嫁いでから一度も触れてこなかった竜人皇帝が、急に溺愛してくる理由
 皇帝陛下と薬草園に行ってから一週間。わたしはずっと部屋に引きこもっていた。
 また今度と言われたものの、皇帝陛下はあれ以降わたしの部屋を訪れず、手紙もなかった。
 ……気紛(きまぐ)れだったのね。
 先日のことは忘れようと思っていたところに来訪者があった。
 鮮やかな赤い髪に同色の瞳をした、褐色の肌の男性で、どこか野性みを感じさせる顔は整っている。背は皇帝陛下と同じくらいだろうか。がっしりとした体つきである。
 皇帝陛下の手紙を以前、持ってきてくれたのもこの人だった。
「よう、お姫さん。改めて、オレはデイル・クラーク。ウィルフレッドの幼馴染で、まあ、右腕みたいなモンだな。この前は挨拶もしないで悪かった」
 と、軽い調子で挨拶をされて驚いた。
「……は、初めまして、アイシャと申します……」
 どうぞ、とソファーを勧めたが、手を振って断られた。
「あ〜、いや、遠慮しとく。それより、今ウィル……皇帝陛下は体調を崩しててな、お姫さんのところに来られないんだ」
「まあ、そうだったのですね……」
 てっきり、もうわたしに興味がなくなったのだと思っていたが、体調を崩しているのなら手紙ひとつないのも頷ける。
「……皇帝陛下の体調がよくなられることを願っております」
 わたしの言葉にデイル様が何故か困った顔をする。
「それなんだけど、お姫さん、皇帝陛下の見舞いに来てくれないか? あいつ、ずっと『次も約束したのに』って無理しようするんだ。そのせいで余計に具合が悪くなってさ」
「そんな……」
 チクリと胸が痛む。
 ……わたしは自分のことばっかり考えていたのに……。
 皇帝陛下が体調を崩しているなんて知らなかった。
「……しかし、わたしが伺ってはご迷惑をおかけしてしまいます」
 体調を崩しているのに、行っても困らせるだけだ。
 だが、デイル様が「待て待て」と言葉を重ねた。
「迷惑になんてならないって。どうせあいつのことだから、『弱っている姿を見せるなんて恥ずかしい』とか何とか言って、見舞いに来てほしいなんて絶対に言わないからな。むしろ、こういう時こそ誰かがそばにいてくれたほうが嬉しいってモンだろ?」
 デイル様の言葉に、ふと幼い頃を思い出した。
 風邪を引いて体調が悪い時、心細くなって泣いたわたしをマーシアは頭を撫でたり手を握ったりして慰めてくれた。温かなマーシアの手に安心したことを覚えている。
「……そう、ですね……確かに、具合が悪い時にひとりは心細いです……」
 あの頃も、薬がなくても、ただ手を握ってくれるだけで苦しさが軽くなる気がした。
「だから、お姫さんには見舞いに来てほしいんだよ」
 侍女が小さく咳払いをする。
「恐れながら、皇帝陛下はご病気でいらっしゃるのでしょうか?」
 侍女の問いかけにデイル様が首を振った。
「病ではない。お姫さんにうつるものじゃあない。たまたま体調を崩しているだけだ」
「そうでございましたか。失礼いたしました」
「いや、侍女としては主人の心配をするのは当然だ」
 シャロンは微妙な顔をしている。行かせてよいか考えているのだろう。近づきすぎないためにも行かないほうがいいとは分かっているのに、皇帝陛下のことが気になってしまう。
 ……陛下も、心細くなったりするのだろうか。
「……分かりました」
「おお、助かる。じゃあ今から行こうぜ」
「えっ……」
 お見舞いの贈り物すら用意していないのに。
 デイル様が部屋を出てしまい、慌てて追いかける。
 城の廊下を歩き、今まで立ち入ったことがないほど奥へと進んでいく。恐らく、皇帝陛下の居住区なのだろう。
 やがて、ひとつの扉の前でデイル様が立ち止まった。
「ここが皇帝陛下の寝室だ。……ああ、侍女は入らないように。寝室に入っていいのは夫婦だけだ」
「しかし、王国では王侯貴族の娘が異性とふたりきりになるなど……」
「夫婦ならいいだろ?」
 とデイル様にシャロンは止められた。
 デイル様を見るとウインクを返される。
「とりあえず中に入って様子を見てやってくれ。ああ、寝てるから、あんま触らないようにな」
「はい、かしこまりました」
 そうして、兵士が扉を開けてくれたので室内へ入った。
 背後で静かに扉が閉められる。
 カーテンが閉め切られた薄暗い部屋は広く、扉から少し離れたところに天蓋付きの大きなベッドが設置されている。皇帝陛下の部屋にしては豪奢さがなかった。
「……失礼いたします、陛下」
 そっと声をかけてみたけれど、返事はない。
 静かにベッドへ歩み寄り、天蓋の中を覗けば、皇帝陛下が眠っていた。
 熱が出ているようで、頬が少し赤くなっており、汗も掻いている。(ひたい)から布がずり落ちかけていた。起こさないように布に触れると(ぬる)かった。
 ベッドのサイドチェストの上には桶があり、綺麗な水が入っている。少し水に触れてみると冷たかった。布を浸し、絞って、形を整えてから皇帝陛下の額にのせた。
 熱のせいか少し息苦しそうな様子が心配だ。
 ……お医者様にはもう診てもらったのかしら。
 きっと診てもらったのだろうけれど、解熱薬などは出されなかったのだろうか。
 ベッド脇に置かれた椅子に腰掛ける。
 起きるかと思ったが、しばらく待ってみても目を覚ます気配はなく、そもそも話せるような状態ではなさそうだった。皇帝陛下の手がシーツを強く握り締めている。
 荒い息をしているのが可哀想で、子供の頃の自分を思い出した。
 ……デイル様はあまり触れないようにとおっしゃっていたけれど。
 そろりと皇帝陛下の手の甲に触れる。やはり熱い。
 シーツを握る手の上から、わたしの手を重ねる。
 わたしよりもずっと大きな手はとても熱かった。
「大丈夫ですよ、陛下……大丈夫」
 わたしの手の冷たさが心地好かったのか、陛下の手がシーツを離し、わたしの手を握った。それにドキリとしてしまう。掌の皮膚が硬い。
 ギュッと握り返せば、反射なのか弱く握り返される。
 皇帝陛下の熱が伝わってきているのか、少し体がぽかぽかと温かくなるが、決して嫌な感覚ではなかった。
 ……早くよくなりますように。
 空いているもう片方の手で陛下の頬に張りつく髪を()けていると、金色の目が僅かに開かれる。ぼんやりしていて、焦点の合っていない目がわたしを見た。
 何も言わないので、あまり意識がハッキリしていないのかもしれない。
「……すぐによくなりますよ」
 そう声をかけると、皇帝陛下が目を閉じる。疲労しているのか寝息を立て始めた。
 ……わたしはどうしたいのだろう。
 親しくなってはいけないのに、皇帝陛下から声をかけられなかったこの一週間ずっと、心のどこかで『明日は手紙が来るのでは』『会いに来てくれるのでは』と期待してしまう自分がいた。
 心も頭もぐちゃぐちゃになる。こんな気持ちは初めてだった。
 ……いつもなら簡単に諦められるのに。
 いじめられても、馬鹿にされても、笑われても、どんなに苦しかったり悲しかったりしても、仕方がないと諦めることが今までは出来たのに。
 この人が笑いかけてくるから。次も笑いかけてくれるのではと期待してしまう。
「……陛下、お許しください……」
 それから一時間ほど皇帝陛下の寝室で過ごした。
 皇帝陛下の熱が下がってきたようなので、部屋を出れば、控えの間にシャロンとデイル様がいた。出てきたわたしを見て、デイル様が声をかけてくる。
「ウィルフレッドは起きたか?」
「……いいえ、よく眠っておられました」
「そっか。……起きてくれたほうがよかったんだけどな」
 デイル様がどこか残念そうな顔をする。
 そのことに首を傾げていると、デイル様が手を振った。
「いや、何でもない。急に悪かった」
「いいえ、こちらこそお気遣いいただき、ありがとうございます」
 恐らく、デイル様は皇帝陛下の現状をわたしに教えることで、声をかけられないのは事情があるからだとわたしに知ってほしかったのだろう。
 その後、デイル様が部屋まで送ってくれた。
「お姫さんに看病してもらったって聞いたら、あいつも喜ぶ」
 とデイル様は言っていたけれど、どうだろうか。
 ……喜びはしないと思う。
 デイル様が怒られないといいのだが。
「じゃあまたな、お姫さん」
 そう言って、デイル様は帰っていった。
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