16歳年下の恋人は、そう甘くはなかった
「おい」


男の背後から、いるはずのない別の男の低い声が聞こえた。
それはマヤが一番求めていた男の声。幻聴だろうか。

次の瞬間、マヤの体を圧迫していた重みがなくなったかと思うと、ガタン!!と派手な音が狭いアパートの玄関に響いた。続いて、衣服が地面に擦れる音が聞こえる。

ゆっくりと体を起こすと、東京にいるはずのトオルが、荒々しく息をつきながら自分を見降ろしていた。
見慣れたジャージの上に、ダッフルコートを羽織っている。

「え?トオル…?」

「マヤ」

血が滲んで大きく腫れあがったマヤの左頬に、トオルの視線が引き寄せられる。
その目は大きく開かれ、その表情はみるみる歪んだ。

「マヤ!大丈夫」

マヤに駆け寄り、その腫れた頬にそっと手を触れた。マヤは夢の中にいるような、目の前の男が幻となってすぐ消えてしまうような焦りと恐怖に襲われながらも何とか首を縦に振った。
トオルは顔を紅潮させ、振り返ると、呆然と扉にもたれ倒れている男の胸倉を掴んだ。

「この野郎…」

トオルの呻くような声が静寂の中に響く。
マヤはトオルが激怒するのを見るのは初めてだった。

トオルの肩越しに、怯えた表情でトオルを見上げる上村が見えた。
体の大きさも鍛え方も、自分との違いを目の当たりにして、怖気づいているようだ。

「な、なんでここに…?」

トオルは上村から手を離し、大きく息を吐くと、立ち上がって上村を見下ろしながら言った。

「一緒に警察に行きましょう」

ひっ、と声を上げ、上村は鉄の扉に手をかけて立ち上がり、ドアノブを握った。

その時だった。
ガチャガチャという音と共に、男が握っていたドアノブが勝手に回り、ドアが向こう側に勢いよく開いた。
そこには、アパート前の街灯を背に受け、目をぱちくりさせているユカが立っていた。

「ユカ!」

トオルが叫んだと同時に、女子高生の悲鳴が玄関内に響く。
男の太い腕がユカの首に回っていた。

「きゃあ!」

ユカが泣きわめくと、男は腕に力を入れ締め上げるようにユカを自分に引き寄せた。

「ユカ!」

マヤは叫びながら、体を起こそうとするが眩暈がしてよろめいた。

「俺はもう帰る。このことは口外しないと約束しろ。そうでないとこの娘を…

その言葉の続きを聞くことは永遠になかった。

トオルの長い脚が男の顎めがけて振り上げられ、ドカンッと言う鈍い音の次に、鉄の扉が壊れるかと思うほどの激しい衝撃音が鳴り響いた。
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