俺様レーサーは冷然たる彼女に愛を乞う

 彼の父親を深く愛するがゆえに息子である彼の記憶を手放してしまった母親のこと。
 それでも、産んでくれた母親をずっと愛している彼の気持ち。

 『本気にならない男』として有名だった彼の恋人であったことも。
 そんな彼の子供を宿して、彼の許可なく勝手に産んだことも。

 心を許す存在をつくらないと徹底していた彼だから、妊娠したと知ったら捨てられると思った。
 『付き合う』のと『家族になる』のとでは次元が違う。
 F1で例えるなら、フリー走行と決勝レースくらいの違いがあるから。

 退院した後、彼に会いに行くこともできたけれど。
 突き放されるかもしれないという恐怖心に打ち勝てなかった。

 だから、父親には記憶が曖昧だということにしている。
 記憶があると分かったら、孫の認知を彼に求めるんじゃないかと不安でたまらなかった。

 視界に彼を捉えて、恋しさと愛おしさと嬉しさが溢れ出して来る。
今すぐにも駆け寄って、抱きつきたい。

 ゆっくりと歩み寄る彼をじっと見据える。
 彼がここに来た理由は何だろう?

 2年前に勝手に消えたことへの罵倒だろうか。
 父親から出産したことも、ここにいることも知らされて、文句を言いに来たのか。
 それとも、今でも変わらず想ってくれているのだろうか。

「こんにちは、笹森 羽禾さん。初めて会った時から、その瞳に惹かれた男、司波 瑛弦と言います」
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