婚約者に殺されかけた氷の聖女は、敵国となった追放先で幸せを掴む

戻って来た杖

 ルキウスは、王宮に招いていたヴィクター、ロルフとアマリリスに笑顔を向けた。

「皆、ありがとう。リカルドから、君たちの働きぶりは聞いている。素晴らしい成果を上げてくれたそうだな」
「そう言っていただけると光栄です、王太子殿下」

 ヴィクターが軽く頭を下げる。

「それに、攻めて来たシュヴァール王国の軍勢も追い返したそうだな。ネイト王太子自ら陣頭指揮を取っていたそうだが……」
「そうですね。ただ、我々が追い返したというよりは、たまたま襲って来た魔物たちに足元を掬われた感じでした。敵方もほぼ被害なく退いたので、さほど時間を置かずにまたやってくる可能性もあります」

 そうヴィクターが答えたちょうどその時、慌てた様子で一人の兵士がルキウスの前に駆けて来た。

「敵軍です! 王太子殿下、敵軍が国境を越えて我が国に侵入したと報告がありました」

 ルキウスの顔が緊張気味に歪められる。

「我が軍の状況は?」
「国境付近で警備に当たっていた兵士たちが応戦していますが、劣勢です。その近辺で控えていた兵士たちも援軍に向かっていますが、まだまだ数が足りません」

 状況に耳を傾けていたヴィクターが、厳しい表情で口を開いた。

「すぐに私も向かいます」
「ああ、頼む。俺もすぐに軍を率いて合流する。場所は?」

 ルキウスが兵士に尋ねる。

「はっ。報告によれば、国境を走る山脈を迂回した所で……」

 兵士の説明を聞いていたヴィクターが、身体にすぐさま風を纏わせた。

「わかりました。ロルフ、アマリリス、あなたたちは屋敷で待機して、殿下の指揮に従ってください」
「待ってください!」

 アマリリスがヴィクターを見つめる。

「私もヴィクター様と一緒に行きます」
「僕も!」
「……二人を戦の渦中に連れて行くのは、正直なところ、気が進まないのですがね」

 苦笑したヴィクターの前で、アマリリスとロルフも風魔法を唱え、身体に風を纏わせた。

「ヴィクター様が何と仰っても、私もまいります」
「僕だって。師匠の弟子だからね」

 小さく息を吐いてから、ヴィクターは再び口を開いた。

「わかりました。でも、あなたたちは風魔法による浮遊はそれほど得意ではないでしょう」

 彼が魔法を唱えると、アマリリスとロルフの身体をふわりと風が包み込む。

「行きますよ。ただ、私が戦況が厳しいと判断したら、すぐに退避してください」

 頷いた二人と一緒に浮かび上がったヴィクターは、ルキウスを振り返った。

「王太子殿下、ではお先に」
「ああ」

 広い窓の隙間から、ヴィクターはアマリリスとロルフと共に、空に向かって高く飛び上がっていった。

***

 ヴィクターの風魔法で、風を切って空中を移動していたアマリリスは、身体を固くしながらも、側にいるはずの精霊に心の中で祈っていた。

(ヴィクター様とロルフ君を、どうかお守りください。……いずれの国の民の血もできる限り流すことなく、戦を止められないものでしょうか)

 飛翔しながら、ヴィクターがアマリリスに向かって口を開く。

「今回も、ネイト王太子が前線に出ているのだとすれば。戦の鍵は、彼と、そして恐らく貴女の妹でしょう」
「はい」

 重い胸を抱えながら、アマリリスは頷いた。
 しばらくして、三人の目に魔法がぶつかり合う眩い光が映った。山脈の裾野を真っ黒に埋め尽くすほどのシュヴァール王国軍の軍勢に、アマリリスは身体中から血の気が引くのを感じていた。

(これでは、多勢に無勢だわ)

 明らかに一方的に押されているライズ王国軍を見て、彼女の顔が青ざめる。ヴィクターも、目の前の戦況を険しい顔で見つめると、両軍が激突しているよりも手前で二人を下ろした。

「ヴィクター様?」
「師匠、どうしてこの場所に……」

 戸惑いながら師を見つめたアマリリスとロルフに、彼は微笑みかけた。

「あなたたちの得意な防御魔法なら、この位置からでも可能でしょう」
「ですが……!」

 言い縋るアマリリスを、ヴィクターはじっと見つめた。

「ライズ王国軍の鍵となるのは、アマリリス、きっと貴女だと思います」
「私が?」

 戸惑うアマリリスに、ロルフも横から口を開いた。

「僕もそう思う。精霊の加護があるアマリリスさんなら、この戦況をどうにかできるかもしれない」
「無理は禁物ですが、頼みます。でも、くれぐれも身の安全を優先してください」
「……わかりました。けれど、ヴィクター様こそ、どうかお気を付けて」

 ヴィクターはあえて明るく笑ってみせると、風を纏って浮かび上がり、両軍がぶつかっている場所へと目にも止まらぬ速さで向かっていった。
 アマリリスは祈るような気持ちで胸元のロケットとペンダントに触れると、力を貸してくれるよう精霊に願いながら、意識を集中させて防御魔法を唱えた。
 温かな光が、ライズ王国軍の前線へと伸びる。そして、ヴィクターを含めたライズ王国の兵士たちを包み込んだ。
 その様子を見ていたロルフは、防御魔法を放ちながらも、眩い光を放った精霊に思わず見惚れていた。

「凄いよ、アマリリスさん」

 ロルフの呟きすら聞こえないほど集中していたアマリリスの視線の先には、ヴィクターの姿があった。遠く見える彼の背中を見失わないようにと、アマリリスは必死に目で追っていた。
 ヴィクターの前で、明るい光が爆ぜる。彼一人の加勢で風向きが変わったことを、彼女ははっきりと感じていた。

(やっぱり、この戦の鍵となるのは、私などではなくてヴィクター様だわ)

 一方、シュヴァール王国軍のネイトは、最前線に飛び込んできたヴィクターを睨み付けていた。
 多勢の兵士を擁してはいたものの、シュヴァール王国軍の中には、兵役に積極的ではない、無理矢理に動員された貧しい民たちも一定数混じっている。粗末な装備で戦に参加した彼らには、ネイトは一抹の不安があった。

(彼らを動揺させることなく、一息に敵軍を攻め落とさなくては。内側から崩れるようなことがあってはまずい)

 ネイトは、兵の数が少ない割にはしぶとく耐えている、黒光りする武器と防具を身に付けたライズ王国軍に向かって攻撃魔法を放つと、同じく攻撃魔法を敵軍に向けていたカルラに馬上から叫んだ。

「カルラ! 今度こそ、あの魔術師を狙え」

 ヴィクターの登場と、どこからかライズ王国の兵士たちにかけられた防御魔法に、にわかに敵軍の士気が上がったことに彼は焦っていた。
 カルラは、聖女の杖が威力を失くした分も、強力な魔法を使い続けた無理が身体に堪えていた。疲労の滲む身体に鞭打つようにしながら、苦々しい思いをこらえて頷く。

「はい、ネイト様」

 余裕がなくなってきた中で、カルラは聖女の杖を振りながら光の攻撃魔法を唱えたけれど、それはいとも簡単にヴィクターに弾き返された。

「カルラ、どうした!?」

 苛立つネイトの声に耐えきれなくなったカルラは、怒りに身を任せて、聖女の杖を思わず地面に叩きつけた。

「この杖、効果が切れたようですわ。もう使い物になりません」
「は? そんなことが……」

 慌てたネイトの視線の先で、地面に転がった聖女の杖が淡い光を帯びる。なぜか感じた不穏な気配に、ネイトの背筋は粟立った。

「カルラ。とにかく、その杖をすぐに拾え!」

 渋々杖に手を伸ばしかけたカルラの前で、杖が奇妙な動きをした。竜の頭部に嵌め込まれている赤い瞳が輝き、杖から生えている翼がゆっくりとはためく。

「きゃあっ!?」

 気味の悪さに後退ったカルラの前で、それまで聖女の杖だったものは、一頭の美しい銀色の竜へと次第にその姿を変えていった。
 恐怖に息を呑んでいた彼女と、驚きに目を瞠る両軍の兵士たちを尻目に、竜は翼を羽ばたくと、ライズ王国軍の後方に向かって滑るように飛んで行く。

「……何が起きているんだ?」

 呆然と竜の向かう先を眺めていたネイトの瞳に、遠く、銀髪の若い女性の姿が映った。

(まさか、あれは……)

 信じられないような気持ちで、近付いてくる銀色の竜を見つめていたのは、アマリリスも同じだった。
 けれど、ネイトとカルラと違ったのは、自分に向かってくる竜が確かに味方だと、そう感じられたことだった。

 赤い瞳でアマリリスをじっと見つめた銀色の竜が、再び淡い光を帯びる。
 気付けば、アマリリスの手の中で、竜は杖の姿へと戻っていた。

 その様子を見ていたロルフが、アマリリスの手にした聖女の杖を眩しそうに見つめた。

「その杖、アマリリスさんのところに、自分から戻って来たんだね」

 アマリリスの背後では、杖を眺めて微笑んだ精霊が、さらに明るい光を放っていた。
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