婚約者に殺されかけた氷の聖女は、敵国となった追放先で幸せを掴む

敵軍の崩壊

 聖女の杖が竜に姿を変えて羽ばたいていき、アマリリスの元に舞い降りた様子を目にしたのは、シュヴァール王国軍の兵士たちも同様だった。
 アマリリスの姿を認めたシュヴァール王国軍の兵士たちから、大きなどよめきが起こる。悲鳴にも似た叫びが、兵士たちから上がっていた。

「あれこそ聖女様だーーアマリリス様だ!」
「どうして、ライズ王国軍にアマリリス様が?」

 アマリリスはすぐに、手にした聖女の杖を振りながら回復魔法を唱えていた。
 眩いばかりの白い光がライズ王国軍の兵士たちを包み込むと、みるみるうちに彼らの傷を回復させる。
 歓喜の声が上がるライズ王国軍とは対照的に、シュヴァール王国軍には衝撃と動揺が走っていた。

「本物の聖女様は、アマリリス様だったんだ!」
「我が国の聖女を、敵軍に渡すなんて……」
「カルラ様は……偽聖女だ!!」

 兵士たちからの凍り付くような視線と非難の声に、カルラの顔は真っ青になっていた。
 混乱に満ちたシュヴァール王国軍に、顔を歪めたネイトの声が響く。

「落ち着け! 我らの軍が優勢なことに変わりはない」

 軍勢の規模を比べれば、シュヴァール王国軍が遥かにライズ王国軍を凌いでいる。
 けれど、兵士たちの士気はすっかり削がれ、ネイトにも疑惑の視線が向けられていた。

(王太子殿下が、アマリリス様を追放さえしていなければ)

 兵士たちは口にこそ出してはいなかったけれど、ネイトには彼らの心の声が聞こえてくるようだった。

 ヴィクターも、空の上から聖女の杖を手にしたアマリリスを見つめている。
 アマリリスは、ざわつくシュヴァール王国軍を前に、師の言葉を思い出していた。

(シュヴァール王国軍の鍵はネイト様とカルラだと、そうヴィクター様は仰っていたわ)

 彼女は聖女の杖を握り直してネイトとカルラを見つめると、シュヴァール王国軍に向かって足を進めながら、神経を集中させて魔法を唱え、杖を振った。アマリリスの呪文に呼応するように、聖女の杖が輝く。
 両軍を覆う空が急に暗くなり、何本もの稲光が走ったかと思うと、ネイトの前に、地面を揺らすような音と共に稲妻が轟いた。カルラが以前、ヴィクターに向かって放ったものとは比べものにならないような威力の稲妻に、ネイトがまたがる馬が驚きに嘶き、馬上からネイトが転がり落ちる。
 その直後、カルラの前にも同様の稲妻が走った。

「きゃああっ!」

 彼女は混乱のあまり、叫び声を上げながら髪を振り乱していた。

 アマリリスは威嚇のために、ネイトとカルラを目掛けて、けれど彼らへの直撃は避けるように、絶妙な塩梅で攻撃魔法を放っていたのだった。

「うわあっ!?」
「逃げろ……!」

 近付いて来るアマリリスの姿に恐れをなして、一人、また一人と、シュヴァール王国軍の兵士たちがライズ王国軍に背を向けて逃げ出し始める。内側から崩壊していく軍を、ネイトは止めることができなかった。

 ヴィクターが、ライズ王国軍に向かって叫ぶ。

「敵は戦意を喪失しています。これ以上戦っても無意味ですから、彼らを深追いしないでください」

 我先にと、ライズ王国軍に背を向けて逃げ出して行くシュヴァール王国軍を見つめていたアマリリスの元に、空からヴィクターが舞い降りた。

「アマリリス、貴女のお蔭で助かりました」

 その一言で、アマリリスには十分だった。彼女は安堵の表情を浮かべると、ヴィクターを見つめて微笑んだ。ようやく、アマリリスは身体から緊張が解けていくのを感じていた。

 そんな彼女を遠目に眺めていたネイトは、思わず唇を噛んでいた。

(……何だ。あんな顔で笑えるんじゃないか)

 ヴィクターに向けられたアマリリスの笑みは、まるで天使のようだった。

 総崩れになった軍と、先に逃げ出していたカルラの後を追うようにして、側仕えの兵に手を引かれて立ち上がったネイトも、悔しげにライズ王国軍に背を向けた。

***

 失意と焦りを胸に帰国したネイトの元に、厳しい表情をしたラッセルがやって来た。

「ネイト王太子殿下」
「……悪いが、後にしてくれないか」

 ラッセルは、疲れた表情のネイトに食い下がった。

「ご帰還したばかりのところ恐れ入りますが、予断を許さない状況なのです」
「何がだ」

 片眉を上げたネイトに、ラッセルが続ける。

「魔物の被害の発生状況です。相次いで、国内に魔物が出ています。国外の侵攻よりも先に、魔物対策に兵を割くべきかと」
「何だって……?」

 ラッセルが被害状況の詳細をまとめた資料をネイトに手渡すと、彼はざっと目を通してから、資料をぐしゃりと握り潰した。

「いったい、どうなっているんだ」

 ネイトが頭を抱える。ラッセルは、少し躊躇ってから彼に尋ねた。

「……アマリリス様の元に聖女の杖が戻ったというのは、本当なのですか?」
「そうだ」

 ぶっきらぼうに答えたネイトを、ラッセルは真剣な瞳で見つめた。

「国内も、その噂で持ちきりです。シュヴァール王国は、聖女をみすみす敵国に手放したのだと。早急にライズ王国と和睦を結び、国内の民の安全確保に努めるのが賢明でしょう」

(くそっ)

 ぎりりとネイトが奥歯を噛み締める。偽聖女だと非難が集まったカルラは、別室に監視を付けて閉じ込めている。
 カルラからは、ネイトに会いたいと幾度も言伝があったけれど、先日の戦でのカルラの姿に、ネイトは彼女に対する気持ちが急速に褪せていくのを感じていた。

(アマリリスさえ、俺の元に取り戻すことができたなら)

 自らの婚約者だった時には、ほとんど目を向けようともしなかったアマリリスだったけれど、彼女の力と、そして初めて見た彼女の笑顔を前にして、ネイトの心は揺れていた。
 さらに、アマリリスがあえて攻撃魔法をネイトに命中させなかったことにも、彼は気付いていた。

(敵である俺さえ傷付けられないアマリリスの優しさは、弱点でもあるからな)

 ネイトはラッセルを見つめた。

「ラッセル、君に頼みたいことがある」

 そう言ったネイトの口角は、薄らと上がっていた。
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