その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

82 誘い④【ラッセル視点】

リドックの言い分には確かにと頷けるところもある。

しかし正直な所、このような場で、男二人が言い合っていても不毛でしかない事も事実だ。
おそらくこの場で結論など出るはずもない。

どうしたものか……。そう考えていた矢先、部屋の扉をノックする音が聞こえて、先ほどの初老の男性が顔を出す。

「なんだ? 呼ぶまで入るなと言っていただろう」

すぐにリドックの不機嫌な言葉が男性に飛ぶが、彼は「申し訳ありません」と詫びながらも入室してきて礼を取る。

「ロブダート卿のお付きの方が、そろそろお時間だと一度窺って欲しいとのことでしたので」

いかがいたしましょうか? そう問いかけられて俺は努めて彼に穏やかに応対する。

「承知した、すぐ行く。とお伝え願えますか?」

「承知いたしました」
俺の言葉を聞いて、深々と一礼した男性は、リドックの視線から逃れるようにすぐに部屋を辞していく。
それを見送って、未だに扉の向こうへ消えて行った従者を睨みつけているリドックに向き合う。

「申し訳ないが、まだやる事が残っているのでそろそろ失礼するよ。ティアナにもこの話をきちんとして、俺はできるだけ彼女の意思に沿いたいと思う」

ゆっくりとかみ砕くように告げると、リドックは相変わらず納得がいかないような顔でこちらを睨みあげてくる。仕方ない…そう胸の内で息を吐いて、胸ポケットから一枚のカードを差し出す。

「話し合いや用向きがある時は、我が家の執事のクロードという男に話を通してくれ。スケジュール調整や場所の確保もする」

今日のようにゲリラ的に待ち伏せされるのは御免だ。

俺が逃げるわけではないことが伝わったのだろうか、思ったより素直にリドックはそのカードを受け取った。
その対応を彼が理解したと受け取って、俺は踵を返す。
「では、お邪魔しました」

初老の男が開いてくれていた扉をくぐる際に、背中越しに声をかけたものの、リドックからの返答はなかった。

そのまま従者に案内されてオフィスを出て階段を降りると来た時と同様に馬車が待っている。

「申し訳ありません。少し早かったでしょうか?」

俺の姿を見とめ、馬車の扉を開けるために駆け寄って来た御者に俺は頬を緩める。

「丁度良いタイミングだった。助かったよ」

そう告げると明らかに彼はほっとしたように肩の力を抜いた。

長きに渡り付き合いのある彼を信用して、俺はここに来る前に一つの頼みごとをしていた。
頃合いを見て、一度伺いを立てて欲しいと…。
リドックの話の内容にはだいたい検討が付いていたものの、どのような話になるのかは分からなかった。
もし、それが彼と深刻に協議するべき話であったり、きちんと聞かねばならない情報が含まれているものであれば、「大事な話だからもう少し……」と言って引き延ばすこともできる。逆に、さきほどの話のように肝心の本人がいない場で堂々巡りになるような状況であるならば、あっさり打ち切る事ができる。

案の定、彼にこれを頼んでいてよかった。

「帰宅しよう」

馬車に乗り込み、御者にそう告げると、ゆっくり背もたれに背を預けて息をつく。

初見の時と、今日のリドックの様子が違った事には、なんとなしに理解ができたような気がする。
彼はもしかしたら、こちらに戻って来た頃は、世間の噂の通り俺とティアナが相思相愛であったと……そう思っていたのかもしれない。
しかしどこかで、ティアナと接触し、彼女から契約結婚であると聞かされて、状況に乗じて彼女と結婚した俺に怒りを抱いた。だからこうも態度を変えてきたのだろう。
しかし一方的な返せという要求。まるで契約で丸め込んだ俺とは違い自分の元に彼女が来るのが当然という態度。十分な裏付けがあるようにすら感じた。

いや、もしかしたら、あるのかもしれない。あのティアナが契約結婚であると告げたと言うのならば、もしかしたら彼女もリドックの手を取る事を望んでいるのかもしれない。

この後帰宅して、ティアナときちんと話をしよう。そのためにリドックとの話に時間を取られないように小細工をしたのだ。
しかし先ほどとは違い、胸の奥が鉛を飲み込んだかのようにどんよりと重たく感じる。

馬車の揺れが、馴染みのある石畳を走るのを感じる。

リドックのオフィスは住所を見たところではさほどそのようには感じなかったものの。
我が家とは運河を挟んだ反対側のエリアにあった。

時間にすればほんの数分だ。もしかしたらそれもティアナの側にいるために彼が考えてあそこに構えたのかもしれない。

馬車の速度が緩み、馬車が自邸の門を通り抜けた事を理解する。
リドックのオフィスに寄ったものの、今日はいつもに比べたら随分と早い帰宅だ。とはいえ一緒に食事をとる事ができるような時間ではないのだが、それでも彼女はまだ起きているだろう。
とにかく身支度を整えてすぐに彼女の部屋に行って、どう切り出すべきなのだろうか。

あれほど彼女の顔を見る事を楽しみにしていたのに、急に怖くなって来る。
彼女に、リドックとの事を聞いてみて、そして彼女がその通りで、リドックのもとに行きたいと……そう言い出したら、俺はどんな顔をしたらいいのだろうか。
ひやりと背筋が寒くなって、指先が冷たくなるような感覚に見舞われる。

その時、

ゆっくりと馬車が停車して、馬車の扉が開かれる。

そこには

「おかえりなさいませ」

いつものように出迎えに出てきたクロードの隣に、柔らかい愛しい微笑みを浮かべる彼女が立っていた。
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