大河ドラマ・乳房星(たらちねぼし)
【さらばシベリア鉄道】
(ボーッ!!シュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュ!!ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)
時は、1926年7月20日の昼過ぎであった。
2歳6ヶ月の私は、マァマとドナ姐《ねえ》はんたちと一緒にトモン駅からスイフンガ経由でウラジオストクへ向かう長距離列車に乗って旅に出た。
ウラジオストク(ヴラヂヴァストークとも言う)の中央駅に列車が到着したのは7月21日の朝7時頃であった。
列車を降りた一行は、モスクワ行きの寝台列車に乗る時間までのあいだウラジオストクの街並み散策に出かけた。
ウラジオストクは、ロシア語で『東方を征服せよ。』と言われている。
『日本に一番近いヨーロッパ』のウラジオストクは、ムラヴィヨフ・アムールスキー半島の南端に広がる丘陵地帯にある都市《まち》である。
都市《まち》の両端にアムール湾とウスリー湾の2つの湾がある…
都市《まち》の人口60万4901人…
松山や今治よりもはるか大きな都市《まち》でにぎわっているな…
一行は、スヴェトランスカヤ通りに面した中央広場にやって来た。
広場には、たくさんの店のテントが立ちならんでいた。
カニやサーモンなどの海産物・野菜・山菜・ベリー・ハチミツなど…
地元で生産された特産品が売られている店が広場にたくさん並んでいた。
一行は、ゆっくりとした足取りでテント付近にある通路を歩いた。
その後、一行は噴水通り(アドミラーラフォーキナー通り)~ニコライ2世凱旋門~鷺の巣展望台~トカレフスキー灯台…と歩いて回った。
(ボーッ、ボーッ、ボーッ…シュシュシュシュ…ゴトンゴトン…)
日付が変わって、7月22日の深夜0時頃であった。
一行が乗り込んだシベリア鉄道の寝台列車『オケアン』号がウラジオストク中央駅から出発した。
列車は、ウラル山脈の向こうのヨーロッパを目指して走り出した。
『オケアン』は、ロシア語で『大洋』と言う。
2歳7ヶ月の私は、マァマとドナ姐《ねえ》はんと一緒に4人用のクペ(ブルートレインの2等寝台車にあたる車両)で過ごした。
ウラジオストクからモスクワまでの所要日数は7日間…
営業キロが9000キロ…
陸路だけで移動すると、相当な日数がかかる長さであった。
ウラジオストクを出発してから三日目の朝早くであった。
列車は、ヴァイカル湖の付近を走る線路を走行していた。
(シュシュシュシュ…ボーッ、ボーッ…)
マァマは、2歳の私にやさしく呼びかけた。
「よーくんみてみて、真っ白な雪に染まっているおっきな湖よ。」
ワアー、きれいだ…
真っ白な雪に染まっている湖畔《みずうみ》だ…
2歳の私は、白い雪に染まったヴァイカル湖の風景を食い入るように見つめた。
「よーくんみてみて、湖のほとりに白鳥さんたちがたくさんいるよ。」
ワアー、白鳥さんだ…
白鳥さんがたくさんいる…
2歳の私は、ヴァイカル湖にいる白鳥たちを食い入るように見つめた。
ウラジオストクを出発してから五日目の午後であった。
一行が乗っている寝台列車がウラル山脈を越えてヨーロッパ側へ入った。
一行は、7月29日頃に終点のモスクワ中央駅に到着した。
その後、一行は長距離列車に乗り換えてサンクトペテルブルグへ向かった。
7月30日に、一行はフィンランドに入った。
その後、フィンランド〜スウェーデン〜アイスランドを経由してカナダへ向かった。
カナダに到着したのは8月10日頃であった。
そして1926年9月…
私は、特例措置でアメリカ・ハーバード大学に入った。
それから55年の間、私は仕事に必要な資格と修士博士号を取得することと大学・大学院の卒業単位を取ることとイワマツを作るプロジェクトを始めるための準備だけに取り組む日々を過ごした。
…………
時はうんと流れて…
1981年7月23日の昼過ぎであった。
ソニーのケータイラジオのスピーカーから大瀧詠一さんの歌で『さらばシベリア鉄道』が流れていた。
歌を聴きながら缶ビールをのんでいた私は、幼い頃に見たシベリア平原の風景に思いをはせた。
あの時見たシベリア平原は…
美しい銀世界だった…
ヴァイカル湖で羽を休めていた白鳥たちは…
今ごろ、どこにいるのだろうか…
あの美しい風景を…
もう一度、この目でみたい…
時は、1926年7月20日の昼過ぎであった。
2歳6ヶ月の私は、マァマとドナ姐《ねえ》はんたちと一緒にトモン駅からスイフンガ経由でウラジオストクへ向かう長距離列車に乗って旅に出た。
ウラジオストク(ヴラヂヴァストークとも言う)の中央駅に列車が到着したのは7月21日の朝7時頃であった。
列車を降りた一行は、モスクワ行きの寝台列車に乗る時間までのあいだウラジオストクの街並み散策に出かけた。
ウラジオストクは、ロシア語で『東方を征服せよ。』と言われている。
『日本に一番近いヨーロッパ』のウラジオストクは、ムラヴィヨフ・アムールスキー半島の南端に広がる丘陵地帯にある都市《まち》である。
都市《まち》の両端にアムール湾とウスリー湾の2つの湾がある…
都市《まち》の人口60万4901人…
松山や今治よりもはるか大きな都市《まち》でにぎわっているな…
一行は、スヴェトランスカヤ通りに面した中央広場にやって来た。
広場には、たくさんの店のテントが立ちならんでいた。
カニやサーモンなどの海産物・野菜・山菜・ベリー・ハチミツなど…
地元で生産された特産品が売られている店が広場にたくさん並んでいた。
一行は、ゆっくりとした足取りでテント付近にある通路を歩いた。
その後、一行は噴水通り(アドミラーラフォーキナー通り)~ニコライ2世凱旋門~鷺の巣展望台~トカレフスキー灯台…と歩いて回った。
(ボーッ、ボーッ、ボーッ…シュシュシュシュ…ゴトンゴトン…)
日付が変わって、7月22日の深夜0時頃であった。
一行が乗り込んだシベリア鉄道の寝台列車『オケアン』号がウラジオストク中央駅から出発した。
列車は、ウラル山脈の向こうのヨーロッパを目指して走り出した。
『オケアン』は、ロシア語で『大洋』と言う。
2歳7ヶ月の私は、マァマとドナ姐《ねえ》はんと一緒に4人用のクペ(ブルートレインの2等寝台車にあたる車両)で過ごした。
ウラジオストクからモスクワまでの所要日数は7日間…
営業キロが9000キロ…
陸路だけで移動すると、相当な日数がかかる長さであった。
ウラジオストクを出発してから三日目の朝早くであった。
列車は、ヴァイカル湖の付近を走る線路を走行していた。
(シュシュシュシュ…ボーッ、ボーッ…)
マァマは、2歳の私にやさしく呼びかけた。
「よーくんみてみて、真っ白な雪に染まっているおっきな湖よ。」
ワアー、きれいだ…
真っ白な雪に染まっている湖畔《みずうみ》だ…
2歳の私は、白い雪に染まったヴァイカル湖の風景を食い入るように見つめた。
「よーくんみてみて、湖のほとりに白鳥さんたちがたくさんいるよ。」
ワアー、白鳥さんだ…
白鳥さんがたくさんいる…
2歳の私は、ヴァイカル湖にいる白鳥たちを食い入るように見つめた。
ウラジオストクを出発してから五日目の午後であった。
一行が乗っている寝台列車がウラル山脈を越えてヨーロッパ側へ入った。
一行は、7月29日頃に終点のモスクワ中央駅に到着した。
その後、一行は長距離列車に乗り換えてサンクトペテルブルグへ向かった。
7月30日に、一行はフィンランドに入った。
その後、フィンランド〜スウェーデン〜アイスランドを経由してカナダへ向かった。
カナダに到着したのは8月10日頃であった。
そして1926年9月…
私は、特例措置でアメリカ・ハーバード大学に入った。
それから55年の間、私は仕事に必要な資格と修士博士号を取得することと大学・大学院の卒業単位を取ることとイワマツを作るプロジェクトを始めるための準備だけに取り組む日々を過ごした。
…………
時はうんと流れて…
1981年7月23日の昼過ぎであった。
ソニーのケータイラジオのスピーカーから大瀧詠一さんの歌で『さらばシベリア鉄道』が流れていた。
歌を聴きながら缶ビールをのんでいた私は、幼い頃に見たシベリア平原の風景に思いをはせた。
あの時見たシベリア平原は…
美しい銀世界だった…
ヴァイカル湖で羽を休めていた白鳥たちは…
今ごろ、どこにいるのだろうか…
あの美しい風景を…
もう一度、この目でみたい…