その執着は、花をも酔わす 〜別れた御曹司に迫られて〜
『指輪が見当たらないが?』
『結婚指輪はしない主義です』
髪を耳にかけながら答える。
『へえ』
彼が静かに笑う。
『昨日の飲み屋では〝ユキ〟と名字で呼ばれているようだったが』
『……結婚前から通ってるのよ』
つい、目を逸らす。
『仕事も旧姓のまま、か』
『え……』
『保険証も名義変更をしていないのか?』
『見たんですか!? ひとのカバンの中身』
名刺や財布の中身を見られたことに、私は抗議というより非難するように言った。
『医者に診せてから家に送るつもりだったからな。住所がわかるものは何も無かったから、うちに連れて来た』
それは確かに荷物を漁る正当な理由……。
そしてここはこの人の家か。
『君が眠っている間にうちの主治医に見せたから大事は無いと思う。睡眠薬の類を口にしたようだ』
何気なく口にした〝うちの主治医〟という言葉に、彼の後ろにある家柄を感じる。
私は小さくため息をつく。
『それは……ありがとうございます。でも、もう帰りますから』
『結婚なんて嘘なんだろ?』
『……』
『花音』

彼が私の髪に触れる。
肌には触れられていないのに、怖いくらい全身が熱くなる。
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