も笑顔になった。
今日会ってから初めての笑顔だ。

「確かに。僕も今、何にも考えずに返事してた」

2人で笑った後、手を洗うために交互に洗面所を使う。
リビングのテーブルに落ち着くと、キッチン側の扉が開いてお出汁の良い匂いがしてきた。

「はーい!おまちどうさま〜。真実ちゃんリクエストの力うどんで〜す」

そう言ってお母さんがうどんの入ったどんぶり鉢をお盆に2つ乗せて持って来てくれた。

「うわぁ!良い匂い。美味しそう!ありがとうお母さん!やっぱり家のお昼ご飯はお母さんの力うどんに限るね」

「調子の良いこと言っちゃって!
はい、奏君も!良かったら食べていって!」

お母さんは真実と奏の前にうどんを置いた。

「え!僕も頂いて良いんですか?」

奏がびっくりした表情で聞く。

「もちろんよ。今日給食なかったからお腹空いたでしょ?あ、アレルギーとかあったかしら?」

「いいえ、大丈夫です。ありがとうございます。すみません、お昼までご馳走になってしまって・・・」

「そんなに気を使わなくて良いのよ!材料をまとめ買いしていたからね。1人分も2人分も同じようなもんだから」

奏は興味深々な様子でうどんを見ている。

「僕、力うどんって初めて食べます」

「真実の好物なのよ。ね?」

「うん。お餅が入っているの。うちはそこに白菜とか薄揚げとか色々入るんだよ。じゃあ食べよっか!」

奏と真美は手を合わせていただきますをすると、お箸で麺を啜った。

「熱っ・・・はふっ。・・・おいしーい!」

「・・・うん。すごく美味しいです」

その様子をお母さんは満足そうに眺めた。

「良かった良かった。じゃあ、あなたたちは適当にテレビでも見てて。お母さん用事してるから」

「あれ?お母さんは食べないの?」

「お母さんは真実たちが帰ってくる前に先に食べたのよ。お腹減っちゃって」

お母さんが指差したシンクには空のどんぶりが1つ置いてあった。

「真実、お菓子とジュースはそこの棚に入っているから。じゃあ奏君、ゆっくりして行ってね」

「ありがとうございます」

奏は箸を置いて、口元を手で隠しながら答えた。
お母さんがキッチンに行き、扉が閉まる。真実は奏の方に視線をした。

「お母さん、掃除機かけたり洗濯物干したりでリビングにガンガン入って来ると思うけど気にしないでね。お母さんもこっちのこと気にしてないから」

「うん。もちろんだよ。お邪魔しているのは僕の方だし」

真実は奏のことをずいぶん遠慮深い子だなと思った。それとも真実の家族が気にしなさすぎなのだろうか?
そんなことを考えながら2人はほぼ無言でうどんを食べる。お腹が空いていたので夢中になってしまった。

食べ終わったどんぶり鉢をシンクに持って行く。
キッチンの椅子に座って甘夏みかんの皮と格闘しているお母さんから「置いといて良いからねー!」との言葉をもらったので甘えることにする。

リビングに戻ってくると、いよいよお楽しみの映画タイムだ。昨日録画したアメリカのスパイ映画を見るべく、お菓子やジュースを用意してソファに並んで座る。
先ほどまではどことなく緊張した面持ちの奏だったが、真実がHDDレコーダーの再生ボタンを押して映画の煽りVTRが始まるとワクワクした表情になった。

「さっきこのシリーズ好きって言ってたけど、この最新作は映画館に見に行ったの?」

「うん。公開してすぐにね。でもその後、日本に帰国する準備とかで忙しかったからDVDとかでは見てなくて。観るのは1年ぶりくらいかなぁ」

そっかぁ。と返事をしてから、真実はしまったと思った。この前テレビで『映画を見ている時に話しかけられるのは許せるか許せないか』のテーマでトークバトルをしていたのだ。真実は許せる派だ。というかむしろ家で見るなら家族と喋りながら見るのが好きだ。でも中には嫌な人ももちろんいるだろう。奏は大丈夫だっただろうか?
と、最初は気にしていた。しかし10分も経つとそれは杞憂だったことが分かった。

奏は注目するシーンが来るたびに「このシーンはテイク100以上したんだって」「ここは前作と繋がっていて・・・」「ここ!ここの決め台詞がすごくかっこいいんだ」と、活動弁士もかくやというくらいの詳しい解説をしてくれた。
真実は奏も自分と同じタイプで良かったと胸を撫で下ろした。(それ以上な気もするが)

空に巨大なジェット機が飛んでいく風景をバックに「To be continued」と言う文字が現れて、壮大なエンディングテーマが流れ出した。
真美は残っていたコーラを飲み干すと、大きく伸びをする。

「いや〜面白かった!まさかあんなラストだったなんて!次は劇場に見に行こうかなぁ」

今までこの映画のシリーズはなんとなく話題性で見ていただけだったが、奏の解説を聞いてきたら興味が湧いてきた。
奏もさぞ楽しんだだろうと隣を見ると、なぜか俯いていた。心なしか顔に縦線が入っているような気がする。

「あれ?奏君どうしたの?急に下向いちゃって」

「いや・・・。ごめん。映画見てるのに、僕横からめちゃめちゃ話しかけちゃって・・・」

どうやら最初に真実が気にしていたことを、今更になって思い至ったらしい。

「僕の悪い癖なんだ。好きなもののことになると夢中になっちゃって、周りが見えなくなるんだ」

ズーンと落ち込む奏を見ていると、申し訳ないが真実はなぜか笑いが込み上げてきた。

「あはは!2時間がっつり解説してくれたのに、何気にしてるの今更!それに、奏君の解説のおかげですごく楽しめたよ。私は家で映画とか見るときは家族でわいわい見る派だから大丈夫だよ」

「そ、そう?なら良かったけど・・・」

奏がホッと胸を撫で下ろしている。
家に来た時は洗練された完璧な礼儀作法とマナーで高貴な雰囲気を醸し出していた奏だったが、こうして人間味あふれる一面を見れて真実はなんだか嬉しくなった。

(私とは住む世界が違うのかもと思っていたけれど・・・。奏君面白いところもあるんだ。もっと仲良くなりたいな)

そこからはお母さんが剥いてくれた甘夏みかんを食べながら、さっきの映画の感想を喋った。
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