乞い果てて君と ~愛は、つらぬく主義につき。Ⅲ~
やっと氷が溶けた。柄Tシャツの胸元にとん、と額をくっつける。名前を忘れた香りがする。片腕で抱き締められた温もりがじんとする。

「俊哉が戻ったら総代の古希祝いより派手な誕生会やって、そのまま新婚旅行な。待たせる分、内緒のヘソクリ全部出してすげー豪華にするから許して」

へそくりって。思わず力が抜けた。

「・・・すっごい豪華だったら許そっかなぁ」

「待つ楽しみ増えたろ」

笑った気配に顔を上げた途端、やんわり食まれた唇。ワルツを踏むみたいなキスが降り続く。体半分持ってかれるみたいな心許なさを押し殺すように、すき間を埋めるように、絶え間なく。

二人ともわざと冗談めかして、意地を張る。榊はきっともっと意地張ってる。どうってことないって、だから見送りもいらないって。

切りがなくなりそうなキスはおでこで締めくくられ、並んで歩きだした。

「俊哉が抜けてるあいだ、宮子に事務所手伝ってもらわねーと」

ようやくいつもの真らしく。そうだよね、送り出して終わりじゃない、止まってられない。等間隔で松葉杖を突く音がひっそり響く。

「お茶くみでもコピーでも、何でもやるよ?これでも元OL だもん。パソコンは簡単なのしか覚えてないけど」

「使えるヤツいねーから助かる。ついでに教えてやって」

「授業料高いからねぇ」

おどけて笑うと、月もない濁った闇空をまた仰ぐ。
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