破滅予定の悪役令嬢ですが、なぜか執事が溺愛してきます
 オスカーは再びわたしの右手に手を重ね、
『ミヒャエル・エーレンベルク』
『オスカー・アッヘンバッハ』
と書いた。
 
 触れている手が熱くて集中できない。
 この男に追放されないように教養を身に着けて逆に追い出してやりたいのに、こんなことではいけないわ!

「これをお手本にしてひとりで練習してみるから、オスカーは一旦下がってちょうだい」
 オスカーは青灰の目をスッと細める。
 もう飽きたのかと思っているのかもしれない。それでも小言はせずに頭を下げた。
「かしこまりました」

 退室しようとするオスカーの背中に声をかける。
「そうだ、オスカー。家具の色が落ち着かないから模様替えをしたいんだけど」
 振り返ったオスカーの眉間の皴が深くなる。
「お嬢様がつい先日、この色がいいと主張してすべてオーダーで新調したばかりですよ?」
 オスカーはかなり不満そうだ。

 言いたいことはわかる。
 このショッキングピンクの家具一式をそろえたのは先月のことだもの。
 でもね、こんな色の机じゃ落ち着いて字も書けやしないのよう!
「わかってるわ。でも、どうしてもこの色が目に入って集中できないの。せめて机だけでも……無理なら天板だけでも。道具さえ揃えてくれたら、わたしが塗り直したっていいわ」
 
 わたしの本気を感じ取ったのか、オスカーがわずかに目を見開く。
「かしこまりました。家具職人に相談してみます」
 そう言って退室した。

 わたしがひたすら文字の練習を続けていると、夕方にオスカーが家具職人のクラークを連れてやってきた。
 先月クラークから家具一式を買い、さらにショッキングピンクに塗装してもらったのだ。
「ドリスお嬢様、ごきげんよう」
 
「クラーク、わざわざ来てくれてありがとう」
 ペンを置いて立ち上がると、オスカーとクラークが驚いた表情で固まっている。

 あら、なにかやらかしたかしら?
 
「ドリスお嬢様、本日はおかげんでも悪いのですか?」
 おずおずと聞いてくるクラークの様子でようやくピンときた。
 そうだった、これまでのドリスだったら「ありがとう」感謝を伝える相手はミヒャエルだけだったのだ。それも、おねだりをきいてもらえた時だけ。
 家具職人に向かって笑顔でありがとうだなんて、そりゃオスカーもクラークも固まるはずだ。

「具合が悪いんじゃなくて、心を入れ替えたのよ」
 にっこり笑ってみせる。
「それで、オスカーから事情は聞いているかしら?」
「この家具の塗り替えは、まずヤスリで表面のツヤと塗料を全て落とし、そこからご希望の色の塗料を塗っていくとになります」
 クラークの説明に愕然となる。
 ただ上から塗り直せばいいだけだと思っていたのは、考えが甘かったらしい。
 
 一番手っ取り早いのは、この家具をすべてクラークに引き取ってもらい処分して、新しい家具を新調することだ。
 しかしお金がかかりすぎる。お金持ちの伯爵家が家具を短期間で買い替えて経済を回しているのだと割り切るしかないだろうか。

 ここでふと、机の引き出しが目に留まった。
 そうだ、2段目の引き出しにはたしか――取っ手を引いて開けると、そこには無造作に貴金属のアクセサリーが投げ入れられていた。
 
< 8 / 72 >

この作品をシェア

pagetop