俺様レーサーは冷然たる彼女に愛を乞う
ポールの友人が経営しているペンションを訪ねる。
この時期はオフシーズンということもあって、旅行客は殆どいない。
彼女が来たか、オーナーに尋ねてみたが、今日は俺以外誰も来ていないという。
来るのが遅かったのか、行き違いになってしまったのだろうか?
ペンションを後にした瑛弦は、海を見下ろす小高い丘へと。
「いた」
オレンジ色に染まる水平線を眺めている彼女を視界に捉えた。
「羽禾」
俺の声に反応して振り返った彼女。
けれどその表情からは、2年ぶりに目にした恋人への恋しさは感じられなかった。
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『羽禾』と艶気のある低めの声音が鼓膜を掠める。
声のした方に振り返ると、レーシングスーツ姿の彼がいた。
1年9ヶ月前に、脳腫瘍摘出手術を受けた羽禾。
術後間もない頃は記憶が曖昧で、毎日反芻するように記憶の神経衰弱をして過ごした。
日記やアルバムと一緒に残されたレコーダーにはエンジン音が録音されていて、それを聞く度に胸が締め付けられた。
そして、日記と一緒に残された1冊のノートには、びっしりと書き綴られた文字があった。
『忘れてはダメ 忘れてはダメ 忘れてはダメ……』
延々と丸々ノート1冊に綴られた文字。
それを目にして、消えかけていた記憶がよみがえった。