【リレーヒューマンドラマ】佐伯達男のおへんろさん

【何やってるのだオレは…】

時は流れて…

2000年代以降は、目立った乱闘事件などはなかった。

どうにかおだやかに過ごしたいと思いながら、私は生きてきた。

その間に、やめて行った仲間たちの後ろ姿をたくさん見た。

明日は我が身かもしれない…

この最近、私は強い危機感を抱くようになった。

それは、2011年のことであった。

この年は東日本大震災が発生したので、プロ野球の開幕が1ヶ月延期された。

試合数も少なく、試合時間も大幅に短縮された。

この時、私は人生でもっとも大きな岐路に立たされた。

大震災から2ヶ月後の5月初め頃だった。

被災地のミヤギノスタヂアムで開催された東北ブリューワーズ-福岡ペガサスの試合の時だった。

問題は、9回表7-3でブリューワーズがリードでツーアウトフルベースだった。

ペガサスの四番打者が打席に入った。

一ふりで、ホームランが出れば起死回生の同点満塁ホームランになる場面であった。

ブリューワーズの投手は、新人のノンプロ出身のエース投手だった。

初勝利がかかっている試合だ…

その時であった。

(カキーン!!)

ペガサスの四番打者が打った…

打球はレフトスタンドへ…

このとき、私はレフトスタンドの審判を務めていた。

私は『ホームラン!!』と言うた。

7-7の同点になった。

この時、ブリューワーズの監督さんがベンチから出て来た。

レフトスタンドの応援団がふっていた旗にボールが巻きついた…

…と言う抗議があったので、試合は中断した。

ブリューワーズの監督さんは猛抗議したが、球審は試合続行と言うてつづけた。

試合は規定の時間をこえたので、9回引き分けで終了した。

問題は、その後だった。

ビデオ映像を分析した結果、ペガサスの応援団がふっていた旗にボールが巻きついたことが分かったので、ホームランではなくツーベースだったことが判明した。

この結果、勝ち星がつかなかったブリューワーズの新人の投手に初白星が転がり込んだ。

福岡ペガサスは、敗北となった。

朝のテレビのワイドニュース番組のスポーツコーナーのトップでこの問題が伝えられた。

私は、いつも通りにミヤギノスタヂアムのミーティングルームで審判員たちとミーティングをしていた。

その後であった。

審判員のひとりが、私にこう言うた。

「しげみちさん、審判部長がお呼びだよ。」

私は、審判部長に呼び出された。

審判部長は、血相を変えて怒っていた。

あの9回表のホームランの判定のことで、審判部長は怒り心頭になっていた。

審判部長は、怒りを込めながら『お前さんの目は、ふし穴か!?』と言うたあと9回表のホームランの判定ついて私に言うた。

「お前さんは、ルールを理解していないようだな!!このビデオをよく見ろ!!ボールはこの時、応援団がふっていた旗に巻き付いていた…この場合はツーベースで本来入っていた得点は3点だよ!!それをお前さんが勘違いしたので記録がグチャグチャになった!!どうしてくれるのだ!?」

審判部長は、大声で怒鳴った後机をにぎりこぶしでドスーンと叩いた。

「お前さんのせいで、夕べペガサスの応援団が暴徒化した事件が発生した!!…お前さん…そろそろ首を洗って待っていた方がいいぞ!!」

審判部長は、私に解雇をちらつかせる言葉を言うた。

私はこの時、休みたいと思った。

そうは言っても、3連戦中は同じカードで審判をしなければならないので休むことができない…

この日の試合中だった。

私は、福岡ペガサスの応援団席からきついヤジを受けたと同時にものを投げつけられた。

どういう状況であろうが、審判になった以上は逃げることができない… 

この日もまた、大事件が発生した。

6回の裏だった。

東北ブリューワーズがツーアウトランナー2塁の時に、四番打者がタイムリーヒットを打った時だった。

私は、球審を務めていた。

ホームベース上でのことであった。

外野からバックホームが来た。

ペガサスのキャッチャーが走者をブロックした。

私は『セーフ』の判定を下した。

福岡ペガサスのキャッチャーが私に対して『あれはアウトだ!!』と抗議した。

この時、キャッチャーの手が私の体にふれた。

私は抗議は受け付けないと言うたあと『退場だ!!言うことを聞け!!』と福岡ペガサスのキャッチャーを怒鳴りつけた。

それでも言うことを聞かなかったので、私はキャッチャーを右足で5回けとばした。

この試合は、8-3でブリューワーズが勝った。

今度はいい仕事をした…

そう思ったら、また私は審判部長から呼び出された。

私が福岡ペガサスのキャッチャーが言うことを聞かなかったので右足でけとばしたことが審判部長の耳に入った。

審判部長は、ものすごく血相で怒り狂った。

「お前さんがプロ野球の審判をしていたらもめ事ばかりが起こっている!!…お前、なんで福岡ペガサスのキャッチャーに暴力をふるった!?」

私は、審判部長に対してこう言うた。

「あれは…私の体に手が触れたから退場と言いましたが、言うことを聞かなかったのでけりました。」

審判部長はにぎりこぶしでドスーンとテーブルを叩きながら怒鳴り声をあげた。

「なんてことしたのだ!!お前のせいで、けられた選手が負傷したぞ!!…そのうえに、止めに入った選手たち10人も殴りつけたことも聞いたぞ!!…お前はクビだ!!出ていけ!!」

審判部長から『出ていけ!!』と言われた私は、ふてくされた表情で出て行った。

その2日後であった。

私は、プロ野球機構から自宅待機を命ぜられたがどーでもよかった。

その一方で、私は深刻な問題を抱えていた。

東日本大震災が発生した時、私は福島県いわき市にあった家が巨大津波による大火で家を焼かれた…

その上に、住宅ローンがあと17回残っていた。

大震災の5年前に、私は37歳の妻と結婚した。

50前に一児のパパとなった。

資金もないのに無理して一戸建ての家を建てたので、大失敗した…

家をなくした私たち家族は、群馬県にある妻の実家に移り住んだ。

妻の実家での暮らしも、うまくいかなかった。

その上に、今回の不祥事を抱え込んだ。

私は無気力になった。

部屋にこもりきりになった私は、やけ酒をあおっていた。

妻は、私にこう言うた。

「あんた!!お願いだからお給料を入れてよ!!プロ野球の審判が無理なら、別のことでトライしたらいいじゃないのよ!!お願いだから…お給料を入れてよ!!また一戸建ての家を建ててよ…子供のためにも…もう一度トライしてよ…」

そばで聞いていた子供は、ひどく泣きじゃくった。

東日本大震災がなければ…

私たち家族は…

おだやかに暮らして行けたのに…

私は、悲しみと絶望にくれていた。
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