元カレ消防士からの爽やかな溺愛 〜厚い胸と熱い思いで家族ごと愛されて〜
 入院準備をするために、一度帰宅した。
 初めて乗るタクシーに、息子のテンションが上がる。
 わーいと叫ぶその姿も、今は母の心を繋いでくれるならと咎めない。

 服やパジャマを袋に詰め、必要なものを買い出しに行く。
 途中で昼食を取るために、ファミレスに入った。
 母は食欲が無いからと、何も注文しない。

「食べようよ、お母さんまで倒れたら大変」

 そんな言葉をかけることしかできないけれど、母は和食の小鉢セットを注文してくれた。
 それから、いつも通りにご飯をもぐもぐと口いっぱいに詰め込む息子を見て、母はそっとご飯を口にする。

「ありがとうね。ちょっとまだ、混乱してて――」

 言いながら、母はゆっくりと口の中のものを咀嚼してゆく。
 こんなに弱々しい母を見たのは初めてだ。

 息子の手前、気を張って泣かないようにしているのかもしれない。
 けれど、「泣いていいよ」なんて、母に向かって言えない。

 あの頃とは違う。
 あんな真っ直ぐな心も、大人ぶった気持ちも、もう持っていない。

 それで、初めて自分にも責任を感じた。
 息子がいなかったら。息子のことを、私が母にお願いしていなかったら。

 もう少し早く、父の変化に誰かが気づいていたら、こんな大事にはならなかったのかもしれない。

 そう思ったら、母になにか言葉をかけるのもおこがましいような気がしてくる。

 私は咀嚼していたハンバーグを、飲み込めなくなってしまった。
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