嫁いでから一度も触れてこなかった竜人皇帝が、急に溺愛してくる理由
 * * * * *

 夜、わたしはベッドの上に座ってぼんやり花を眺めていた。
 燭台の明かりに照らされた青い小さな花々は、昼間、皇帝からもらったものだ。初めて見る花だが、控えめな小さな花が可愛らしく、澄んだ青色が美しい。
 皇帝陛下が帰った後、侍女のシャロンには色々と言われた。
「不仲になって殺されても困るけど、仲良くなっても困るのはあなたよ。もし王国でのことやあなた自身のことを喋ったら、乳母の命はないわよ。黙っておくには皇帝とあまり距離を縮めすぎないことね!」
 確かに皇帝陛下と親しくなったら、うっかり口を滑らせてしまうこともあるかもしれない。
 そうなった時、きっと皇帝陛下は激怒するだろう。
 よくも魔力のない無価値な王女を寄越(よこ)したなと王国にまた攻め込んでくる可能性もあるし、それが知られたらわたしは皇帝陛下や人々を騙した罪で首を刎ねられ、わたしのせいで乳母(マーシア)も殺される。
 ……わたしは殺されて当然だけど、せめてマーシアだけは生きてほしい……。
 立ち上がり、花瓶に近づいてそっと花に触れる。
「それにしても花を贈られるなんて。あなたみたいなグズには贈り物なんて勿体ないけれど、所詮、道端に咲いているような花がお似合いってことね」
 花瓶に活けられた花を見て侍女は鼻で笑ったが、わたしにとっては初めてもらった花束だ。
 贈り物という名目で妹や弟から虫の死骸などを無理やり渡されることはあったが、花を贈られたことはなかった。たとえ道端に咲いている花でも、たまたま窓から見えたから摘んだ花でもいい。わたしに渡したいと思って持ってきてくれたことが嬉しかった。
 ……それに、この花はわたしの目の色と同じ。
 マーシアはよく、わたしの青い目を褒めてくれた。
『アイシャ様の瞳はお母君とそっくりの、綺麗な青色ですよ』
 わたしはお母様似で、お母様も銀髪に青い瞳をした、とても優しくて美しい人だったそうだ。
 マーシアは元々お母様の親友だったけれど、お母様が妊娠した時に後宮入りすると聞いて侍女としてついてきたそうだ。お母様の最期を看取ってくれた人でもあった。
 お母様はマーシアにわたしを託し、マーシアはその約束を守って、ずっとわたしの侍女でいてくれた。
 ……だからこそ、マーシアを死なせるわけにはいかない。
 目を閉じ、そして、ゆっくりと呼吸をする。
 ほのかに花の匂いがする。
 ……皇帝陛下を騙し続けるしか、道はないの。
 罪悪感はあるけれど、それしか選択肢はない。
「……大丈夫、上手く出来るわ」
 声に出して自分に言い聞かせる。
 青い花から視線を外し、ベッドに向かう。
 昼間のことを思い出すと胸がドキドキと高鳴るのも、きっと、初めて花をもらって浮かれているからだ。明日になればもうこの高揚感も消えるだろう。

 そうして、薬草園に行く日になった。
 何故か朝からシャロンは苛立(いらだ)った様子で、身支度を手伝う手つきも荒々しかったけれど、午後になり、皇帝陛下が来た時には普段通りに戻っていた。
 それが少し気にかかったものの、下手に口出しをして更に侍女の機嫌を損ね、今度こそ鞭で打たれたら嫌なので黙っておくことにした。
「では、薬草園に行くか」
 部屋に来て早々、皇帝陛下は言った。
 お茶でもと思ったが、わたしもボンネットをつけてもらい、外出の準備を済ませる。皇帝陛下が許可してくれるなら薬草に触れたいので、邪魔になる日傘はいらない。
「薬草園は城の裏手にあるから少し歩くが、問題ないか?」
「……はい、大丈夫です」
 部屋を出て、皇帝陛下の後を追って廊下を歩く。
 その後ろから侍女と兵士達がついてきた。
 ……少し、歩くのが速い……。
 小走りで追いかけると、不意に皇帝陛下が立ち止まった。
 何も言わなかったが、次に歩き出した時はゆっくりとした歩調になっており、小走りにならなくて済んだ。
 ……もしかして、わたしに合わせてくださっている?
 前を歩いているので皇帝陛下の顔は見えないが、明らかに歩く速度は落ちていた。
「薬草を調べるのが趣味だと言っていたが、薬草以外で好きな花などはあるのか?」
 皇帝陛下の問いに少し考えを巡らせた。
 好きな花と聞いて最初に思い浮かんだのは、先日もらった小さな青い花だった。他の花はあまり知らない。
 王国にいた時も、庭園に行くと妹達に会ってしまうため、花を見る余裕もなかった。
「……いいえ、特に好きな花はございません」
「そうか」
 会話が途切れる。話題がないことが申し訳なかった。
 もっと話し上手だったらよかったのだが、今まで、マーシア以外の人とはあまり話す機会がなかった。わたしと話していてもきっとつまらないだろう。
 城の中を抜けて庭に出る。
 ……久しぶりに外へ出た気がする。
 眩(まぶ)しさに少し目を細めながら、皇帝陛下についていく。
 薬草園が城内でもあまり目立たないところにあるのは、やはりどこでも同じらしい。庭園は青々と植物が茂っている。王国の庭園より、自然に近い雰囲気が感じられた。
 城を出てからしばらく歩くと薬草園だろう場所に着いた。
「皇帝陛下、皇后様、ようこそお越しくださいました」
 庭園の出入り口にはくすんだ青色の髪をした老人が立っていた。
「グライフだな?」
「はい、デイル様よりお話は伺っております」
 皇帝陛下と老人が短く会話を交わし、皇帝陛下が振り返る。
「薬草園の管理人だ」
「グライフと申します、皇后様」
 老人が礼を執る。皇后と呼ばれることに違和感を覚えつつ、わたしも礼を返した。
「……アイシャと申します、グライフ様」
「ははは、私のような者に様付けなんてとんでもない。一使用人にすぎないので、どうぞグライフとお呼びください」
「……分かりました」
 穏やかで優しそうな老人だった。
 その時、横から大きな咳払いがした。
「グライフ、ここの薬草は触れても害はないか?」
「ええ、こちらの庭園は触れても問題のない薬草のみを育てておりますので、欲しいものがあれば摘んでいただいても構いません」
「だそうだ。……欲しい薬草があれば採っていくといい」
 老人は皇帝陛下とわたしを見た後、微笑んだ。
「私は少々足が不自由ですので、中のご案内は出来ませんが、陛下とごゆっくりご覧ください」
 そう言って、老人は少し足を引きずるようにして近くの小屋に消えていった。
 それを見送っていると、皇帝陛下に声をかけられた。
「中へ入ろう」
「……はい」
 促されて、薬草園の門を(くぐ)る。中では色々な薬草が育てられていた。
 見たことのあるものも多いが、初めて見るものもあり、それらの薬草を眺めているだけで楽しくなってくる。手袋を外して薬草にそっと触れる。瑞々(みずみず)しい葉や茎の様子から、大切に育てられているのが分かった。
「知っている薬草か?」
 皇帝陛下の問いに頷いた。
「これはラムソルといいます。薬草ですが、料理や化粧水などにも使えると本で読んだことがあります」
「薬草を料理に使うのか?」
「はい、パン生地に混ぜたり、肉料理に使ったりすると、より美味しくなるそうです。王国では薬草を料理に使うことは珍しくありませんでした」
 王国では、薬草のいくつかの種類は料理に使う香辛料として扱われているが、帝国ではそうではないらしい。
 ふむ、と皇帝陛下が考える仕草をする。
「帝国では薬草を料理には使わないな。まあ、竜人は人間より感覚が鋭いから、我が国では好まれないのかもしれない」
 その推察に、なるほど、とわたしは納得した。
 人間でも好みが分かれるので、嗅覚が鋭い竜人には薬草の香りが強すぎるのだろう。思えば、帝国の料理はあまり複雑な味付けがされていないし、味自体も王国の料理に比べると薄い。嗅覚だけでなく味覚も敏感だとしたら、王国のような濃い味付けの料理は竜人には食べにくそうだ。
「だが、少量なら試してみる価値はあるだろう。いつも似たような味付けばかりで少し飽きていたところだ。他に、料理に合う薬草はあるか?」
 言いながら、皇帝陛下がわたしの横で(かが)み、薬草を摘む。
 それに少し驚いてしまった。
「……いくつかございますが……」
「では、それを探してみよう」
 立ち上がった皇帝陛下に釣られて、わたしも立ち上がる。
 皇帝陛下は辺りを見回し、そして、少し困った顔をした。
「……どれも同じに見えるな」
 薬草を見慣れていないとそうだろう。昔のわたしも、薬草を見分けるのが苦手だった。
「葉の形や茎の分かれ方を見るとよいかと。薬草の中には、同じ種類だけど、異なるものが多くありますので」
 わたしの言葉に皇帝陛下が近くの薬草をジッと見つめる。
 集中しすぎて眉間にシワが寄っている。それでも違いが分からなかったのか、また屈んで眺め始めた。
「難しいな……」
「……わたしも、見分けられるようになるまでに時間がかかりました」
「そうなのか」
 立ち上がった皇帝陛下が、手の中にあるラムソルを見る。
 小首を傾げているので、多分、どれも同じ植物のように感じているのだろう。
 薬草園の中を歩き、眺めながら目的のものを探す。
「……あの、竜人族は肉と魚と野菜でしたら、どれがお好きなのでしょうか?」
「肉。本来がドラゴンだからな」
 皇帝陛下の即答に、また納得した。
「それでしたら、先ほど採ったラムソルに、エマイス、エガス、マロジャン、リサーブ辺りがよろしいかと思います」
 話しながら、見える範囲にある薬草を指差すと、皇帝陛下が少し慌てた様子で「待て」と止めてくる。
「ひとつずつ教えてくれないか?」
 わたしが指差したほうを見て眉をひそめ、どこか途方に暮れているようにも見える姿は、何だか年上には感じられなくて少し微笑ましい。
 薬草に近づき、指差してみせる。
「これがエガスです」
「エガス」
「はい。そして、こちらがマロジャン」
「マロジャン」
 わたしの後を追って、皇帝陛下が薬草を摘む。
 最後のリサーブを摘んだところで、屈んだ皇帝陛下が小さく(うな)り、手で頭を掻く。
「エガス、マロジャン、エマイス、ラムソル、あとリサーブ……って、全部交ざってる……くそ、どれも緑ばっかりだ」
 だが、言葉とは裏腹に真剣な眼差しで薬草を見る皇帝陛下の横顔は少し幼い。乱れた髪には、手に付いていたのだろう土が付着していた。
「陛下、御髪(おぐし)が……」
 思わず手を伸ばし、そっと黒髪に触れると、意外とサラサラとしていて癖がなく、簡単に土を落とせそうだった。
 しかし、バシリと手を振り払われた。
 驚いた表情の皇帝陛下と目が合い、後悔する。
 つい、勝手に触れてしまった。
 怒らせてしまっただろうかと思ったが、わたしが謝罪するより先に、何故か皇帝陛下が慌てて立ち上がると謝ってきた。
「っ、すまない、驚いてしまって……手は大丈夫かっ?」
 振り払ったわたしの手を見て、皇帝陛下の手が戸惑うように宙を彷徨(さまよ)う。
 ……怒ってはいないみたい。
 それにホッとしつつ、わたしは頷いた。
「はい、問題ありません。……わたしこそ急に触れてしまい、申し訳ございませんでした」
 急に後ろから触れられたら、誰だって驚くだろう。
 マーシアと薬草園でよく薬草を摘み、汚れを落とし合っていたので、汚れを見て反射的に手が伸びてしまった。
「ああ、いや、それは構わないが……」
 皇帝陛下がジッとわたしを見て、眉根を寄せた。
 怒っているというより、戸惑っているふうだ。
「その、具合が悪くなってはいないか? 頭痛や吐き気、倦怠感(けんたいかん)などは?」
 その問いに疑問を感じながらも首を横に振る。
「いいえ、特にはございません。……薬草の匂いなどには慣れておりますので、これくらいであれば大丈夫です」
 そう答えると皇帝陛下は「そうか」と呟いて、黙った後、手元の薬草に視線を向けた。
「何ともないならいい」
 微妙な空気が漂う。
「それで、この薬草達を使うと肉が美味くなるのか?」
「あ……はい、使い方については王国より持ってまいりました本がありますので、お帰りの際にお渡しいたします」
 皇帝が目を(しばたた)かせた。
「いいのか? 本がないと困るだろう?」
「わたしは内容を覚えておりますので……」
「そうか。それなら少しの間、借りるとしよう」
 空気が元通りになり、ホッとしながら皇帝陛下に声をかけた。
 薬草園の中には長椅子があり、休憩のため、皇帝陛下と並んで腰掛ける。
 皇帝陛下は手の中の薬草が気になるらしく、指先で葉先を(いじ)っていた。
「……それはリサーブです。艶のある葉が楕円形で可愛らしいのが特徴です」
「ああ、確かに他より葉に丸みがあるな」
 何かに気付いた様子で皇帝陛下がリサーブの葉を眺めた。
 他の薬草を摘み、訊いてくる。
「これはラムソルだよな? 葉が細い」
「はい、その通りです」
「アイシャが最初に教えてくれたから覚えられた」
 正解したことが嬉しかったのか、皇帝陛下が笑う。
 その笑顔はやや幼くて、間近で見てしまったわたしの心臓がドキドキと早鐘を打つ。
 だが、少し離れた場所に控えるシャロンの姿を見て我に返る。
 ……親しくなりすぎてはいけないのに。
 思わず俯いてしまった。
「どうした? 疲れたのか?」
 皇帝の問いに、わたしは頷いた。
「……はい、少し疲れてしまったようです……」
「そうか、無理はよくない。部屋まで送ろう」
 皇帝陛下が立ち上がったので、わたしも立ち上がる。
 そうして、薬草園の外に出ると管理人がいた。
「これを厨房に届けて保管しておいてくれ」
「かしこまりました」
 薬草を管理人に渡して皇帝陛下がこちらを振り返る。
 わたしが歩き出せば、皇帝陛下もゆっくりとした歩調で城へと向かう。会話はなかったが、わたしが離れると皇帝陛下は立ち止まり、追いつくとまた歩き出す。
 どう考えてもわたしの存在を意識して歩いていた。不思議な感覚だった。
 会話はないのに、互いに相手との距離を感じている。
 行きよりも短い時間で部屋に着いた。
「後はゆっくり休め」
 部屋の前で皇帝陛下が振り向いた。
「……はい、お気遣いありがとうございます」
 何となく、今、皇帝陛下の顔を見てはいけないと思った。
 よく分からないが、顔を合わせたら後悔する気がした。
「また今度、薬草について教えてくれ。本はその時に貸してくれればいい。……今日は楽しかった」
 その言葉にハッと顔を上げて皇帝陛下の顔を見てしまい、予想外の柔らかな微笑みに胸がギュッと痛んだ。
 皇帝陛下は「まだ政務があるから俺は戻る」と言って背を向け、廊下の角を曲がって消えていく。それを見送ってから部屋に戻っても、まだ、胸が苦しいように感じられた。
 侍女はわたしを着替えさせると早々に出ていった。
 ……わたしといて、楽しかったなんて……。
 嘘だと、冗談だろうと思いたいのに、あの柔らかな微笑みを思い出すと胸が苦しくなる。
 そんなふうに言ってくれるのは、わたしの人生ではマーシアしかいなかった。
 そんなふうに言ってくれる人を、わたしは騙し続けなければいけない。
「……ごめんなさい……」
 どうすれば、この罪悪感は消えるのだろうか。
 最初は冷たい人だと感じたが、本当はそうではないのかもしれない。
 ……ずっと冷たいままならよかったのに。
 わたしはどうしたらいいのだろうか。
< 6 / 11 >

この作品をシェア

pagetop