追放された歌姫は不器用な旦那様に最愛を捧ぐ

35.その歌姫は、願いを語る。

 長い物語を紡ぎ終わったエレナは、空を仰ぐ。
 夜の闇を優しく照らす月とその周りに散りばめられた星を見ながら、

「カナリアは、元々は"カリア"の名と意思を継ぐ者、という意味だったの。それがいつの間にか、歌の上手い鳥とかけて"カナリア"という名の歌姫を指すようになった」

 とカナリアの正体を明かす。

「ずっと、歌物語だと思っていた。でも、私の中に確かにカリアとして生きていた時の記憶があるの」

 少し冷たい夜風がさらりと頬を撫で、エレナの黒髪をはためかせ、言葉を攫う。

「神獣の力をその身に宿した瞬間、カリアは"ヒトの理"から完全に外れてしまった」

 流れてくるエレナの声を聞きながら、ルヴァルはエレナの事を"我らが同胞"と呼んだ白い狼の事を思い出す。

「その肉体はヒトのモノでありながら、その魂は神獣の力による"制約"を受ける。その身が朽ちてもなお、輪廻の理に戻る事はできず、カリアとしての記憶を宿したまま繰り返し生を受ける。"歌姫"として音で"綻び"を調律するために」

 そして今代その役目を担っている"カナリア"が自分であるとエレナはルヴァルに告げる。

「だが、歌姫(カナリア)は他にもいただろう?」

 かつて、この国には同時期に幾人ものカナリアが存在した。カリアの魂ごと力を引き受ける存在がカナリアなのだとしたら、そうはならないのではないかとルヴァルは尋ねる。

「カリアの子孫は多かれ少なかれ神獣の加護を受けているの。だから"魔力を歌に込める"程度のことなら、その血を引く子であれば誰でもできるわ」

 それも人の欲によって数を減らし、今では自分ただ一人となってしまったけれど。
 エレナはそっと目を閉じて、カリアと同じセリフをつぶやく。

『人間とは、なんて……欲深いのかしら?』

 と。

「とはいえ、元はヒトの身。代を重ねるごとにその制約は緩み、少しずつカリアは過去の出来事を忘れていった。ヒトの身で全部を抱えることはできなかったみたい」

 エレナはカリア、と呼ばれていた頃の自分の人生に思いを馳せる。
 だが、前世と呼ばれるそれを思い出した今でも、その時の人生でカリアが感じただろう感情は蘇っては来ず、まるで長い物語を読んで知っているだけの他人事のように感じてしまう。

「サザンドラ子爵家にいた頃の私は"エレナ"として、奪われる事に耐えながら生きていることに必死で。他の事を考える余裕なんてなくて、私はただこの国の"カナリア"として務めを果たすだけの存在だった」

 そうして今代のカナリアはカリアの意思を思い出す事もその力を覚醒させる事もなく、魔力回路を焼き切りその"力"を失くした……はず、だった。
 だけど、エレナは思い出してしまった。
 かつての記憶も。
 己が背負った運命も。

「どうしてなのか分からないのだけど、私は、ルルの"音"に"共鳴"するみたい」

 あなたが苦しいと私も苦しい。
 あなたが嬉しいと私も嬉しい。
 そんな風にルヴァルの感情から生じる"音"を通してエレナの中で全てが繋がる。

「もし、私が"エレナ"として、2回目の人生を生きている、って言ったらルルは信じる?」

 エレナは静かに耳を傾けているルヴァルにぽつりとつぶやくようにそう尋ねる。
 自分でも突拍子もない事を言っていると思う。
 だが、この世界に存在する"全ての音"を司る能力を持つカナリアが一度聞いた"音"を忘れることは決してない。
 何度も何度も見続ける"怖い夢"。
 アレは"夢"などではなく、過去の自分に起きた"現実"だ。

「時を経た今もノルディアは、カリアの持つ力を狙っている。その歌の魔法を、魔物を生み出し神獣すら操る事ができる便利なモノだと勘違いして」

 この力はそんなモノではないのに。
 きゅっと唇を噛み締めたエレナは、過去の出来事をルヴァルに告白する。

「1回目の私は、結局カリアの事も神獣から継承した力の事も思い出せなかったのだけれど、神獣の加護を受けている私は、人並み外れた聴力を持っている……と、分かった時には手遅れだったの」

 音の聞こえなど自分にとっては当たり前の事で、他のヒトには聞こえていないのだと違和感を覚えたことすらなかった。
 外部からの情報を遮断するかのように囲われて育ち、比較対象どころかまともに会話をする相手すらいなかったエレナには自分の特異性に気づく機会がなかったのだ。

「偽造通貨を見破った事で、マリナに"耳"の良さに気づかれてしまって。それからは鎖に繋がれてくる日もくる日も"嘘"を見破るための道具にされたわ」

 首に繋がれた鎖の音が今も耳にこだまする。ヒトが嘘をつく時の僅かな"異音"。それが聞き取れたエレナは、拒否することも敵わず道具のように使われた。
 
「偽造通貨から始まるこの国の混乱。その裏には"カナリア"を手中に収めるために、マシール王国を崩そうとするノルディアの存在がある」

 エレナはその過程で知りたくもない国の事情や国を堕とすための計画を聞いてしまった。

「策を巡らせマシール王国に反乱をもたらし、ノルディアは"カナリア"を手にしたけれど、その時の私は"癒しの歌"すら紡げない欠陥品で。あちらの王子様には随分落胆されたわ」

 知り過ぎた自分の最期はとても悲惨なモノだったと、エレナは淡々とした口調でそういうと、片手でそっと自分の喉を撫でる。

「どうして時間が戻ったのか、なんで今度の人生ではこの力が私に宿ったのかは分からない。だけど、これをノルディアに渡してはいけないって事だけは分かる」

 カリアの継いだ神獣の力。それはヒトの扱える範囲を遥かに超えている。

「歌、は"誰かを害す"ための道具なんかじゃない! 私は、そんな事のために歌いたくなんてない!!」

 もう、誰にも、何も奪われなくはない。
 歌を純粋に楽しいと思う気持ちも。
 自分の中に溢れる"音"も。
 何一つ、失くしたくない。それがエレナの心からの願いだった。
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