『愛のため、さよならと言おう』- KAKKO(喝火) -
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 だいぶ酔いも回って浮かれ気分になった頃、彼がクイっと親指で入り口を指し
『部屋取る?』って聞いてきた。


 私は高級時計をした彼の手元に視線を這わせた。


 見ると、綺麗な手の形状と腕時計をしていてほどよく綺麗な肉付きの腕が
無性に色っぽく感じられ、大人の男になった彼は私をどんな風に扱ってくれる
のだろうか、と彼の誘いに興味をそそられた。


 私は気持ちを抑え気味に装い、少し頷いた。


 バーの入っているホテルの一室にIN.
 部屋に入るや否やキスが落とされ言葉もなく行為が始まる。

 動作の途中で彼に『スキンどうする?』と聞かれた瞬間、私の気持ちの中に
ずるい思いが立ち込めた。


 石田さんの子供を妊娠できるかどうかは神のみぞ知る……だ。

 早瀬くんとの間にできた子でもいい。

 石田さんには黙っていれば分かるまい。
 ばれることは恐れてない。


 もともと石田さんは人のもの。
 手に入るか入らないか、妊娠がひとつの切っ掛けになるかもしれない……し、
ならないかもしれない。

 やってみなければ何事も分からないのが人生だ。



「早瀬くん、今独身? 奥さんいるなら付けといてもらおうかな」


「いないさ」


そう言うや否や……彼は行為を進めていった。




 終わりを迎えた後、各々手早く身の処理をし再びベッドに沈んだ。

 お互い緩く抱き合う形でしばらくの間余韻を味わう。

 5分10分15分……。

 それは味わい足りなくても味わい過ぎてもいけない時間。


 
 阿吽の呼吸で私たちは一つから二つになり、帰りの身支度に取り掛かる。



          ◇ ◇ ◇ ◇




 早瀬くんがドアを開けてくれてホテルの部屋を出る時

「もし秋野さんが妊娠したら俺、責任は取るから」そう呟いた。



「ありがと。いい人なんだね」



『責任取るから』と言って帰って行った人。


 結婚するとは一言も言ってはいないけど、心からいい人だなって思った。


 次彼と会う日は来るだろうか、私はプラットホームの椅子に座り
電車を待ちながら、ぼんやりと誰にともなく問うた。



  早瀬との時間が百合子の心の奥底に横たわっていた悲しみを徐々に
溶かしていくことを感じながら。




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