嫁いでから一度も触れてこなかった竜人皇帝が、急に溺愛してくる理由
* * * * *
ウィルフレッド・ディ・ドラゴニアは、ドラゴニア帝国の皇帝である。
普段は人の姿を取っているが、本来の姿はドラゴンであり、帝国は人と竜の姿を持つ竜人族の国だった。そして、ウィルフレッドは帝国随一の力を持つドラゴンだ。
ドラゴンの序列は人間と異なり、貴族や王族などといったものはない。あるのは純粋な力による階級制だ。強い者が上に立つ。ただそれだけだ。
皇帝とは、竜人族の中で最も強い者が就く地位。
つまり、ウィルフレッドは最も強い竜人であった。
「陛下、そろそろお世継ぎをお作りください」
「陛下ほどのお方の子であれば、きっと次代の皇帝になれましょう」
「他の者達も陛下のお子を待ち望んでおります」
臣下の言葉にウィルフレッドは眉根を寄せた。
ウィルフレッドとて、出来るならばそうしている。
竜人族は寿命が長い分、子が生まれにくい。だからこそ、種族が絶えてしまわないように子孫を残すことは何よりも大切なことだった。
だが、そう簡単にはいかない理由がある。
力が強いというのは身体的なことだけではない。
魔法を扱う際に使用する、魔力と呼ばれる力が、ウィルフレッドは群を抜いて多かった。
ウィルフレッドは誰よりも魔力量が多かった。……いや、多すぎた。
そのせいで母親はウィルフレッドを産んですぐ亡くなり、物心がつく前までは暴竜のように力の制御が出来なくて周囲に迷惑をかけた。制御出来るようになっても問題があった。魔力量が多すぎて、他者との触れ合いが出来ないのだ。
触れれば相手に魔力が流れてしまい、相手は体調を崩し、魔力過多で最悪、死に至る可能性もある。直接肌を触れ合わせることは相手に負担を強いてしまう。
だからこそ、ウィルフレッドも他者との触れ合いを避け、常に手袋をつけてきた。
もっとも、竜人族は相手の力量をある程度は察することが出来るため、魔力量の多いウィルフレッドに自ら進んで触れようとする者もいなかった。
人間の国である王国は王族や貴族などに魔力持ちが多いけれど、この帝国では民である竜人は誰もが魔力を有している。そのため、ウィルフレッドは成人を迎えて皇帝となって以降、国民から尊敬されると同時にその魔力量の多さから恐れられてもいたのだ。
しかし、子孫は残さねばならない。
「そのためにウィールライト王国から王女をもらい受けたのではありませんか」
名目上は人質ということになっており、本人もそう聞かされているだろうが、ウィールライト国王とは裏で取り引きをしていた。
王女をひとり渡してもらい、王女との間に子が生まれた場合は賠償金を減額する。
その代わり、もし王女が死亡しても、それに対して帝国は一切の責任を負わないと。
……哀れな娘だ。
竜人族ですら耐えられないというのに、人間の娘がウィルフレッドと触れ合い、子を生せば、魔力に耐え切れずに死ぬだろう。竜人族を減らさないため、次期皇帝となる強い竜人を生み出すために、丁度戦争を仕掛けてきたウィールライト王国の王女を犠牲にすると決定した。
王族ならば魔力持ちで、多少は魔力に耐性もあるだろうし、竜人族と人間が子を生しても、竜人族の血のほうが強いのでほぼ純血の竜人の子が生まれる。
ただし、自分がそうであったように、ウィルフレッドと王女の間に出来た子は早産で生まれてくるはずだ。
自分よりも魔力の多い子を胎んで育てていれば、いずれ母胎も魔力過多になり、死ぬ。もしかしたら死んだ王女の体から子を取り出すことになるかもしれない。
……それは、あまりに残酷すぎる。
しかし、話し合い、そうすると決めたのはウィルフレッド自身である。
「そういえば、王女はどうしている?」
そのために迎えたものの、戦後の処理で忙しく、放置していた。
そうでなくとも関心は元よりなかったのだが。
「部屋に引きこもっていらっしゃるそうですよ」
「敗戦国の元王女という立場では、気軽に出歩くことも出来ないでしょうな」
臣下の言葉をウィルフレッドは何とも思わなかった。
「そうか、問題さえ起こさなければそれでいい」
面倒だと思い、最初に威圧的に接したが、それが効いたのかもしれない。
夫婦だからと会いに来られても鬱陶しいので、静かにしている分には構わなかった。
「それで、陛下、どうなさいますか?」
臣下達の視線にウィルフレッドは小さく息を吐いた。
「……今夜、渡りに行くと伝えておけ」
夫婦になった以上、王女もそういったことは覚悟しているだろう。
軽く手を振ると、臣下達は一礼して下がっていく。
そうして、ウィルフレッドは仕事に集中した。
「陛下、まだ執務をなされていたのですか?」
入室した臣下のひとりにそう言われ、我に返る。
ふと窓の外を見れば、もう随分と月が傾いていた。
……ああ、もうこんな時間なのか。
時計を確認すると、あと一時間ほどで日付が変わるところであった。仕事に集中しすぎて時間を忘れていたようだ。
「いや、そろそろ終えようと思っていた」
ペンを置き、立ち上がったウィルフレッドに臣下が言う。
「皇后様がきっとお待ちですよ」
「…………」
王女の下へ行くと伝えてあったことを思い出した。
思わず押し黙ったウィルフレッドに、付き合いの長い臣下が呆れたような顔をした。
「さすがにそれは可哀想ではありませんか、陛下」
ウィルフレッドも少しだけだが罪悪感を覚えた。
「……王女の部屋に行ってくる」
「ええ、そのほうがよろしいかと」
政務室を出て、廊下を歩きながら、ウィルフレッドは自身の妻となった王女を思い出す。
謁見の間で、婚礼衣装に身を包んだ王女は細く、頼りなさそうで、ずっと膝をついたまま少し俯いていた。ベールでハッキリと顔は見えなかったが、婚姻を証明する書類に署名をする手がとてもほっそりとしていたのは覚えている。
緊張していたのか、か細い声で『はい』か『かしこまりました』としか返事をせず、顔を合わせたのはほんの十分程度のことであった。妻を娶ったという実感も当然ない。
……そもそも、適当に娶ったところで愛せるはずもない。
竜人族には『番』という概念がある。人間で言うところの伴侶という言葉に近いが、竜人族の『番』は普通の人間の伴侶とは異なり、その竜人の唯一の相手という意味を持つ。
性格的、身体的、そして運命的に相性のいい相手。
本能的に求める相手が『番』である。
しかも『番』を手に入れた竜人は心身共に安定し、より強くなる。
ウィルフレッドも長年『番』を探し続けた。もしかしたら『番』ならば触れられるかもしれない。ウィルフレッドを受け入れてくれるかもしれない。そんな淡い期待を持って探し回ったが、見つからなかった。
……だが、仕方がない。
大切な存在である『番』だが、見つけられずに寿命を迎える竜人も少なくない。世界中からたったひとりを見つけるなど、それ自体が奇跡としか言いようがない。
会えば分かるらしいが、その機会すら得られず『番』に出会えなかった竜人もいる。
見つけても、既に他の者と結婚している場合もあり、見つけられたからといって手に入るわけでもない。一番いいのは『番』と子を生すことだが、それ以外の者とも子は生せる。ただし『番』との間に生まれる子に比べれば、いくらか力の劣る子になるだろう。
……それでも、皆から望まれている。
ウィルフレッドより多少弱いといっても、他の竜人に比べれば格段に強い子である。次代の皇帝になる可能性も高い。強い竜人こそが必要であった。
王女の部屋に着き、扉を叩く。
もしも眠っていたなら、立ち去るつもりだった。
だが、入室を許可する声が微かに聞こえてくる。
……まだ起きていたのか。
扉を開けると、ベッドのそばに王女が立っていた。
薄暗い中、燭台の明かりに長い銀髪が輝いている。
薄手の夜着姿で心許なさそうに俯く姿は哀れだった。
渡りがあると聞いて、数時間もずっと起きて待っていたところから王女の真面目な性格は感じ取れた。慌てて立ち上がったのか足元は素足である。
薄い夜着のせいか、婚礼衣装の時よりもしっかりと王女の体の形が分かる。出るところはそれなりに出ているが、手首や足首などは驚くほど細い。
ウィルフレッドが掴んで力を込めたら、手首など簡単に折れてしまうだろう。
俯いてあまり顔が見えないが、見目がよくても悪くても、どうでもいい。
王女に近づくと、顔が上げられた。
薄暗い中、視線が合った目は深い青色だった。
緊張しているのか無表情だったけれど、顔立ちは整っている。真っ直ぐな銀髪に青い瞳、色白の肌。王女は思いの外、美しい容姿をしていた。
そして、目が合った瞬間、ウィルフレッドの心臓がドクリと大きく跳ねた。
これまでの人生で一番、心臓が暴れている。
「貴様……」
と言いかけ、心が『貴様などと呼ぶな』と自分を非難する。
「いや、お前は……」
そっと伸ばした手が王女の頬に触れそうになる。しかし、これまで自分が触れた相手がどうなったかを思い出し、手を握った。
……ああ、何てことだ……。
ドクッドクッと心臓はいまだに暴れ回っている。
本能が『この娘だ』と叫んでいる。
王女……いや、彼女は僅かに目を伏せた。
「……覚悟は出来ております……」
初めて会った時と同じく彼女の声は震えていた。
落ち着いた、小さいけれど澄んだ声が耳に心地好い。
……何故、あの時に気付かなかったのだろう。
目の前にいる、敗戦国から奪ってきた彼女こそ、ウィルフレッドの『番』であった。本能が『番が欲しい』と叫ぶ。だが、大事にしたいという気持ちも湧き上がってくる。
ウィルフレッドは伸ばしかけていた手を引いた。
「そう怯えなくても、今夜は何もしない」
気付けば、そう言っていた。
彼女の青い瞳が驚いたように見開かれる。
そして、細い手が薄い夜着の裾をギュッと握った。
「わ、わたしでは、やはり、お役目は果たせないのでしょうか……」
明らかに気落ちする彼女にウィルフレッドは慌てた。
「違う、怯えるお前に無理強いはしたくない」
『番』を無理に抱けば、一時的に欲求は満たされるだろうが、心は満たされない。
ずっと欲していた『番』が目の前にいる。
ウィルフレッド自身、まだその事実に混乱していた。
素肌に触れてしまわないように気を付けながら、そっと、彼女の肩に両手を置く。
「お前はもっと、自分を大事にしていい」
彼女が目を丸くし、戸惑い、そして小さく頷いた。
距離が近いのが落ち着かないのか、そわそわしている姿はまるで小動物のようだ。
「……気遣ってくださり、ありがとうございます」
俯きがちなまま彼女が言う。
それを見てウィルフレッドは罪悪感が増した。彼女が『番』でなければ、今頃は適当に情事を済ませて子を生し、その子を産ませていただろう。そして彼女は死んでいた。
……我ながら最低な男だな。
上着を脱ぎ、彼女の肩に羽織らせる。
ベッドに移動したら警戒させてしまうかもしれない。
「まだ、互いに自己紹介もしていなかったな。こちらで少し話さないか? ああ、室内履きを履いてから来るといい」
ウィルフレッドが燭台を持ち、テーブルに移動すると、彼女は自分の足元を見てから慌てて室内用の柔らかな靴を履いて、ウィルフレッドの向かいの席に座った。
上着がかなり大きかったのか、ずり落ちそうになるのを手で軽く押さえている。改めて、ウィルフレッドは自分との違いを実感した。
テーブルの上に置いた燭台の明かりに互いの顔が照らされる。
彼女の青い瞳が瞬くと美しく煌めいた。
「改めて、俺の名はウィルフレッド・ディ・ドラゴニアだ」
「アイシャ・リエラ・ウィールライトと申します。……どうぞ、アイシャとお呼びください」
アイシャ、と思わず小さく呟いてしまう。
竜人の性だろうか。『番』の名を本人の口から聞き、名を呼ぶ許しをもらえただけで、体が歓喜に打ち震える。
……見つからないのは当然だ。
ずっと探していた『番』は人間だったのだ。
国の中はもちろん、他国も探し回ったが、まさかウィールライト王国の王族であったとは。
「まずは謝罪をさせてほしい。……すまなかった」
ウィルフレッドが頭を下げると彼女……アイシャが驚いた様子で言う。
「陛下が頭を下げられるようなことはございません……!」
「だが、俺はお前……いや、君を放置した。他国に来たばかりの君に高圧的な態度を取った。さぞ、居心地が悪かっただろう……」
最初に『番』だと気付かなかった己を殴ってやりたい気分だ。
あの時気付いていたなら、何日も放置した挙句に世継ぎのための道具にしようなどとは考えなかったし、もっといい環境を用意したはずだ。
……皆にも伝えておかねば。
竜人にとって『番』を見つけるのはとても素晴らしく、祝うべきことで、その後『番』と夫婦になる。今回は順序が逆になってしまったが、アイシャはウィルフレッドの妻であり、他の者に奪われる心配はない。
しかし、いきなり『番』だからと説明しても人間には理解出来ないだろう。
……とにかく、今は関係を修復する必要がある。
「いいえ、わたしは敗戦国の元王女ですから、当然だと思います。……それに陛下は戦後処理や政務などもあったでしょう。わたしは不自由なく過ごさせていただいておりました」
やや小さな声で静かに話す。
俯きがちなのは、ウィルフレッドを恐れているからか。
そうだとしても仕方のない対応をしてきた自覚があるため、それについて指摘など出来ようはずもない。
「そうか。だが、部屋から出ていないと聞いたが……」
「……元々、あまり出歩かないのです」
「そうなのか? だが、部屋にこもっていると飽きないか?」
「王国から持ってきた本を読んで過ごしていました」
……読書が好きなのだろうか?
「本が好きなら、城の蔵書室を好きに使うといい」
「……いいのですか?」
驚いたような、戸惑ったような顔をするアイシャに頷く。
「形式的とはいえ、君は俺の妻だ。城内には行けない場所も、使えない場所もない。自由に歩き回ってもいいよう手配しておこう」
そう言えば、アイシャが目を伏せる。
「……ありがとうございます、陛下」
言葉とは裏腹に、喜んでいる雰囲気はあまり感じられない。
それに名乗ってからもずっと『陛下』呼びのままだ。
……さすがに名前を呼んではもらえないか。
そう思っているとアイシャが言う。
「出来る限り陛下のお手を煩わせないよう、静かに過ごさせていただきます」
そこでウィルフレッドは最初の出会いを思い出す。
形式的な妻で何の期待もしていない。自分を不快にさせなければいい。
そう、確かに告げていた。ウィルフレッド自身の言葉のはずなのに衝撃を受けた。
……違う、いや、違わないが……!!
「っ、そうか……何か必要なものがあれば遠慮せずに言え。形だけとはいえ、皇帝の妻が不自由な暮らしをしているなど、あってはならない」
「かしこまりました」
ウィルフレッドとアイシャの間に沈黙が落ちる。ハッキリ言って非常に気まずい。
アイシャは目を伏せたまま、黙ってテーブルを見つめている。
ウィルフレッドはアイシャの顔を見ているというのに、ほとんど視線が合わず、青い瞳はどこか暗く沈んでいた。
……これ以上ここにいても気を張らせてしまうだけか。
「俺は戻る」
「……かしこまりました」
見送るためかアイシャが立ち上がったけれど、俯きがちなせいで表情が窺えない。
ふと、アイシャがハッとしたように僅かに顔を上げる。
「あ……陛下、上着を……」
羽織っていた上着を脱ぎ、渡してきたので受け取った。
「その、ありがとうございました……」
やはり、やや小さな声だった。
透き通った綺麗な声なのに、自信がなさそうな沈んだ様子を見ていると勿体ないと思う。
「また来る」
そう告げて扉に手をかける。
背後から、アイシャの声がした。
「……お待ちしております……」
それが本心ではないことは分かっていた。
だが、そうだとしても、また来てもいいと許しをもらえただけマシだろう。
……正直、俺が逆の立場であったなら顔も見たくないな。
雑に扱ってしまったことに、ウィルフレッドは頭を抱えたのだった。
ウィルフレッド・ディ・ドラゴニアは、ドラゴニア帝国の皇帝である。
普段は人の姿を取っているが、本来の姿はドラゴンであり、帝国は人と竜の姿を持つ竜人族の国だった。そして、ウィルフレッドは帝国随一の力を持つドラゴンだ。
ドラゴンの序列は人間と異なり、貴族や王族などといったものはない。あるのは純粋な力による階級制だ。強い者が上に立つ。ただそれだけだ。
皇帝とは、竜人族の中で最も強い者が就く地位。
つまり、ウィルフレッドは最も強い竜人であった。
「陛下、そろそろお世継ぎをお作りください」
「陛下ほどのお方の子であれば、きっと次代の皇帝になれましょう」
「他の者達も陛下のお子を待ち望んでおります」
臣下の言葉にウィルフレッドは眉根を寄せた。
ウィルフレッドとて、出来るならばそうしている。
竜人族は寿命が長い分、子が生まれにくい。だからこそ、種族が絶えてしまわないように子孫を残すことは何よりも大切なことだった。
だが、そう簡単にはいかない理由がある。
力が強いというのは身体的なことだけではない。
魔法を扱う際に使用する、魔力と呼ばれる力が、ウィルフレッドは群を抜いて多かった。
ウィルフレッドは誰よりも魔力量が多かった。……いや、多すぎた。
そのせいで母親はウィルフレッドを産んですぐ亡くなり、物心がつく前までは暴竜のように力の制御が出来なくて周囲に迷惑をかけた。制御出来るようになっても問題があった。魔力量が多すぎて、他者との触れ合いが出来ないのだ。
触れれば相手に魔力が流れてしまい、相手は体調を崩し、魔力過多で最悪、死に至る可能性もある。直接肌を触れ合わせることは相手に負担を強いてしまう。
だからこそ、ウィルフレッドも他者との触れ合いを避け、常に手袋をつけてきた。
もっとも、竜人族は相手の力量をある程度は察することが出来るため、魔力量の多いウィルフレッドに自ら進んで触れようとする者もいなかった。
人間の国である王国は王族や貴族などに魔力持ちが多いけれど、この帝国では民である竜人は誰もが魔力を有している。そのため、ウィルフレッドは成人を迎えて皇帝となって以降、国民から尊敬されると同時にその魔力量の多さから恐れられてもいたのだ。
しかし、子孫は残さねばならない。
「そのためにウィールライト王国から王女をもらい受けたのではありませんか」
名目上は人質ということになっており、本人もそう聞かされているだろうが、ウィールライト国王とは裏で取り引きをしていた。
王女をひとり渡してもらい、王女との間に子が生まれた場合は賠償金を減額する。
その代わり、もし王女が死亡しても、それに対して帝国は一切の責任を負わないと。
……哀れな娘だ。
竜人族ですら耐えられないというのに、人間の娘がウィルフレッドと触れ合い、子を生せば、魔力に耐え切れずに死ぬだろう。竜人族を減らさないため、次期皇帝となる強い竜人を生み出すために、丁度戦争を仕掛けてきたウィールライト王国の王女を犠牲にすると決定した。
王族ならば魔力持ちで、多少は魔力に耐性もあるだろうし、竜人族と人間が子を生しても、竜人族の血のほうが強いのでほぼ純血の竜人の子が生まれる。
ただし、自分がそうであったように、ウィルフレッドと王女の間に出来た子は早産で生まれてくるはずだ。
自分よりも魔力の多い子を胎んで育てていれば、いずれ母胎も魔力過多になり、死ぬ。もしかしたら死んだ王女の体から子を取り出すことになるかもしれない。
……それは、あまりに残酷すぎる。
しかし、話し合い、そうすると決めたのはウィルフレッド自身である。
「そういえば、王女はどうしている?」
そのために迎えたものの、戦後の処理で忙しく、放置していた。
そうでなくとも関心は元よりなかったのだが。
「部屋に引きこもっていらっしゃるそうですよ」
「敗戦国の元王女という立場では、気軽に出歩くことも出来ないでしょうな」
臣下の言葉をウィルフレッドは何とも思わなかった。
「そうか、問題さえ起こさなければそれでいい」
面倒だと思い、最初に威圧的に接したが、それが効いたのかもしれない。
夫婦だからと会いに来られても鬱陶しいので、静かにしている分には構わなかった。
「それで、陛下、どうなさいますか?」
臣下達の視線にウィルフレッドは小さく息を吐いた。
「……今夜、渡りに行くと伝えておけ」
夫婦になった以上、王女もそういったことは覚悟しているだろう。
軽く手を振ると、臣下達は一礼して下がっていく。
そうして、ウィルフレッドは仕事に集中した。
「陛下、まだ執務をなされていたのですか?」
入室した臣下のひとりにそう言われ、我に返る。
ふと窓の外を見れば、もう随分と月が傾いていた。
……ああ、もうこんな時間なのか。
時計を確認すると、あと一時間ほどで日付が変わるところであった。仕事に集中しすぎて時間を忘れていたようだ。
「いや、そろそろ終えようと思っていた」
ペンを置き、立ち上がったウィルフレッドに臣下が言う。
「皇后様がきっとお待ちですよ」
「…………」
王女の下へ行くと伝えてあったことを思い出した。
思わず押し黙ったウィルフレッドに、付き合いの長い臣下が呆れたような顔をした。
「さすがにそれは可哀想ではありませんか、陛下」
ウィルフレッドも少しだけだが罪悪感を覚えた。
「……王女の部屋に行ってくる」
「ええ、そのほうがよろしいかと」
政務室を出て、廊下を歩きながら、ウィルフレッドは自身の妻となった王女を思い出す。
謁見の間で、婚礼衣装に身を包んだ王女は細く、頼りなさそうで、ずっと膝をついたまま少し俯いていた。ベールでハッキリと顔は見えなかったが、婚姻を証明する書類に署名をする手がとてもほっそりとしていたのは覚えている。
緊張していたのか、か細い声で『はい』か『かしこまりました』としか返事をせず、顔を合わせたのはほんの十分程度のことであった。妻を娶ったという実感も当然ない。
……そもそも、適当に娶ったところで愛せるはずもない。
竜人族には『番』という概念がある。人間で言うところの伴侶という言葉に近いが、竜人族の『番』は普通の人間の伴侶とは異なり、その竜人の唯一の相手という意味を持つ。
性格的、身体的、そして運命的に相性のいい相手。
本能的に求める相手が『番』である。
しかも『番』を手に入れた竜人は心身共に安定し、より強くなる。
ウィルフレッドも長年『番』を探し続けた。もしかしたら『番』ならば触れられるかもしれない。ウィルフレッドを受け入れてくれるかもしれない。そんな淡い期待を持って探し回ったが、見つからなかった。
……だが、仕方がない。
大切な存在である『番』だが、見つけられずに寿命を迎える竜人も少なくない。世界中からたったひとりを見つけるなど、それ自体が奇跡としか言いようがない。
会えば分かるらしいが、その機会すら得られず『番』に出会えなかった竜人もいる。
見つけても、既に他の者と結婚している場合もあり、見つけられたからといって手に入るわけでもない。一番いいのは『番』と子を生すことだが、それ以外の者とも子は生せる。ただし『番』との間に生まれる子に比べれば、いくらか力の劣る子になるだろう。
……それでも、皆から望まれている。
ウィルフレッドより多少弱いといっても、他の竜人に比べれば格段に強い子である。次代の皇帝になる可能性も高い。強い竜人こそが必要であった。
王女の部屋に着き、扉を叩く。
もしも眠っていたなら、立ち去るつもりだった。
だが、入室を許可する声が微かに聞こえてくる。
……まだ起きていたのか。
扉を開けると、ベッドのそばに王女が立っていた。
薄暗い中、燭台の明かりに長い銀髪が輝いている。
薄手の夜着姿で心許なさそうに俯く姿は哀れだった。
渡りがあると聞いて、数時間もずっと起きて待っていたところから王女の真面目な性格は感じ取れた。慌てて立ち上がったのか足元は素足である。
薄い夜着のせいか、婚礼衣装の時よりもしっかりと王女の体の形が分かる。出るところはそれなりに出ているが、手首や足首などは驚くほど細い。
ウィルフレッドが掴んで力を込めたら、手首など簡単に折れてしまうだろう。
俯いてあまり顔が見えないが、見目がよくても悪くても、どうでもいい。
王女に近づくと、顔が上げられた。
薄暗い中、視線が合った目は深い青色だった。
緊張しているのか無表情だったけれど、顔立ちは整っている。真っ直ぐな銀髪に青い瞳、色白の肌。王女は思いの外、美しい容姿をしていた。
そして、目が合った瞬間、ウィルフレッドの心臓がドクリと大きく跳ねた。
これまでの人生で一番、心臓が暴れている。
「貴様……」
と言いかけ、心が『貴様などと呼ぶな』と自分を非難する。
「いや、お前は……」
そっと伸ばした手が王女の頬に触れそうになる。しかし、これまで自分が触れた相手がどうなったかを思い出し、手を握った。
……ああ、何てことだ……。
ドクッドクッと心臓はいまだに暴れ回っている。
本能が『この娘だ』と叫んでいる。
王女……いや、彼女は僅かに目を伏せた。
「……覚悟は出来ております……」
初めて会った時と同じく彼女の声は震えていた。
落ち着いた、小さいけれど澄んだ声が耳に心地好い。
……何故、あの時に気付かなかったのだろう。
目の前にいる、敗戦国から奪ってきた彼女こそ、ウィルフレッドの『番』であった。本能が『番が欲しい』と叫ぶ。だが、大事にしたいという気持ちも湧き上がってくる。
ウィルフレッドは伸ばしかけていた手を引いた。
「そう怯えなくても、今夜は何もしない」
気付けば、そう言っていた。
彼女の青い瞳が驚いたように見開かれる。
そして、細い手が薄い夜着の裾をギュッと握った。
「わ、わたしでは、やはり、お役目は果たせないのでしょうか……」
明らかに気落ちする彼女にウィルフレッドは慌てた。
「違う、怯えるお前に無理強いはしたくない」
『番』を無理に抱けば、一時的に欲求は満たされるだろうが、心は満たされない。
ずっと欲していた『番』が目の前にいる。
ウィルフレッド自身、まだその事実に混乱していた。
素肌に触れてしまわないように気を付けながら、そっと、彼女の肩に両手を置く。
「お前はもっと、自分を大事にしていい」
彼女が目を丸くし、戸惑い、そして小さく頷いた。
距離が近いのが落ち着かないのか、そわそわしている姿はまるで小動物のようだ。
「……気遣ってくださり、ありがとうございます」
俯きがちなまま彼女が言う。
それを見てウィルフレッドは罪悪感が増した。彼女が『番』でなければ、今頃は適当に情事を済ませて子を生し、その子を産ませていただろう。そして彼女は死んでいた。
……我ながら最低な男だな。
上着を脱ぎ、彼女の肩に羽織らせる。
ベッドに移動したら警戒させてしまうかもしれない。
「まだ、互いに自己紹介もしていなかったな。こちらで少し話さないか? ああ、室内履きを履いてから来るといい」
ウィルフレッドが燭台を持ち、テーブルに移動すると、彼女は自分の足元を見てから慌てて室内用の柔らかな靴を履いて、ウィルフレッドの向かいの席に座った。
上着がかなり大きかったのか、ずり落ちそうになるのを手で軽く押さえている。改めて、ウィルフレッドは自分との違いを実感した。
テーブルの上に置いた燭台の明かりに互いの顔が照らされる。
彼女の青い瞳が瞬くと美しく煌めいた。
「改めて、俺の名はウィルフレッド・ディ・ドラゴニアだ」
「アイシャ・リエラ・ウィールライトと申します。……どうぞ、アイシャとお呼びください」
アイシャ、と思わず小さく呟いてしまう。
竜人の性だろうか。『番』の名を本人の口から聞き、名を呼ぶ許しをもらえただけで、体が歓喜に打ち震える。
……見つからないのは当然だ。
ずっと探していた『番』は人間だったのだ。
国の中はもちろん、他国も探し回ったが、まさかウィールライト王国の王族であったとは。
「まずは謝罪をさせてほしい。……すまなかった」
ウィルフレッドが頭を下げると彼女……アイシャが驚いた様子で言う。
「陛下が頭を下げられるようなことはございません……!」
「だが、俺はお前……いや、君を放置した。他国に来たばかりの君に高圧的な態度を取った。さぞ、居心地が悪かっただろう……」
最初に『番』だと気付かなかった己を殴ってやりたい気分だ。
あの時気付いていたなら、何日も放置した挙句に世継ぎのための道具にしようなどとは考えなかったし、もっといい環境を用意したはずだ。
……皆にも伝えておかねば。
竜人にとって『番』を見つけるのはとても素晴らしく、祝うべきことで、その後『番』と夫婦になる。今回は順序が逆になってしまったが、アイシャはウィルフレッドの妻であり、他の者に奪われる心配はない。
しかし、いきなり『番』だからと説明しても人間には理解出来ないだろう。
……とにかく、今は関係を修復する必要がある。
「いいえ、わたしは敗戦国の元王女ですから、当然だと思います。……それに陛下は戦後処理や政務などもあったでしょう。わたしは不自由なく過ごさせていただいておりました」
やや小さな声で静かに話す。
俯きがちなのは、ウィルフレッドを恐れているからか。
そうだとしても仕方のない対応をしてきた自覚があるため、それについて指摘など出来ようはずもない。
「そうか。だが、部屋から出ていないと聞いたが……」
「……元々、あまり出歩かないのです」
「そうなのか? だが、部屋にこもっていると飽きないか?」
「王国から持ってきた本を読んで過ごしていました」
……読書が好きなのだろうか?
「本が好きなら、城の蔵書室を好きに使うといい」
「……いいのですか?」
驚いたような、戸惑ったような顔をするアイシャに頷く。
「形式的とはいえ、君は俺の妻だ。城内には行けない場所も、使えない場所もない。自由に歩き回ってもいいよう手配しておこう」
そう言えば、アイシャが目を伏せる。
「……ありがとうございます、陛下」
言葉とは裏腹に、喜んでいる雰囲気はあまり感じられない。
それに名乗ってからもずっと『陛下』呼びのままだ。
……さすがに名前を呼んではもらえないか。
そう思っているとアイシャが言う。
「出来る限り陛下のお手を煩わせないよう、静かに過ごさせていただきます」
そこでウィルフレッドは最初の出会いを思い出す。
形式的な妻で何の期待もしていない。自分を不快にさせなければいい。
そう、確かに告げていた。ウィルフレッド自身の言葉のはずなのに衝撃を受けた。
……違う、いや、違わないが……!!
「っ、そうか……何か必要なものがあれば遠慮せずに言え。形だけとはいえ、皇帝の妻が不自由な暮らしをしているなど、あってはならない」
「かしこまりました」
ウィルフレッドとアイシャの間に沈黙が落ちる。ハッキリ言って非常に気まずい。
アイシャは目を伏せたまま、黙ってテーブルを見つめている。
ウィルフレッドはアイシャの顔を見ているというのに、ほとんど視線が合わず、青い瞳はどこか暗く沈んでいた。
……これ以上ここにいても気を張らせてしまうだけか。
「俺は戻る」
「……かしこまりました」
見送るためかアイシャが立ち上がったけれど、俯きがちなせいで表情が窺えない。
ふと、アイシャがハッとしたように僅かに顔を上げる。
「あ……陛下、上着を……」
羽織っていた上着を脱ぎ、渡してきたので受け取った。
「その、ありがとうございました……」
やはり、やや小さな声だった。
透き通った綺麗な声なのに、自信がなさそうな沈んだ様子を見ていると勿体ないと思う。
「また来る」
そう告げて扉に手をかける。
背後から、アイシャの声がした。
「……お待ちしております……」
それが本心ではないことは分かっていた。
だが、そうだとしても、また来てもいいと許しをもらえただけマシだろう。
……正直、俺が逆の立場であったなら顔も見たくないな。
雑に扱ってしまったことに、ウィルフレッドは頭を抱えたのだった。