追放された歌姫は不器用な旦那様に最愛を捧ぐ

5.その歌姫は、いつも通り対応する。

「ルヴァーお前、エレナ様を避けているだろう?」

 執務室で黙々と書類仕事をこなしていたルヴァルにリオレートは静かにそう話しかけてきた。

「なんの事だ?」

 手を止めることなく淡々とそう言ったルヴァルを見ながら、リオレートはこれ見よがしにため息を吐く。
 
「お前はエレナ様をどうしたいんだ?」

 一時を除き幼少期からこの辺境地で共に育ち、年近い兄のようなリオレートは基本的に主人に対しても容赦ない。

「いい加減誰か娶れというから妻を持ったのに、何が不満なんだ」

 リオレートの追求はルヴァルとしては想定の範囲内なので、しれっとそう答えるが、

「ルヴァー、お前この1週間一度でもエレナ様の顔を見に行ったか?」

 冷気を伴い静かに怒っているリオレートの追求は止まらない。
 沈黙したルヴァルを見ながら、

「お前の考えている事を当ててやろうか? 初手でやらかした上に、言葉選びも間違えてエレナ様に合わせる顔がない」

 とリオレートはルヴァルがエレナに会いに行かない理由を上げる。
 否定も肯定もせず沈黙するルヴァルを見ながら、エレナ様がお可哀想ですと侍女たちから全力で猛抗議を受け、責められまくったリオレートは改めて事態の深刻さを認識した。

「ルヴァーお前何のためにエレナ様を娶ったんだ?」

 今までのルヴァルは結婚する気は当分ないと縁談を全て退け、仕事に没頭していた。
 女に擦り寄られるのが面倒だといって、社交シーズンでも国防の任務を盾にろくに社交会に顔を出さずにいた彼が、急に名指しで妻を迎えると言い出した。
 しかも相手は今まで全く関わりのなかった南部の子爵令嬢で。
 その上妻側の持参金を不要とするどころか多額の支度金を渡してサザンドラ子爵を黙らせ、ウェイン侯爵家には魔物討伐のための軍事力の貸し出しによる根回しを行なったのだ。
 話してはくれないが、何かルヴァルなりの事情があるのはリオレートとて察している。

「……ガキの頃、王城で彼女と話したことがある」

 不審に思われないわけがないよな、と苦し紛れにルヴァルはリオレートにそう申告する。
 これは本当の話だ。
 素敵な妻になるのだと婚約者の事を語りながら楽しげに笑い、迎えに来た彼の名を幸せそうに呼んで駆けて行ったエレナはきっと自分の事を覚えてすらいないだろうが。

「まぁきっと初恋とか一目惚れとかいうやつなんだろう」

 神獣に頼まれたなど言えるわけもなく、ルヴァルは適当な単語を並べた。

「嘘下手か」

 言いたくない事は言わなくていいとリオレートは苦笑して、

「ルヴァー相手からの信頼が欲しいなら、言葉と態度を惜しむな」

 リオレートは諭すような口調でルヴァルからペンを取りあげながらそう話す。

「ここにいるのはルヴァーの事を慕っている人間ばかりだし、強さがモノを言う場所だからお前のやり方や態度でも誰も反論しないけど、でもエレナ様はそうではないだろう?」

 自分で分かっているだろうとリオレートはルヴァルに問いかける。

「エレナ様は説明もなく連れて来られたのに、頼りにできるはずの夫が訪ねても来ない。彼女は今、どんな気持ちなんだろうな」

 リオレートに促されたルヴァルは少し思案した後で思い立ったように突然立ち上がる。

「……顔見てくる」

 まぁ既に好感度最悪だろうし、嫌がられるならそれはそれでとルヴァルは割り切る事にした。

「おう、そしてリーファに盛大に怒られてくるがいいさ」

 ようやく重い腰をあげたルヴァルに苦笑したリオレートは、そう言って恭しく主人を送り出した。

「お館様! このようにいきなり来られては困ります。エレナ様にだってご準備というものが」

 ドアを開けると同時にエレナにつけた専属侍女のリーファが咎めるようにルヴァルにそう言った。

「妻の顔を見るのに手順が必要か?」

「今まで放置しておいてどの口がそれを言うんですか!? しかも手ぶらって。お館様、リーファはブチギレ寸前です」

 礼儀がなってないと喚くリーファに構わずルヴァルはエレナの側に寄る。
 エレナはルヴァルの突然の訪問に驚きもせず、表情ひとつ変えなかった。近寄って来たルヴァルを捉えるように紫水晶の瞳が静かにルヴァルの方を向く。
 何か言いたげな青灰の瞳の言葉を聞くためにエレナはゆっくりとした動作でイスから立ち上がると静かにカーテシーをし、そしてルヴァルにけして逆らう気などないのだと示すかの様に両膝をおり床に手をついて頭を深く下げた。
 そんなエレナの行動にルヴァルは驚き、息を呑む。
 流れるような所作での挨拶は貴族令嬢のそれなのに、そのあとのエレナの行動はまるで命令を待つ使用人のようだと彼女を見ながらルヴァルは思う。

「エレナ様。お館様はエレナ様を非難しに来られたのではありませんよ」

 エレナの隣りに膝を折って寄り添ったリーファはすぐさまそう声をかける。
 それでもエレナは微動だにせず、顔を上げようとしない。

「……リーファ、席を外せ」

 硬い声でそう言ったルヴァルに、

「ですが、お館様っ」

 リーファは心配そうな声でそう言って、じっと主人を見つめる。

「悪いようにはしない」

 少し話がしたいだけだとルヴァルはそう言った。
 なお心配そうにエレナとルヴァルの間に視線を彷徨わせたリーファは、ゆっくり頷くとルヴァルに一礼しスケッチブックとペンを手渡して静かに部屋を出て行った。

「顔を上げろ」

 その言葉に従い、エレナはルヴァルの方を向く。向けられた空虚な紫水晶の瞳と目が合いルヴァルは思わず息を呑む。
 エレナの中にあるはずの恐怖も怒りも悲しみも戸惑いも、そこにはおおよそ感情と呼べるものが何一つ映し出されていなかった。
 記憶の中にある子どものころの彼女はこうではなかった。確かに彼女の黒髪も紫水晶の瞳も見覚えのあるものなのに、身体の弱い母の代わりに少しでも早く立派な歌姫になるのだと楽譜を片手に楽しそうに笑っていた面影はもうそこには存在しない。

「いつまでそうしている?」

 両膝を折り両手を床についたままの姿勢から微動だにしないエレナにルヴァルはそう問いかける。
 ルヴァルとしてはいつまでも冷たい床に座っていないで、椅子に座ればいいという意味合いで言った言葉のつもりだった。
 だが、ルヴァルの言葉にピクっと肩を震わせたエレナは、声の出ない唇を小さく動かして再び床に頭を擦りつけるように顔を伏せた。

『申し訳ありません』

 声にはならなかったが、おそらく彼女はこう言ったのだ。
 責めたつもりはなかったが、自分の態度はエレナにとって威圧的過ぎるのだろう。
 小さくまとまったエレナを見下ろしながら、ルヴァルは自分に舌打ちする。だが思いの外静かな部屋に響いたその音を自分に対しての非難だと受け取ったエレナは一層頭を低くした。
 仮にも貴族令嬢として育てられたはずなのに卑屈過ぎるとルヴァルはエレナを前に戸惑いを覚える。

「……何をしている」

 ルヴァルから吐き出された短い言葉を受けて、エレナは身を固くする。

(間違えてしまったかしら)

 サザンドラ子爵家では、エレナは誰に対しても口答えする事を許されていなかった。
 間違えれば容赦なく罵声や暴力が飛んでくる。
 顔を上げろと言われたのに、許しもなく再び伏せてしまった事がルヴァルの気に触ったのだろうかと考え、エレナは躊躇いがちに再び顔を上げた。

(いつも通り、嵐が去るのを待てばいい)

 諦めて、そしてただ耐えるのだ。何も考えず、己を殺し、無駄な抵抗さえしなければ、いつかは終わる。
 それは一時的な終息でしかなく、また繰り返し同じような嵐に見舞われるけれど、それもまたエレナにとっては"いつもの事"だった。

「……酷い顔だな」

 顔を上げたエレナの前に腰を落としじっと彼女を見たルヴァルは淡々とした口調でそう言った。
 整えられているがツヤを失くした黒い髪、表情に乏しく化粧を施してもなお血色の悪さが見て取れる青白い肌、陰る眼力のない紫水晶の瞳、荒れた唇。
 ここに来てからはエレナにつけた侍女達が彼女の世話を焼いているはずだが、それでも虚ろな彼女はどう見ても顔色が悪く不調そうだった。
 カナリアの力を失くしたせいで、生家で冷遇されていたのだろうか? その考えに至り、あり得る話だとルヴァルは納得する。
 使い物にならなくなった人間を切り捨てるなど、貴族の家に関わらずよくある話だ。
 いずれにせよ、あのままエレナをサザンドラ子爵家に置いておく事はできない。
 エレナをあのままサザンドラ子爵家に置いておけば彼女は自分の預かり知らぬところで殺されてしまうのだから。

「床はそんなに居心地がいいか?」

 微動だにせず動かないエレナにルヴァルはそう問うた。
 仮にもこの城の女主人になろうかという彼女がいつまでもそんな所にうずくまっているなんてとルヴァルはエレナを立ち上がらせようと彼女に手を伸ばす。
 するとエレナの表情は全く変わらないのに、彼女の肩が小さく震えた。ルヴァルは伸ばした手を一度止める。一切感情を表に出さない物言わぬ彼女はよく見れば指先が小刻みに震えていた。
 怯えられているのだ、とルヴァルはそこで初めて気がついた。
 当たり前だが、表に現れないからといって何も感じないわけがないのだとルヴァルは内心でため息をつく。
 自分の言動が冷たいものである自覚はある。だが、この城にいる者でそれを気にする人間などいないものだから、いつも通りの対応をしてしまった。
 ルヴァルは床に跪いたまま動かないエレナをそっと抱え上げる。エレナは驚いたように数度瞬きを繰り返したが、やはり抵抗はしなかった。
 そっとソファにエレナを下ろしたルヴァルは傅いて彼女と目をあわせると、

「怖がらせて、すまなかった」

 それだけ告げて振り返る事なくエレナの部屋を後にした。
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