その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

54 囁き


 昼からは2人で湖畔を散策したり、サロンでお茶をしたり、のんびりとした休日を過ごした。

 夜はまたあの部屋のベッドで、今度は一度だけ甘やかされるように繋がって、そしてまた抱きしめられたまま眠りに落ちた。


 翌朝は邸に帰宅する道中に視察を何件か組まれていて、朝から強制的にお仕事モードに戻ることになった。


 午後からの視察にはアドリーヌ嬢も合流して、2人きりの、のんびりとしたお休みは終わりを迎えた。


 合流したアドリーヌ嬢と彼は相変わらず、阿吽の呼吸というか……テンポのいいやりとりで、私はただただその様子を見ているしか無かったのだけれど、不思議な事に、そこに昨日までの嫉妬心や疎外感は一切感じることが無かった。


 彼の言葉を信じているから……と言うよりは、そうした穿った見方をしなければ、本当に2人の関係は仲の良い兄妹のようで微笑ましいもので、昨日までいかに視野が狭くなっていたのかを知れば知るほど浅はかだった自分が恥ずかしく思える。

おまけに、昨日の私の言葉を気にしているのか、人前での彼の態度にも随分変化があって……。

多分、私を不安にさせないようになのだろうか/…隙があれば、私の腰を抱いたり手を取ったり。なんだか過保護なほどに私の世話を焼きたがるのだ。


これには、アドリーヌ嬢もめざとく気づいていて。

「まぁ、1日だけのお休みでしたが、とても有意義に過ごされたのねぇ」

と、ニヤニヤ笑いながら私達を交互に見ていた。


「ふふふっ、あんな甘い兄様初めて見ました! 真面目だけの朴念仁だと思っていたのに、きちんと愛情表現をしていて驚きです」

「え⁉︎」

 視察の最終箇所を終えて、アドリーヌ嬢と2人馬車に戻ると、楽しそうに目を細めた彼女がそんな事を言うものだから思わず目を見開いて彼女の顔を見返してしまう。

 彼は少し風を浴びたいと、連れてきている馬に乗っていて、馬車の中には私とアドリーヌ嬢が2人きりなのだ。
どうやら彼女は朝から私達の仲を茶化しながら、この時を待っていたとでもいうように、私を質問攻めにしていたのだ。

 意外そうに驚く私に、彼女は半眼になると。

「あら自覚ありませんの⁉︎ あんなに甘々でティアナ様以外目に入らないというようにしてらっしゃるのに⁉︎」

「そんな目でって……まさか~」
 確かに数日前よりも今日の対応は確かに甘い、それは理解できるが、自覚もなにも私達は契約関係なのだ。

 契約違反ではないけれど、思いがけず私が彼に特別な想いを抱いてしまっただけで、彼が私にそうした特別な感情を抱いていているはずがない。

 たしかに、妻として大切にされているのは分かるし、彼は上手な人だから周りに悟られないように、そう見せているのではないだろうか。

 釈然としない私の反応に、今度はアドリーヌ嬢が驚いたように瞳を丸くする。

「本気でわかっていらっしゃらないの⁉︎兄様も大変ね」

「大変?」
首を傾ける私にアドリーヌ嬢が、瞳をくるりと回して肩をすくめる。

呆れられてしまったらしい。

彼女は私達の契約関係を知らないから、そう思えるのだろうけれど、何も知らない彼女がそう勘違いするくらいならば、私達は本当に上手くやれているのだと思う。

それは、いい事よね。

 そう心の中で安堵していると、不意に馬車が止まって私達は窓の外を見る。

 館まではまだまだ距離があるはずだ。何かトラブルでも起こったのだろうか?
2人で首を傾げていると、外から扉をノックする音がして、外側から鍵が外された。

「ティアナ、ここからしばらく海が望めるんだ。丁度夕日が落ちる頃で眺めが美しいから、良ければ馬に乗らないか?」

顔を出したのは夫で、彼は後方の自身の愛馬を指しながら手を差し伸べてくる。


 彼の愛馬に乗せてもらうことは今まで何度か戯れにはあったものの、こうして道中を行くのは初めてだ。
 不慣れで迷惑をかけて、移動のペースを落としてしまうのではないかと、不安に思っていると、ドンと突然、背中を押される。

「確かにこの時間のドレーフ湾は美しいわねティアナ様ぜひ見ておくべきですわ! 私は少し眠たいので、こちらで寝ておりますので遠慮なくどうぞ!」

 驚いて振り向くのと、彼女の思いがけず強い力でぐいぐい外に押し出されるのは同時だった。

「寒くないようにショールもいるわね!」

 そう言ってストールを彼の手に預けたアドリーヌ嬢に、アレよアレよという間に身柄を移されてしまった。

 結局流れで、馬車を降りた私は、しっかりと肩にストールを巻きつけられ、彼の愛馬に乗せられてしまった。

 もちろん私の後ろにはピタリと彼が座って手綱を握っていて……片方の手は、私の腹に回されている。

「強引に誘ってしまったが、疲れていないか?」

耳元を彼の吐息と低い声が撫で、ドキリと胸が跳ねる。ベッドの中で彼に甘く囁かれるあの瞬間を思い出して、一気に身体が熱くなる。

やだ、なんてはしたない事を……。

ピタリと身体が密着した彼にこの熱が伝わってしまわないだろうか。
慌てて首をフルフルと横に振ると、耳元で彼が安堵したように息を吐いて。

「それなら良かった」

そう言うと、キュッと私を抱きしめるように彼の手に力が入る。


「行こう! ここの景色は本当に綺麗なんだ。どうしても君に見せたくて、このためにこの時間にここを通るようスケジューリングしてもらったんだよ」

そう言って彼が馬を歩かせ始める。

 ふと、視線を巡らせると、馬車の車窓から顔を覗かせたアドリーヌ嬢が、ニコニコしながらこちらに手を振っていて、その口が、ハッキリと動く。


ほ、ら、ね!
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