魔術師団長に、娶られました。
「呼び立てて悪かったな、アーロン。お前のことだから、ぐずぐずしないで結論を出したいだろ。どうなんだ」

 アーロンは、肩で風を切るように進んできて、シェーラの横に立つ。
 並んで歩いた前日と、同じ距離感。

「俺としては今回の件、最初からすべて同意の上、歓迎しかないと再三お伝えしている通りです。あとはシェーラさんが、この結婚に同意なさるかどうかであって。シェーラさん?」

 名前を呼びながら、シェーラへと顔を向けてきた。
 紫水晶のような瞳が、煌めきを零してシェーラを見つめる。

「……………………ッ」

 声にならない悲鳴を上げて、シェーラは一歩後ずさった。
 それまでの平然とした態度が虚勢として崩れ、見る影もなくなっている。
 そのことに、シェーラ自身は気づく余裕すらない。アーロンを前にしただけで、瞳孔が開くほどに体に変調をきたしている、その理由。

(「昨日はお疲れ様でした、ありがとうございました」って、言う場面ですよね……!)

 アーロンとは前夜、初デートとして行儀正しい時間に別れを告げて、まだ丸一日もたっていない。
 だがこうして顔を合わせた以上、シェーラは速やかに適切な挨拶を言うべきだった。
 たった一言くらい、言うのは簡単なはず。普段なら。

「シェーラさん?」

 目を瞠り、首を傾げたアーロン。
 どことなく困惑の滲んだ声で名を呼ばれ、シェーラはその場に崩れ落ちかけた。
 気づいたアーロンが、とっさに腕を伸ばしてその細い体を抱きとめる。
 手足に力の入っていないシェーラを心配したように見下ろし、腕に力を込めた。

「大丈夫ですか?」
「…………ッ、……ッッ!!」

 声にならず、シェーラはただぶんぶんと頷く。
 それから、勢い余ってアーロンを突き飛ばすように腕をつっぱって距離を開け、少し離れた位置から「あのっ!」と叫んだ。その声は、裏返っていた。

「はい。どうしました?」
「わ、わからないんですけど! アーロン様を見たら動悸が……っ。すみません、昨日も思ったんですけど、今日もやっぱり素敵だなって。なんかすごい軽薄なこと言って、ごめんなさい。政略結婚なのに、私だけひとりで盛り上がってるみたいで……。恥ずかしいぃ。こんなはずじゃなかったんですけど、ちょっといま私、アーロン様を直視するのが無理みたいでっ」
「無理……」
「気づいてしまったんですけど、すごくかっこいいので! 緊張するんです! 失礼します!」

 脇目も振らずに執務室を飛び出し、シェーラは闇雲に廊下を走る。

(あああああ、平気なつもりだったのに! いきなり本人を前にしたら全然無理だった!)

 少なくとも前夜別れてから、いまこの場に来るまで、シェーラはうまくやれるつもりだったのだ。
 バートラムや部下であるエリクの前で醜態を晒すことなく「お見合い任務くらい訳ないです」とさらっと余裕で報告するつもりだったのだ。
 本人同席だなんて、想定外。
 無理だった。無理なものは、仕方ない。

 廊下は走らないで! とすれ違いざまの文官に叱責を受けたが「ごめんなさい!!」と叫ぶだけでシェーラは止まらずに走り抜けた。


 * * *


 嵐のような勢いでシェーラが立ち去った後。
 その場に残された三人は、しばし無言となった。
 口火を切ったのは、エリク。

「アーロン様、顔赤いですよ。大変赤くなっています。シェーラ様に負けていないです。はい、真っ赤」

 すかさず、バートラムも尻馬に乗ってはやしたてる。

「大丈夫か? 医務室連れていこうか? それとも自分で回復魔法使うか? いや全部無理かな。原因と症状が『恋』ときた日には」
「僕、アーロン様って女泣かせの悪評の割に純朴なひとじゃないかと思っていたんですけど、まさかこれほどとは。好きな女性から『かっこいい』って言われただけで、耳まで真っ赤とか」

 好き放題に言い合うバートラムとエリクの前で、アーロンはまさしく夕日のように染まった顔を手でおさえて呻いた。

「赤くもなるだろって。なんだよあれ、可愛いな。死ぬかと思った。というかもう死んでるよ俺やばい。き、気持ちとか全然通じてなくて、長期戦になるって覚悟していたのに……」

 バートラムは腹を抱えて笑い出した。



 この後、双方合意のもと、結婚の準備が急ぎ進められることとなる。

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