嫁いでから一度も触れてこなかった竜人皇帝が、急に溺愛してくる理由
 * * * * *

 アイシャの部屋を訪れてから一週間。
 本当は毎日でも会いに行きたいのだが、親しくもない相手に、しかも『お前を愛さない』と言った夫が頻繁に来たら不信感しか抱かないだろう。
「それにしても、まさかウィールライト王国の王女様が『番』だったなんて、ある意味では運がよかったな」
 二日前に戻ってきたばかりの右腕が笑う。
 燃えるような赤い長髪と同色の瞳に褐色の肌をしたこの男、デイル・クラークはウィルフレッドの幼馴染であり、右腕であり、好敵手でもあった。デイルは竜人族の中で二番目に強く、それ故に皇帝となったウィルフレッドの代理として国中の視察によく出掛けている。今回戻ってきたのも報告のためだ。
「だが、俺は彼女に『愛さない』と言ってしまったし、冷たい態度を取ってしまった。今更優しくしても不審に思われるだけだ……」
「ははは、お前ってそういう運はないよな!」
 デイルの言葉がウィルフレッドの胸に突き刺さる。
「とりあえず、皆には『番』だと説明したし、城内で自由に過ごせるよう手配はしたが、全く部屋から出てこない」
「ふぅん? 部屋にこもって何してるんだ?」
「読書をしているらしい。確かに、ここ数日は侍女が蔵書室に本を取りに行くことがあったようだが、彼女自身が出てこないのが気にかかる。どうやら人見知りらしい」
 皇帝であるウィルフレッドが許可を出しているのに外出しない。
 しかも、王国から連れてきた侍女以外とは会おうとせず、兵士達ともほとんど言葉を交わさないらしい。
 アイシャの使用人を増やすよう伝えたが、王女付きの侍女いわく『王女殿下は人見知りで、他人がいると気が休まらないため嫌がるのです』とのことだった。
 確かに思い返してみても、ウィルフレッドの前では常に俯きがちで人見知りをしているようではあった。それ故に王国でも社交の場には出ていなかったそうだ。
「お前、もっと会いに行ったほうがいいんじゃないか? そのままだと永遠に親しくなれないだろ」
 デイルに指摘され、ウィルフレッドは押し黙った。
 会いには行きたいが、不信感を持たれて嫌われるのも怖い。
「とにかく、もう一回会ってみろよ」
「二度と来るなと言われたら?」
「その時は許してもらえるまで頭を下げるしかないな」
 はあ、とウィルフレッドは溜め息を吐いた。
 ……皇帝になっても怖いものがあるとは。
「……ああ、そうしよう」
 午後に訪問してもいいかと訊ねる手紙を書くと、面白がったデイルがそれを届けに行き、しばらくして戻ってきた。
「返事もらってきたぜ」
 手紙は季節の挨拶から始まり、不自由なく過ごせていることへの感謝が綴られ、午後の訪問を受け入れる旨が書かれていた。丁寧でやや線の細い文字が彼女らしいと思う。
「午後の予定は変更する」
「じゃあ雑務はオレがやっといてやるよ」
 事務作業を好まないデイルにしては珍しい。
「ダチが困ってる時は助けるモンだろ?」
 ニッと笑うデイルの姿は昔から変わらなかった。
「ありがとう」
 そう言って、ウィルフレッドは立ち上がった。
 手ぶらで『番』の下に行くわけにはいかない。
 ……さて、何を渡せば喜ぶだろうか。

 午後、手紙に書いた時間通りにウィルフレッドはアイシャの部屋を訪ねた。
 侍女が応対し、室内へと通される。
 アイシャが立ってウィルフレッドを出迎えた。
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます」
 美しい所作で礼を執るアイシャに見惚(みほ)れそうになり、それを隠すようにウィルフレッドは鷹揚(おうよう)に頷いた。
「一週間ぶりだな。暮らしていて、不自由なことはあるか?」
「……いいえ、ございません。皇帝陛下のお心遣いに感謝いたします……?」
 顔を上げたアイシャの視線が、ウィルフレッドの手元に留まる。
 ウィルフレッドの手の中には小さな花束があった。
 城内の庭に咲いていた花で、中心は白っぽく、花弁は美しい澄んだ青色をした花だ。ひとつひとつは小さく控えめで、その慎ましやかな青がアイシャの瞳を思い起こさせたのだ。
 その小さな花束を差し出すと、アイシャが戸惑った顔をする。
「あの、こちらは……?」
 受け取ってよいものか迷っているようだった。
「来る途中、窓から見えたから摘んできた。……ずっと部屋に引きこもっていると聞いたが、何故部屋から出ない?」
 言ってから、しまった、と思った。
 これでは、まるで責めているように聞こえる。
 アイシャもそう感じたのか、俯いてしまった。
「申し訳ありません。……その、出歩くのはあまり好きではなくて……」
「っ、責めているわけではない。ただ、部屋に閉じこもってばかりいるのが不思議だっただけだ。……王国でもいつも部屋で過ごしていたのか?」
「……はい、大体は部屋におりました」
 ……人間の王女はそんなものなのか?
 アイシャの斜め後ろには侍女だろう人間が控えている。
 人間の王侯貴族は使用人を常に控えさせ、護衛もつけるというから、兵士達に警備をさせているが、息苦しくはないのだろうか。竜人族は護衛などつけなくとも己の身は己で守れるので、城の警備などのために兵はいるものの、ウィルフレッドの護衛につく者はいない。
 それに、人間の王侯貴族の娘は異性とふたりきりになるのを(いと)うという。
 侍女がいたほうが安心するのかもしれない。
 シン、と沈黙が落ちる。
 そして、ずっと立ったままであることに気付く。
 とりあえず、花束をもう一度アイシャへ差し出した。
「訪問するのに手ぶらというわけにはいかなかった」
 ……我ながら言い訳じみていて情けない。
 しかも照れてしまってアイシャの顔を見られなかった。
 だが、手の中から花束の感触が消えたため、顔を正面に戻せば、アイシャが花束を大事そうに持っていた。
「……ありがとうございます……」
 (ささや)きのようなお礼の言葉が耳を通り抜ける。
 ほんの僅かにだが、アイシャが目元を和ませた気がした。
「花瓶に活けるよう手配いたします」
 横から伸びてきた侍女の手が、アイシャから花束を奪った。アイシャが一瞬、それを目で追い、そして俯いた。
「……お願いします」
 アイシャが俯きかけた顔を少し上げ、ソファーを手で示す。
「よろしければ、どうぞおかけください」
 花束はメイドに任せたのか、すぐに侍女が戻ってくる。
 ウィルフレッドがソファーに座ると、アイシャはウィルフレッドの向かいにあるソファーに腰掛けた。三人掛けのソファーだが、細いアイシャならば四人でも座れそうだとくだらないことを思う。竜人は男も女も長身なので、帝国の家具は人間のアイシャには少し大きすぎる。
 侍女が用意した紅茶をアイシャが飲む。
 やはり、ティーカップを持つ様子は少し重たそうだった。
 ……家具や食器は専用のものを用意したほうがよさそうだ。
 出された紅茶をウィルフレッドは飲んだ。
 王女付きの侍女は紅茶を()れるのが上手いらしい。普段は紅茶に興味のないウィルフレッドでも、素直に美味いと感じられた。
「外出はあまり好まないと言っていたが、庭を歩くこともしないのか?」
「……散歩はたまにいたします」
「そうか」
「はい……」
 ……会話が続かない。
 アイシャはあまり口数が多くないようだし、ウィルフレッドもそれほど話し好きではないため、会話が途切れる。
 どうしようかと思ったところでアイシャが口を開いた。
「陛下はよく、外出をされますか?」
 たとえ沈黙に耐え切れなかったからだったとしても、こうして質問を投げかけてくれたことをウィルフレッドは喜んだ。
 全く関心がなければ質問などしてこないはずである。
「ああ、政務に疲れた時は庭を散歩したり、城下に出て適当に見て回ったりする」
「……城下に?」
「人間の王侯貴族と違い、竜人は個々が強いから警備は不要なんだ。そもそも貴族という(くく)りもない。最も強い者が皇帝となり、皆がそれに従う」
「そうなのですね……」
 また会話が途切れそうになり、ウィルフレッドは言葉を続けた。
「蔵書室に興味はないか? 庭園でもいいが……」
 アイシャが少し考えるように目を伏せた。
「……薬草園はあるのでしょうか?」
「薬草園? 確かあったはずだが、そんなところが気になるのか? 他の庭園に比べると地味だろう? それにかなり薬草の独特な臭いもするが」
「……昔から、薬草を調べるのが好きだったので」
 初めて、アイシャについて名前以外の情報を聞いた。
 竜人は元より体が強く、病にもかかりにくいので、薬草にはあまり興味がない。もちろん、全く薬がいらないというわけではないので城内に薬草園はあるものの、ウィルフレッドも一、二度様子を見に行った程度だ。
 だが、アイシャが好きだというなら今後は薬草園に力を入れて、薬草を育てさせよう。
「ふむ、薬学に詳しいということか?」
「……いいえ、薬の知識というほどのものではございません。ただ、趣味で少しかじっている程度です。薬師様のように薬を調合することは出来ません」
「なるほど」
 本当に趣味で薬草を調べているらしい。
「薬草を調べて、その薬草で何かしないのか?」
 趣味だとしても調べて終わりというわけではないだろう。
 ふっとアイシャが顔を上げた。
 この部屋を訪れてから、ようやく視線が合った。
「自分で薬草茶を作って飲んでいます」
 今までで一番ハッキリとした言葉だった。
「薬草は色々な効能がありますが、実は葉だけではなく、花や種を使用することもあります。お茶にすると美味しいだけでなく、薬よりも穏やかに薬草の効果を与えることが出来るので体に負担がかからず──……」
 それまでのか細い声が嘘のように朗々と話し始めた。
 驚いていると、こほん、と侍女が咳払いをし、アイシャがハッと我に返った様子で口を(つぐ)む。すぐにアイシャが目を伏せ、謝罪の言葉を述べた。
「……失礼いたしました……」
 その頬が少し赤くなっている。
 アイシャの恥じ入っている姿にウィルフレンドはドキリとした。
 自分の好きなことだと多弁になるのは誰でもあることで、俯いてばかりだったアイシャが目を輝かせて話す姿は微笑ましい。
 むしろ、何故そんなに自信がなさそうなのだろうか。
 王国の第一王女という立場なら、もっと自信を持っているものだろうに、アイシャには自信が全く感じられない。
 ……俺が最初に威圧的に接したからか?
「誰でも、好きなことに関することは語りたがるものだ。俺が訊いたのだから、恥じ入ることはない」
「……寛大なお言葉、感謝いたします」
 また声はか細くなってしまったが、これは気恥ずかしさから来るもののように思う。
 ……薬草に興味があるなら……。
「今度、薬草園に行ってみるか?」
「いいのですかっ?」
 パッと顔を上げたアイシャと目が合う。
 青い瞳がキラキラと輝いていて、美しくもあり、可愛らしくもあった。
「ああ、城内で自由にしていいと言っただろう? だが、様子を見るにひとりでは部屋から出そうにないから、薬草園には俺が案内しよう」
「そんな、陛下に案内していただくなど……」
「気にするな。俺もほとんど行ったことがないから、様子を見に行くついでだ」
 そう答えると、アイシャが考えるように視線を落とす。
 その視線が一瞬、背後の侍女へ向けられたが、侍女は静かに控えているだけだ。
「……では、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか?」
 アイシャに一歩近づいたような気分だった。
「もちろん、俺が誘ったのだから構わない。そうだな、互いに予定が入らなければ明後日、薬草園に行くとしよう」
「はい、わたしは問題ありません」
 アイシャと視線が合い、そして、また青い目が伏せられた。
 ……これ以上は長居しないほうがよさそうだな。
 最初から長時間いて疲れさせてしまうと、次を苦痛に感じてしまうかもしれないし、アイシャの様子からしてウィルフレッドに対してまだ緊張が見られる。
 まだ三度しか会っていないのだから当たり前だが。
 ウィルフレッドは名残惜しさを感じつつも立ち上がった。
「政務があるのでそろそろ戻る」
 アイシャも立ち上がった。
「……本日はお越しいただき、ありがとうございます」
「いや、俺のほうこそ急な申し出を受け入れてくれて礼を言う」
「わたしなんかにお礼など、恐れ多いことでございます……」
 アイシャが俯くと表情が見えない。今、どんな表情をしているのかと気になるが、いきなり顔を覗き込むわけにもいかず、しかし、触れて顔を上げさせるほど親しくもない。
 触れたいと思う気持ちに蓋をして、手を握る。
 触れるのは簡単だが、それでアイシャが体調を崩したら?
 そして、体調を崩した理由がウィルフレッドにあると知ったら?
 ……きっと、アイシャは離れていくだろう。
 今まで、多くの者達がそうだったように。
 アイシャに背を向け、扉に手をかける。
「……明後日、楽しみにしている」
 そして、扉を開けてウィルフレッドは部屋を後にした。

「そういうわけで明後日の午後は薬草園に行く」
 デイルのいる税務室に戻り、報告すると、呆れた顔をされた。
「ウィル、お前……せめて城下に誘えよ」
「あまり外出しないアイシャをいきなり人の多い場所に連れていったら疲れてしまうだろう。出来るだけ長く共に過ごすなら、人見知りのアイシャが疲れないように人気(ひとけ)がなく、本人の趣味でもある薬草を見て回るのが一番じゃないか」
「うーん、まあ、それでいいのか……?」
 デイルが微妙な顔のまま首を(かし)げる。
「薬草園を案内すると言ったら、アイシャは喜んでいた」
「そっか。じゃあ、明後日のことを伝えて、一応手入れをしとくようにとグライフに言っておくか」
 ウィルフレッドが戻ってきたからか、デイルが席を立つ。
「グライフとは誰だ?」
「薬草園の庭師のおっちゃん」
 宣言通り、庭師のところへ行くのだろう。
 片手をひらりと振って、デイルが出ていった。
 ……あいつは何であんなに顔が広いのか。
 誰とでもすぐに親しくなれるのが昔から不思議だった。
「俺も仕事を減らしておくか」
 明後日、アイシャを薬草園に連れていくのだ。
 そのためにも、仕事はある程度終わらせておかなければ。
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