婚約破棄されたら「血みどろ騎士」に求婚されました
 彼に大声で詰め寄られることなど初めてだった。びくりと肩を揺らしたアニスは、つい彼から距離を取るように後ずさってしまう。
 しかしパトリックはその分だけ歩み出ると、アニスの強ばった手を掴み取った。

「僕は君にとって何だった? 未来の王太子か? それとも忠誠を捧げるべき王家の一人か?」
「そ、それは、いずれも」
「いずれも違う。僕は、君の夫となる男だった」

 アニスは息を呑み、目の前で苦しげな表情を浮かべるパトリックを見詰める。
 夫となる男──それは至極当たり前でありながら、アニスが一度たりとも意識したことのなかった未来だった。 
 幼少期から貴族の務めばかり詰め込まれたせいでもあるが、アニスには「理想的な王太子妃」は想像できても、「パトリックの妻となる自分」は想像できていなかったのだ。
 パトリックは王子で、自分が支えなければならない相手で、国を治める大事な人で……そういった認識の中に、アニス自身との人間らしい関わり方は含まれていなかった。
 アニスが一人の女性であるのと同様、パトリックもまた一人の男性であることを、不思議なほど失念していたのである。パトリックがそれを肌で感じ取り、こうして歯がゆく思う程度には。

「王太子妃教育が始まった頃にはもう分かってたよ。アニスが……僕を弟のように思ってることなんて。でもこのままじゃ嫌だと思って、君に追い付けるようにたくさん頑張ったんだ。僕は弟じゃなくて、男だと、気付いてほしくて」
「……殿下」
「それでも君の僕を見る目は変わらなかった。目の前にいる男はこれから君が一生を共にする相手なのに、どうして特別に感じてくれないんだ、どうして意識してくれないんだって、一人で苦しんでいた」

 それで、とパトリックは言いづらそうに視線を逸らす。

「君を、婚約者から降ろすと言えば……そこまで言えば、僕に追い縋ってくれるんじゃないかと、馬鹿なことを、考えた」
「……。……では、エブリン嬢は……殿下の恋人ではなかったのですか?」
「うん。父親の指示で前々から言い寄って来てはいたけど、それだけだ」

 道理であの騒動以降、エブリンの情報が一切回ってこなかったわけだ。彼女はパトリックが王太子の資格をはく奪された直後、我関せずの態度でさっさと手を引いたのだろう。
 誕生祭ではか弱い女性に見えたが、存外したたかな性格だったらしい。そんな彼女を利用したパトリックも、アニスが思っていた以上に狡い人間で──もう昔の純粋な少年とは全く違うのだと、今更ながら気が付いた。
 これまでパトリックが抱えていた気持ちを初めて知ったアニスは、静かに息を吐いた。

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