蜜愛契約結婚―隠れ御曹司は愛妻の秘めた想いを暴きたい―
 飲み会からしばらくした頃、気分転換に非常階段で過ごしていると、階下に成瀬がやってきた。
 こんな場所に人が来るとは思っておらず、つい身を潜めるようにして様子をうかがう。

 段差に座り込んでうつむき、両手で頭を抱える。その姿は、まるで彼女の苦悩を如実に語っているようだった。

 成瀬だって、同じ人間だ。感情が伝わりづらいだけで、その内には様々なものを抱えているのだろう。
 小さく震える華奢な背中を見ていると、無性に胸が絞めつけられた。

 漠然としたものから逃れるようにここへ来るのは、お互い様なのだろう。

 忖度されることなく社内の状況を隅々まで把握したいという意図から、出自を伏せて複数の課で仕事をしてきた。
 いずれ会社を継ぐ身としては、現場にいるうちに文句のない実績を残しておきたい。
 その一心で仕事に邁進してきたが、いつも上手くいくわけではない。煮詰まったときには、この場で気分転換をするのが常だった。

 おまけに最近は、両親がそれとなく〝結婚〟を口にするようになってきた。
 今はそんな暇はないと何度も言っているが、聞く耳を持たない。それもまた、ストレスとなっている。

 非常階段での成瀬との遭遇は、無言のまま終えた。もちろん相手は俺の存在に気づいていない。
 わざわざ声をかけても、お互いに気まずくなるだけだろうと見て見ぬふりをすることにした。
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