婚約破棄されたら「血みどろ騎士」に求婚されました
◇
「──公爵令嬢」
「辺境伯様、お迎えいただきありがとうございます」
「こちらから誘ったのだから当然だろう」
観劇に行く当日。日が沈む頃合いに、ルディが馬車で公爵邸まで迎えに来てくれた。
文のやり取りはあったものの、こうして直接顔を合わせるのは実にひと月振りで、アニスは妙に高鳴る胸を押さえつつ笑みを浮かべる。その照れ臭さの滲む笑顔を見てか、ルディも僅かに目尻を下げて微笑んだ。
「本当はもう少し早く会いたかったんだが、なかなか都合がつかなくてな。手紙でも十分と言い聞かせてきたが──やはり本物には敵わん」
白い手袋に包まれた大きな手のひらを差し出して、彼は続ける。
「会えて嬉しい。誘いに応じてくれてありがとう」
「あ……わたくしも、その、久しぶりにお顔が見れて、嬉しく思います」
おずおずと指先を重ねて答えた途端、手を丸ごと包み込むように握られてアニスは驚いた。
しかしその行動は彼も無意識だったのか、ぎゅっと握りしめた手を一瞥して、くしゃりと少年のような顔で笑う。
「悪い。世辞でも貴女にそう言われると、俺は想像以上に浮かれてしまうようだ」
世辞ではありません、という言葉は音にならなかった。彼の飾り気のない、しかしアニスへの想いが込められた素直な物言いに、胸がいっぱいになってしまったから。
はくはくと口を開閉させたアニスは、熱い頬を押さえつつ「辺境伯様は」と小さく呟く。
「わたくしをおだてるのが上手すぎます」
「んん? 本心を述べているだけだが……貴女がそんな可愛らしい顔をしてくれるなら、今後もこの調子で行こうかな」
「へ、辺境伯様」
「ルディと」
「えっ」
重ねた手をくいと引き寄せられ、逃げ道を封じるが如く背中を支えられる。見送りに来たメイドたちがきゃあきゃあと後ろではしゃぐのを聞きながら、アニスは目を白黒とさせた。
「皆が見ております」
「名を呼んでくれればすぐに止めるよ」
「…………る」
「うん」
続けて、と促す優しい相槌。視界の外では握った手がわずかに離れ、指を絡めては大切そうに握り直される。
黒曜の瞳に映る自分の顔は、哀れなほど赤く染まっていることだろう。ひどく恥ずかしいのに、それでも目を逸らすことができなかったアニスは、弱弱しい声で囁いた。
「ルディ、さま」
夜風に攫われてしまいそうなほど小さな声だったが、ルディはその耳でしかと拾ってくれたらしい。満足げに口角を上げては、アニスの火照った頬にやわらかなキスを落とした。
「いつか敬称も取ってくれると嬉しい、アニス」
「!」
「行こうか」
吐息の触れた耳が熱い。アニスは初めて呼ばれた自分の名前にどぎまぎとしながら、半ば夢心地で馬車に乗り込んだ。
「──公爵令嬢」
「辺境伯様、お迎えいただきありがとうございます」
「こちらから誘ったのだから当然だろう」
観劇に行く当日。日が沈む頃合いに、ルディが馬車で公爵邸まで迎えに来てくれた。
文のやり取りはあったものの、こうして直接顔を合わせるのは実にひと月振りで、アニスは妙に高鳴る胸を押さえつつ笑みを浮かべる。その照れ臭さの滲む笑顔を見てか、ルディも僅かに目尻を下げて微笑んだ。
「本当はもう少し早く会いたかったんだが、なかなか都合がつかなくてな。手紙でも十分と言い聞かせてきたが──やはり本物には敵わん」
白い手袋に包まれた大きな手のひらを差し出して、彼は続ける。
「会えて嬉しい。誘いに応じてくれてありがとう」
「あ……わたくしも、その、久しぶりにお顔が見れて、嬉しく思います」
おずおずと指先を重ねて答えた途端、手を丸ごと包み込むように握られてアニスは驚いた。
しかしその行動は彼も無意識だったのか、ぎゅっと握りしめた手を一瞥して、くしゃりと少年のような顔で笑う。
「悪い。世辞でも貴女にそう言われると、俺は想像以上に浮かれてしまうようだ」
世辞ではありません、という言葉は音にならなかった。彼の飾り気のない、しかしアニスへの想いが込められた素直な物言いに、胸がいっぱいになってしまったから。
はくはくと口を開閉させたアニスは、熱い頬を押さえつつ「辺境伯様は」と小さく呟く。
「わたくしをおだてるのが上手すぎます」
「んん? 本心を述べているだけだが……貴女がそんな可愛らしい顔をしてくれるなら、今後もこの調子で行こうかな」
「へ、辺境伯様」
「ルディと」
「えっ」
重ねた手をくいと引き寄せられ、逃げ道を封じるが如く背中を支えられる。見送りに来たメイドたちがきゃあきゃあと後ろではしゃぐのを聞きながら、アニスは目を白黒とさせた。
「皆が見ております」
「名を呼んでくれればすぐに止めるよ」
「…………る」
「うん」
続けて、と促す優しい相槌。視界の外では握った手がわずかに離れ、指を絡めては大切そうに握り直される。
黒曜の瞳に映る自分の顔は、哀れなほど赤く染まっていることだろう。ひどく恥ずかしいのに、それでも目を逸らすことができなかったアニスは、弱弱しい声で囁いた。
「ルディ、さま」
夜風に攫われてしまいそうなほど小さな声だったが、ルディはその耳でしかと拾ってくれたらしい。満足げに口角を上げては、アニスの火照った頬にやわらかなキスを落とした。
「いつか敬称も取ってくれると嬉しい、アニス」
「!」
「行こうか」
吐息の触れた耳が熱い。アニスは初めて呼ばれた自分の名前にどぎまぎとしながら、半ば夢心地で馬車に乗り込んだ。