シャンパンをかけられたら、御曹司の溺愛がはじまりました
 彼の感触の残った唇を押さえて、閉じたドアを見つめる。

(挨拶代わりにキスをしないでほしいわ。私はそんなに割り切れないの……)

 深い溜め息をついて気を取り直した⼀花はさっそく浴室へ⼊った。
 髪の⽑も肌もべとついて気持ち悪かったのだ。
 ふと鏡を⾒て、愕然とする。
 シャンパンで化粧がまだらに剥げているし、髪はべっとりと顔に貼りつき、ひどい恰好だったのだ。
 颯⽃にこんな姿を⾒られていたのかと思うと、恥ずかしくてならない。

(これを⾒て魅⼒的って⾔うなんて、颯⽃さんは趣味が悪いんじゃない? それかリップサービスね)

 頭の中で⼋つ当たりめいた⽂句を⾔いながら、⼿早くシャワーを浴びた。
 シャンパンを洗い流し、髪を乾かして、すっきりした⼀花はバスローブをまとう。
 ここのバスローブはタオル地で、下着もつけているので、前ほどしどけない恰好にならなくてほっとする。
 ドレスも洗いたかったが、⽔洗いしていいかわからず、とりあえず丁寧にシャンパンを拭き取るだけにしておいた。
 そうしていると、チャイムが鳴り、ホテルの従業員らしき⼥性が服を届けてくれる。
 代わりに汚れたドレスを持っていってくれた。
 颯⽃の指⽰でクリーニングに出してくれるらしい。
 相変わらず、気が利く⼈だと思いつつ、ありがたく服を着替えた。
 それは空⾊の上品なワンピースだった。
 颯斗と一緒に行ったときに見た葉山の空を思い出す。
 ⼩さなパーティーバッグにかろうじてグロスだけ⼊っていたので、それをつけてホテルを出る。
 颯斗はゆっくりしていってもいいと言っていたが、一花は一刻も早く自宅へ帰りたい気分になっていた。精神的に疲れたのだ。

「これでおしまいね」

 豪華なホテルを振り返って、⼀花はつぶやく。
 自分とは遠い世界。そこで颯斗は生きている。

 ――手の届かない人……。
 
 今日、パーティーに出席して、改めて思った。
 出会ったときのトラブルと恋人のふりがなければ、近寄ることもなかっただろう。

「次は仕事でこういうところに来れるように頑張ろう!」

 しんみりしてしまった気分を変えようと、無理やり⾃分のテンションを上げてみた。
 家に帰って、なにげなく会社のスマートフォンを見てみたら、パーティーが始まって以降、着信はなく、本当に終わったのだと実感した。
 明⽇は⼟曜⽇。いつもの藤河邸の装花がある。
 このところひそかに楽しみになっていた⽇が今は⼼に重くのしかかった。
 あきらめないといけない人に会うのはつらい。

(颯⽃さんに会いたくないなぁ。でも、会いたい)

 矛盾した想いが胸を焦がす。
 彼の家ひとつ取っても住む世界が違うのは明白だ。
 恋人のふりが終わった今、一花がそこに入っていくことはできない。それなのに、つい彼のことを考えてしまう。

(まぁ、考えてもしかたないか!)

 うじうじ悩むのは好きではない。
 ⼀花は⾸を振って、想いを頭から追い出そうとした。
< 49 / 83 >

この作品をシェア

pagetop