追放された歌姫は不器用な旦那様に最愛を捧ぐ

8.その歌姫は、言葉を紡ぐ決意をする。

 朝目が覚めると、リーファ達が身支度を手伝ってくれる。
 実家にいた頃のエレナには侍女はおらず、むしろマリナやカレンの身支度の手伝いをしていた側だから、本当は自分1人でもできたのだが、

『やっと、やーっと、お館様が奥方様を迎える決断をなさって、私達みーんなエレナ様のお世話ができるのを楽しみにしていたのですよ。どうか私達にお仕事をさせてくださいませ』

 とリーファを筆頭に泣き落とされたのでありがたくお世話になる事にした。

 ここの人達は些細な事でもエレナの意思を汲み取り尊重しようとしてくれる。

「エレナ様、本日のお召し物はいかがいたしましょう? エレナ様はどちらのドレスがお好みですか?」

 リーファが本日の衣装を持ってエレナの前に示す。
 いいと思う方を指でさす。
 たったそれだけの事に躊躇い、2つのドレスの間でエレナは視線を漂わせる。

『お任せします』

 結局エレナが綴った言葉はそれだった。申し訳なさそうに視線を落としたエレナに対し、

「承知いたしました。本日は少し暖かいですからコチラにして、カーデガンをご用意いたします。エレナ様がお嫌でなければ、装いに合わせて髪を纏めさせて頂いてもよろしいですか?」

 リーファは気にする様子も見せず明るい声でそう言って提案する。
 エレナがコクンと頷くととても楽しそうにリーファは笑って了承を告げると他のメイド達に指示を出す。
 結局本日も全て彼女達に任せきりにしてしまった。

(私では飾り甲斐もないでしょうに。こんなに張り切っているこの子達に申し訳ないわ)

 居た堪れない気持ちになりながら、エレナはきびきびと動く彼女達を眩しい気持ちで見ていた。

 2人で雨を見た日から、少しだけルヴァルとの距離が近くなったとエレナは思う。
 あの日、そのまま食事に誘われて以降可能な日はルヴァルと朝食か夕食を共にするようになった。
 ルヴァルと共にするその時間は、生家で見た自分を除く家族が集う食事風景と比べて、とても静かな食卓だった。
 エレナが声を出せず、ルヴァルも口数の多い方ではないから会話らしい会話がない事も多い。それでもエレナはその静かな時間が嫌いではなかった。

(本当に、綺麗な人)

 大人の男の人に綺麗という表現が適切なのかは分からない。でも、静かにカトラリーを扱い食事を運ぶ動作でさえ絵になるのだから、やはり"綺麗"という言葉が一番しっくりくる。
 この麗人が剣を取り、魔法を駆使して魔物を屠ったり、鬼神や戦場の悪魔なんて呼ばれながら諍いの最前線に立っているなんて俄かには信じ難いとエレナは思う。
 いや、実際軽々と魔物を亡き者にしたところをこの目で見ているので、その実力は疑いようがないのだけれど。

(ルヴァル様の周りには、不快な音が一つもない)

 不思議なほどルヴァルの周りは凪いでいて、時間を共にするうちにいつのまにか彼を怖いと思う事もなくなった。

 ルヴァルは自分と変わらないくらい無表情、というか仏頂面に近い事が多いけれど、それは別に怒っているわけでも、不機嫌なわけでもないのだという事を今のエレナは知っている。

(多分ルヴァル様は、少し分かりにくくて誤解されやすい人なんじゃないかしら?)

 そんな事を考えていたエレナの思考は、

「そんなに見られると食べにくいな」

 ルヴァルのその一言でピタリと止まった。
 ルヴァルの事をじっと見過ぎていただろうかとエレナは慌てて視線を手元に落とす。

「なぁ、やっぱりエレナも肉が食べたいんじゃないだろうか?」

 俯いてしまったエレナを見ながら、ふむと頷いたルヴァルは、

「今日はいつもより食べられる量が多いみたいだし、肉食べさせちゃダメか?」

 側に控えているリオレートにそう声をかける。

「ダメです。食べられるって言ってもまだ普通の女性の半分以下です。エレナ様は消化に良いもので身体を慣らしている最中なんですよ」

 ソフィア(専属医)からも厳重に言われておりますのでご理解くださいと、リオレートはルヴァルを嗜める。
 カナリアとして仕事ができなくなってからおよそ半年、エレナの食事事情は悲惨なものだった。働かない者に与えるものはないというカレンの意向で、元々十分とは言えない食事が更に貧相なものに変えられていた。
 そのためエレナの身体は栄養失調を起こしていて、診察したソフィアが激怒していた。
 それからというものエレナの食事は彼女の身体を考えたものに変えられ、少しずつ食べられるものを増やしている最中だ。
 出される食事は病人食とは思えないほど美味しいし、実家にいた時よりもずっといい物を食べさせてもらっているのでエレナとしては全く不満はないのだが。

「いや、でも俺の方をずっと見てたぞ」

「別にエレナ様はお肉が食べたくてルヴァル様を見ていたわけじゃないと思いますよ」

「肉を食わないと力が出ないと思うんだが」

「タンパク質は肉類だけではありません。エレナ様には良質な植物性のタンパク質をお取り頂いています」

「だが、いつまでたってもエレナは粥とかスープばかりじゃないか。肉出してやれよ」

「あのなぁ、ルヴァー。ここに勤めている狩ってきた肉で勝手に宴会始める、寝起きでガッツリ肉食えるうちの戦闘要員(脳筋集団)と、か弱いエレナ様を一緒にするんじゃない」

 ルヴァルがあまりに食い下がるので、エレナの前では主人を立てて敬語で接する事の多いリオレートがぞんざいな物言いに変わる。

「だとしても、エレナは痩せすぎだ。もう少し食事内容どうにかならんのか」

「だから今食べられるようになるための食事療養中なんだって何回言えば分かるんだ、お前は!! 肉で全てを解決できるかーー!!」

 エレナは手を止めたまま目の前で繰り広げられる主人と使用人とのやり取りとは思えない光景を見ながら、驚きで目をパチパチと瞬く。
 母が生きていた時はともかく、エレナの普段の食事に肉類が出る事はなかったので、そもそも肉を渇望する事はないのだが。

(ルヴァル様のこのお肉に対しての絶対的信頼は何なのかしら?)

 言い争う2人を前に誤解を解くべきか否か分からずエレナは視線を彷徨わせるしかない。

「でもなぁ」

「しつこい。また消化不良でエレナ様を寝込ます気か!?」

 初めて食事を共にした日、エレナの食事内容を知ったルヴァルがこのままではいけないと独断で仕留めてきた鹿肉をエレナに食べさせた事を持ち出しリオレートは強い口調でダメ出しをする。

(あのお肉は、確かにとっても美味しかったわ)

 ただ焼いてシンプルに塩をかけただけとは思えないほど美味しいお肉だった。
 だが、残念な事にまだ串焼きを食べるには自分の胃は脆弱過ぎるらしかった。
 ルヴァルに勧められるがまま口にして寝込んでしまいリーファ達に心配された事は記憶に新しい。

「……それは、困る」

 言い淀んだルヴァルは、それ以上言葉を紡ぐ事なく仏頂面のまま食事を再開した。

「エレナ様、どうぞお気になさらないでください。この方は別に不機嫌なわけではありませんから」

 リオレートの言葉にエレナは首肯すると、黙々と食事を進めるルヴァルを見ながらエレナも静かに食事を再開する。
 こんな時、何度かリオレートが解説を入れてくれていたので、エレナも少しルヴァルの沈黙や表情の意味が読み取れるようになっていた。
 多分これは、肉を食べられないエレナに親切心を無下にされたと怒っているのではなく、エレナの身体を心配したり、自分の言動に落ち込んだり、過去の行動を反省したりしている顔だとエレナは解釈する。
 エレナはルヴァルが突然やってきて自分の事を部屋から連れ出し、何の説明もないまま外でルヴァル自ら作ってくれた串焼きを差し出された日の事を思い出す。
 出来上がった串焼きを驚いて見つめ、恐る恐る口に入れたエレナが、その美味しさにまた驚いて僅かに表情を崩したのをルヴァルの青灰の瞳はどことなく自慢げにそして満足そうにこちらを見ていた。

(こんな時、一言でも声をかけられたら良かったのに)

 実家にいたときは、声が出せなくなっても日常生活を送る上では不便さなんて感じなかった。
 元々エレナには発言権などないに等しかったし、家の雑事をこなすのは無言であっても支障なかったからだ。
 エリオットが面会に来た時でさえ、二言三言言葉を落とすエリオットが沈黙に耐えられずすぐどこかへ行ってしまっていたから、僅かな文字を綴るだけで事足りた。
 だが、バーレーに来てから声が出せない事を残念に思う事が増えた。
 
(自分の思っている事を伝えても、怒られない……かしら?)

 側で見ている限り、ルヴァルが誰かをぞんざいに扱ったり、理不尽に怒鳴り散らす所をエレナは見た事がない。
 むしろ使用人達のいいのか、これ? と思うほどの強い物言いでさえ、ルヴァルは許している節がある。
 それは勿論、彼らとルヴァルの間に確固たる信頼関係があるから成り立つのだろうけれど。

「どうした、エレナ?」

 手が止まってしまったエレナを見て、ルヴァルから怪訝そうな声がかけられる。
 この人はすぐ自分の視線や変化に気づいてくれる。その事に暖かい気持ちを覚えながら、エレナは小さく首を振って、スープを口にした。

「無理して食べなくていいぞ。また酷い顔になる」

「言葉の選び方最悪か!! 女性になんて物言いを。顔色が悪いとか体調が心配だとか他に言い方があるだろう!?」

 取り繕わなくなったリオレートとルヴァルのやり取りを聞きながら、エレナは心の中で思う。

(私が素直に伝えても、迷惑がられない?)

 きっと自分がどんな言葉を綴っても、ルヴァルはいきなり出ていけとここから放り出す人ではない。

(お手紙、書いてみようかな)

 誰かを信じて言葉を紡ぐ。それは今のエレナにとってとても大きな決断だった。
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