シャンパンをかけられたら、御曹司の溺愛がはじまりました

どうして来るの?

 金曜日になり、小木野の装花を手伝う日になる。

(師匠の気持ちを知ったあとに言われたなら断ったのに!)

 気まずいが約束したので行くしかない。
 でも、迎えに来た小野木はおくびにも出さず、いつも通りの態度だった。
 肩の力を抜いた一花は大人な彼の対応に感謝した。
 イベントの装花が終わり、一花はまた彼の車で家に送ってもらう。その帰りにレストランに寄って、夕食も共にした。
 断ろうとしたが、『今まで通りでって言ったでしょう?』と小野木に言いくるめられたのだ。

(師匠ってば、なにげに押しが強いんだから!)

 苦笑するが、彼といて居心地がいいのは否めなくて、つい小野木との穏やかな日々を想像して心が揺れる。
 自宅が近づいたとき、玄関にスーツ姿の颯斗がたたずんでいるのが見えて、一花は息を呑んだ。

「っ……」

 よりによってまた師匠と一緒にいるときだ。
 小木野も気づいたようで、気遣わしげに一花を見て言った。

「また、うちに来ますか? それとも追い払いましょうか?」

 しかし一花が答える前に、今日は颯斗もこちらに気づいたようだ。
 ハッと顔を上げたのが見えた。
 彼は車に駆け寄ってくる。

「一花、話をさせてくれ!」

 彼の叫ぶ声が車の中からでも聞こえた。
 普段、大声なんて出す人ではないのに。
 その悲痛な声に一花は胸が苦しくなって、思わず手で押さえた。

(どうして、そんなに必死そうなの? 話なんてないじゃない。もう私は必要ないんだから……)

 冷静に颯斗と話せる自信はまだない。かといって、返事を保留にしている師匠に甘えるわけにもいかない。
 どうしたらいいのかわからなくなり、一花は小木野の問いかけに答えられなかった。
 すると、一花の家の前に停車した彼は車を降りた。
 そして、助手席側に回ってきて、近づいた颯斗から一花を守るように立ち塞がった。

「そこをどいてください。俺は一花に話があるんです」

 憤ったような颯斗の声が聞こえるが、その姿は小木野に隠されて一花からは見えない。

「立石さんのほうは話したくなさそうですよ? しかも、夜遅くに家の前で女性を待ち伏せするなんて、見過ごせません」
「……っ、こうでもしないと会ってもらえないんだから仕方ないだろ……」

 小木野がきっぱりと告げると、颯斗はひるんだように息を詰め、弱々しく反論した。それは日ごろの自信に満ち溢れた彼からは想像のつかないものだった。
 たまらない気持ちになった一花はシートベルトを外してドアに手をかける。
 そこに小木野の声が響いた。

「あなたと話したければ、立石さんは出てくるでしょう。でも、出てこないようであれば、お引き取りください」

 決断を迫られて、一花はビクッと身体を震わせた。
 さらに颯斗の懇願するような声が聞こえてくる。

「一花、頼む! 話がしたいんだ! なにか気に障ることをしてしまったのなら謝るから……」

 それを聞いて、一花はカッとなった。

(まさか思い当たるふしがないと言うの?)

 結婚する身で一花を抱いたくせに、まだばれていないと思っているのだろうかと腹が立ったのだ。
 ここまで彼女に拒否されたら、もしかしてと想像がつくものではないのかといらいらした。
 それほどあのときのことを軽く考えてるのだとしたら悲しいとも思った。

(そうだとしたら、颯斗さんはなにをそんなに話したがってるの?)

 疑問に思った一花はふと思いついた。
 もしかしたら、綾部物産の社長令嬢の件がまだ片づいてなくて、一花に証言してもらいたいとかいうことかもしれないと考えたのだ。
 それなら自分の結婚がかかってるのだから、必死になるのも納得である。

(そういうことか……。それでも、今は出ていきたくない……!)

「一花!」

 呼びかける颯斗の声はまるで彼女を求めるようだったが、理由が推測できてしまうと、自分が滑稽に思えた。
 結局、一花は身を固くして、動けないままでいた。

「やはり立石さんは出てこないようですね。彼女の意志がわかったでしょう? お帰りください」

 冷たく言い放った小木野に、颯斗は溜め息交じりに答えるものの、一花に語りかける。

「……わかった。でも、一花、また来るから」

 颯斗が去っていくのがフロントガラスから見えた。
 ふいに彼が振り返り、目が合った――気がした。
 暗いので表情はよく見えないが、その姿は一花の目に切なげに映る。
 彼は少しの間こちらを見ていたが、まもなく踵を返した。
 その背中を目で追っていたら、涙で視界がにじんだ。
 いつのまにか一花の頬は濡れていた。
< 65 / 83 >

この作品をシェア

pagetop