エリート外交官は溢れる愛をもう隠さない~プラトニックな関係はここまでです~
「…………」


 不意に、朔夜さんの纏う空気が変わったように思えた。笑みが消えた端整なかんばせは、少しこわいほど。それでも私は、なぜか動けない。

 早鐘を打つ自分の心臓の音を、どこか他人事のように聞いていた。目が合ったまま、朔夜さんの顔がゆっくりと近づいてくる。

 ふわ、と知らない男のひとの匂いが鼻腔をかすめたそのとき。わずか十五センチほど先の距離で、彼が動きを止めた。

 それから不意にこつ、と額を人差し指で小突かれ、私の肩が大袈裟にはねる。


「ひゃ、」
「……陽咲は、そんなこと考えなくていい」


 思わず額に片手をやりながら呆然とする私に、半身を起こした朔夜さんが笑ってみせる。


「今俺は、陽咲がいてくれて助かってるし、……今までもずっと、陽咲たちに世話になってきたんだ。だからこれくらい贈らせてもらわないと、割に合わない」


 ──割に合わないのは、こちらのセリフだ。

 そう返したいのに、朔夜さんの微笑みは有無を言わさない雰囲気があって、それ以上私は言い募ることができなかった。

 彼は『陽咲“たち”』と言った。それはつまり、兄も含めているということだ。

 お兄ちゃんの話を持ち出されると、私は弱い。だから本音では納得したわけではないけれど、ひとまず「わかりました」と答えた。

 朔夜さんが、ホッとしたように目もとを緩める。


「……まだ、時間はあるな」


 そうして彼は腕時計にちらりと視線を落としてから、再び私と目を合わせた。


「せっかくだから、陽葵とご両親のところに顔出してくるか」


 その申し出に、今度は迷いなく私は首肯した。
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