すずらんを添えて 幸せを
第十章 夏休み
「暑い、暑い、あっつーい!」

私は思わず叫びながら首に掛けたタオルで汗を拭く。

季節は巡り、夏休みがやって来た。

吹奏楽部の私は、野球部の応援演奏で市内の球場に向かっていた。

手には重たい楽器ケース、リュックには大量のペットボトルの水が入っている。

「始まる前から何言ってんのよ。これから炎天下でひたすら吹きまくるのよ?」

隣を歩くフルートパートのくるみが、ほら!と私の背中を押す。

「今日勝てば決勝進出!我が校初の甲子園出場も見えてくるんだからね」

「はーい!魂込めてバリバリ吹きまーす!」

「よろしい」

あはは!と笑いながら、私はくるみと並んで球場に入った。

ゴールデンウイークのあの出来事以来、お姉ちゃんの心臓発作はぴたりと治まった。

いつもなら静岡や山梨で地震があれば必ず発作を起こしていたが、今は全く体調に異変はない。

おそらく今までは、富士山の周辺で地震が起きると、あの女性が子どもとの辛い別れを思い出し、お姉ちゃんを呼び寄せようとしていたのだと思う。

そうそう。
私とお姉ちゃんは、あの女の人を『藤さん』と呼ぶことにした。

由来はもちろん『富士山』だ。
耳で聞くと同じだからややこしいけど。

とにかく藤さんは、今は私とお姉ちゃんを温かく見守ってくれているのだと思う。

そして尊とおばさんも、何やら幸せそうな雰囲気に包まれている。

それはきっと、おじさんを近くに感じられるからだろう。

私も尊のうちに行く度に、写真の中のおじさんに話しかけるのがお決まりになった。

「おじさん、こんにちは!」と挨拶すると、『こんにちは。蘭ちゃん、今日も可愛いねー』と心の中で声がする。

「えへへー、そう?」とデレデレしていると、尊は「ほんとに父さんそう言ってるのか?」と疑ってくるけれど。

とにかく私達は、見えない優しさに包まれながら、平穏な毎日を大切に過ごしていた。
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