シャンパンをかけられたら、御曹司の溺愛がはじまりました
 食事が終わり、後片づけは自分でやると主張した一花は皿を洗いながら、そろそろお暇しなくてはと考えていた。
 師匠も自分も明日には仕事がある。
 もう九時近くだから、さすがに颯斗も帰宅しているだろう。
 皿を拭いてしまっている小木野に話しかける。

「師匠、私、そろそろ――」と言いかけると、小木野も颯斗のことを考えていたようで、彼女の言葉にかぶせるように唐突に言い出した。

「私が彼を追い払いましょうか? 私の大事な人につきまとわないでくれって」
「え?」

 一花は戸惑って師匠を見つめる。

(大事な人って……。あっ、わかった!)
 
「恋人のふりってことですか?」

 いつもの誤解を招く言い方だと思い、一花は笑った。
 自分に恋人のふりを頼んできた颯斗に、師匠がふりで対抗してくれるという状況におかしくもなったのだ。
 しかし、小木野はいつものようには笑わず、真剣な目でじっと一花を見る。

「いいえ、私は真実にしたいと思ってますよ」
「えっ、真実?」

(恋人のふりを真実に? それって……)
 
 師匠が言わんとしていることが信じられず、まじまじと一花は彼を見返した。そんなはずはないと。
 すると、小野木はふっと目を逸らし、気まずげな表情になる。

「こんなときに言うのは卑怯かもしれませんが、黙っていられなくなりました」

 なにをと問いかける前に、小木野はふたたびまっすぐ一花を見つめた。
 そのいつにない熱いまなざしにハッとして声が出せない。

「私はあなたが好きです。彼と揉めているならあなたを守りたい」

 それはさっきまで一花が想定もしていなかった言葉だった。
 そして、なにより颯斗から聞きたかった言葉だとも思ってしまった。

(うそでしょう? 師匠が私を?)

 驚きに固まった一花を見て、小木野は苦笑した。
 彼女をなだめるように言う。

「あなたが私をなんとも思っていないのは知っています。どれだけ口説いても無反応でしたからね」
「え、あの、だって、私……」

 混乱した一花はうろたえて挙動不審になる。
 まさか今まで紛らわしいと流していた言葉を小木野が本気で言っていたとは思わなかったのだ。

(私、師匠にすごく失礼なことしてた……?)

 今思い起こしてみたら、みんなにからかわれることがあっても、師匠はにこにこしているだけで否定はしていなかった。それを一花はあり得ないから相手にしていないだけだと思っていたのだ。
 それが違ったとは衝撃的だった。
 あまりに鈍い自分が情けなくなってくる。

「そんな顔をしないでください。あなたを困らせるだけだとわかっていたから、本当は言わないでおこうと思っていたのです。でも、我慢しきれなかった……」
「困ってなんかいません」

 こんな素敵な人が自分を好きだと言ってくれるなんて、信じられないだけだった。
 小木野は一花に微笑みかける。
 
「それでは望みはゼロではないんですね」
「あの、えっと……」

 師匠と恋愛関係になるなんて想像もつかなかった一花は口ごもる。それに、彼女の頭の中はまだ颯斗に占められていた。
 いくらフラれているとはいえ、そんな状態で彼の気持ちに応えることなどできない。
 そう言おうとした一花の唇をそっと人差し指で塞いで、小木野は言った。

「すぐに返事がほしいわけではありません。ただ、私の気持ちを知っていてほしかっただけで。それに断られたとしても今の関係を変えようと思ってませんから安心してください。それとは別に、彼とのトラブルを解消できるのであれば、恋人のふりでもなんでもしましょう」

 それを聞いて一花は悟った。
 彼女がその気持ちを受け入れても受け入れなくても、師匠はこのまま付き合いを続けてくれると言っていて、しかも颯斗との問題の矢面に立とうとしてくれているのだ。
 優しい師匠に胸が詰まるとともに、煮え切らない自分の態度に申し訳ない気持ちになる。

(ちゃんと考えなきゃ)

 もちろん師匠のことは好きだ。一緒にいて楽しいし、趣味も好みも合う。彼と付き合ったら、優しく穏やかな日々が送れることは想像に難くない。
 それに好きだと言われて自分が女として認められたようで単純にうれしかった。
 颯斗とのことで自分に自信をなくしていたのだ。
 
(それでも……)
 
 一花は答えを出せなかった。
 

< 63 / 83 >

この作品をシェア

pagetop