大河ドラマ・乳房星(たらちねぼし)
【カラオケ流し】
話は、1981年8月頃であった。
私は、例の事件から逃れたあと北九州の小倉に到着した。
その後、小倉からシュガーロード(長崎街道)を通って長崎へ向かった。
その後、長崎〜熊本〜鹿児島〜宮崎〜大分〜山口とまわって大番頭《おおばんと》はんたちを探したけれど大番頭《おおばんと》はんたちを見つけることができなかった。
時は、8月23日の午後2時過ぎであった。
またところ変わって、小野田サンパークの館内にて…
私は、館内の大型駐車場の入り口にあるベンチに座っていた。
ああ…
大失敗した〜
オレは一体…
なにやっていたのだ…
大番頭《おおばんと》はんたちを見つけることができなかった私は、ひどく落ち込んでいた。
それからまた30分後であった。
私は、館内にあるイベントスペースにやって来た。
この時、イベントスペースでカラオケイベントがひらかれていた。
飛び入り参加OKと聞いた私は、イベントの司会者の女性に飛び入り参加を申し出た。
その後、私はステージにあがった。
私は、近藤真彦さんの歌で『ギンギラギンにさりげなく』を選んで歌った。
この時、会場にいた若い女の子たちがキャーキャー言いながらいっせいにステージにあがった。
女の子たちは、私にかわいいもようの封筒《おひねり》を手渡した。
女の子たちが『あと2曲歌って〜』と言うた。
私は、もんた&ブラザーズの歌で『ダンシング・オールナイト』と西城秀樹さんの歌で『情熱の嵐』を歌った。
私はさらに女の子たちから大量のおひねりをいただいた。
時は、夕方6時過ぎであった。
ところ変わって、館内にある個室の洋式トイレにて…
私は、女の子たちからいただいたおひねりに入っている金銭を数えた。
その結果…
な、なんと…
512万とんで866円〜
おっ…
これいけるやん…
そう思った私は、カラオケ流しをしながら大番頭《おおばんと》はんたちを探すことを決めた。
私は、それから約4ヶ月のあいだ九州・山口県・広島市とその周辺地域・松山市とその周辺地域・高知県で開催されていたカラオケイベントをまわった。
飛び入り参加をして、若い人たちが歌っている歌を歌っておひねりをかせいだ。
かせいだおひねりは、食費・交通費・宿泊費などの生活費に充てた。
………………………………
できたらナイトクラブやスナックでおひねりをかせぎたいけどできない…
そう言った場所は、ギター流しのニイチャンたちのお得意先の店が多い…
または、ヤクザ組織がナワバリにしている界隈《ばしょ》がある…
…の理由があった。
そう言った場所でカラオケ流しをしていたら、トラブルに巻き込まれる恐れがある。
たとえば、ヤクザの男たちから『オドレは誰に断ってここで商売《バイ》をしてるのだ!?』とか『商売代《おだい》は払ったのか!?』…と凄まれるおそれがある。
その上に、なわばり荒らしをしていたことがヤクザたちに知られたら命《ドタマ》かち割られることもありうる…
だから私は、細心の注意を払いながら行動した。
私は、約4ヶ月に渡ってカラオケ流しでおひねりを稼ぎながら大番頭《おおばんと》はんたちを探しまわった。
しかし、大番頭《おおばんと》はんたちを見つけることはできなかった。
(ゴーン…)
時は流れて、1981年の大みそかの夜おそくであった。
除夜の鐘が漆黒の夜空に響いた。
ところ変わって、宮崎市橘通《みやざきたちばなどお》り西にあるスナックにて…
私は、ためしにここでカラオケ流しをしようと思って店内に入った。
私は、お客さまのひとりに対して『一曲いかがですか?』と言うて声をかけた
お客さまは、怒った声で『下手くその流しの歌なんか聴きたくねえよ!!』と私に言うた。
店のテレビの画面にNHK紅白歌合戦が映っていた。
お客さまたちは、紅白歌合戦に夢中になっていた。
だから、私は相手にされなかった。
店のママが私に怒った声で言うた。
「なにやってるのだよ!!用がないのだったら帰ってよ!!」
私は、なにも言わずにだまって店から出た。
その後、私は宮崎市内《しないちゅうしんぶ》をトボトボと歩き回った。
私は、ものすごくつかれた表情でつぶやいた。
もうダメだ…
これ以上、カラオケ流しをつづけて行くことはできない…
ゼツボーだ…
この先…
どうすればいいのだ…
それからまた4ヶ月後のことであった。
私は、1982年1月から3月のあいだもカラオケ流しをしながら大番頭《おおばんと》はんたちを探しまわった。
九州・山口県・広島市とその周辺地域・松山市とその周辺地域・高知県の各地をまわって大番頭《おおばんと》はんたちを探したが、3月末頃に限界を感じるようになった。
もう限界だ…
たしか、1982年の3月21日頃であった。
場所はどこかおぼえてないけど、飛び入り参加をしたカラオケイベントで若い女の子たちから大量におひねりをいただいたあとだった。
この時、おひねりをいただいた女の子たちのひとりの親御《おや》からめんどいことをグチャグチャと言われた。
女の子の親御《おや》は私に対して『あんたはうちの娘に色目を使う気か!?』と言うた。
女の子の親御《おや》からグチャグチャと言われた私は、わけがわからずにコンワクした。
さらにその上に、私はややこしいトラブルに巻き込まれた。
4月3日の夜遅くだったと思う。
私は、国鉄広島駅付近の的場町《まとばちょう》の酒場街をひとりで歩いていた。
ひとりで通りを歩いていた私に対して、店《パブ》の前にいた客引《ポンビキ》のニイチャンに声をかけられた。
ニイチャンは、私に対して『お安くしとくから…』…と気安い声で言うた。
ニイチャンの言葉に負けた私は、フラフラと店《パブ》に入った。
私は、ホステスのコと遊んだ…
事件は、入店してから40分後に発生した。
私は、店《パブ》の店長にボコボコにどつきまわされた。
店《パブ》の店長からなにを言われたのか知らないけれど、ボコボコにどつき回された私は心が大きく傷ついた。
時は、4月7日の昼過ぎであった。
私は、石州の小京都・津和野にやって来た。
場所は、津和野の中心部にて…
私は、ゆったりとした足取りで古い街並みの通りを歩いた。
通りの端に流れている小川に色とりどりの鯉《こい》がたくさん泳いでいた。
若いカップルさんたちが小川で泳いでいる鯉《こい》たちにスイーミー(えさ)を与えながら結婚披露宴《ひろうえん》の打ち合わせをしていた。
それを見た私は、表情が曇った。
悲しくなった私は、ゆっくりと歩いて街を出た。
(ボーッ…シュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュ…)
時は、夕方4時頃であった。
私は、国鉄津和野駅からSLやまぐち号に乗って再び旅に出た。
車内にて…
悲しげな表情を浮かべている私は、山口線《えんせん》の風景を見つめながら考え事をしていた。
この時、私は2歳の時にママと別れたことを思い出した。
ママは、母子保護施設のスタッフさんたち5〜6人に押さえつけられていた。
2歳の私は、叫び声をあげた。
「ママ!!ママ!!ママ!!」
「よーくん!!よーくん!!よーくん!!」
ママも叫び声をあげた。
しかし、私とママは母子保護施設のスタッフさんたちによって引き裂かれた。
ママを返せ…
ママを返せ…
2歳だった私は、心中でさけんだ。
………………
(ボーッ!!シュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュ…)
ところ変わって、SLやまぐち号の車内にて…
悲しげな表情を浮かべている私は、山口線《えんせん》の風景を見つめながら考え事をしていた。
小さなテーブルに置かれている300ミリリットルのワンカップ大関の中に半分入っているお酒が振動で揺れていた。
悲しげな表情を浮かべている私は、肴《あて》のちくわを食べながらつぶやいた。
ママ…
ママ…
ママ…
ママ…
………………
私は、例の事件から逃れたあと北九州の小倉に到着した。
その後、小倉からシュガーロード(長崎街道)を通って長崎へ向かった。
その後、長崎〜熊本〜鹿児島〜宮崎〜大分〜山口とまわって大番頭《おおばんと》はんたちを探したけれど大番頭《おおばんと》はんたちを見つけることができなかった。
時は、8月23日の午後2時過ぎであった。
またところ変わって、小野田サンパークの館内にて…
私は、館内の大型駐車場の入り口にあるベンチに座っていた。
ああ…
大失敗した〜
オレは一体…
なにやっていたのだ…
大番頭《おおばんと》はんたちを見つけることができなかった私は、ひどく落ち込んでいた。
それからまた30分後であった。
私は、館内にあるイベントスペースにやって来た。
この時、イベントスペースでカラオケイベントがひらかれていた。
飛び入り参加OKと聞いた私は、イベントの司会者の女性に飛び入り参加を申し出た。
その後、私はステージにあがった。
私は、近藤真彦さんの歌で『ギンギラギンにさりげなく』を選んで歌った。
この時、会場にいた若い女の子たちがキャーキャー言いながらいっせいにステージにあがった。
女の子たちは、私にかわいいもようの封筒《おひねり》を手渡した。
女の子たちが『あと2曲歌って〜』と言うた。
私は、もんた&ブラザーズの歌で『ダンシング・オールナイト』と西城秀樹さんの歌で『情熱の嵐』を歌った。
私はさらに女の子たちから大量のおひねりをいただいた。
時は、夕方6時過ぎであった。
ところ変わって、館内にある個室の洋式トイレにて…
私は、女の子たちからいただいたおひねりに入っている金銭を数えた。
その結果…
な、なんと…
512万とんで866円〜
おっ…
これいけるやん…
そう思った私は、カラオケ流しをしながら大番頭《おおばんと》はんたちを探すことを決めた。
私は、それから約4ヶ月のあいだ九州・山口県・広島市とその周辺地域・松山市とその周辺地域・高知県で開催されていたカラオケイベントをまわった。
飛び入り参加をして、若い人たちが歌っている歌を歌っておひねりをかせいだ。
かせいだおひねりは、食費・交通費・宿泊費などの生活費に充てた。
………………………………
できたらナイトクラブやスナックでおひねりをかせぎたいけどできない…
そう言った場所は、ギター流しのニイチャンたちのお得意先の店が多い…
または、ヤクザ組織がナワバリにしている界隈《ばしょ》がある…
…の理由があった。
そう言った場所でカラオケ流しをしていたら、トラブルに巻き込まれる恐れがある。
たとえば、ヤクザの男たちから『オドレは誰に断ってここで商売《バイ》をしてるのだ!?』とか『商売代《おだい》は払ったのか!?』…と凄まれるおそれがある。
その上に、なわばり荒らしをしていたことがヤクザたちに知られたら命《ドタマ》かち割られることもありうる…
だから私は、細心の注意を払いながら行動した。
私は、約4ヶ月に渡ってカラオケ流しでおひねりを稼ぎながら大番頭《おおばんと》はんたちを探しまわった。
しかし、大番頭《おおばんと》はんたちを見つけることはできなかった。
(ゴーン…)
時は流れて、1981年の大みそかの夜おそくであった。
除夜の鐘が漆黒の夜空に響いた。
ところ変わって、宮崎市橘通《みやざきたちばなどお》り西にあるスナックにて…
私は、ためしにここでカラオケ流しをしようと思って店内に入った。
私は、お客さまのひとりに対して『一曲いかがですか?』と言うて声をかけた
お客さまは、怒った声で『下手くその流しの歌なんか聴きたくねえよ!!』と私に言うた。
店のテレビの画面にNHK紅白歌合戦が映っていた。
お客さまたちは、紅白歌合戦に夢中になっていた。
だから、私は相手にされなかった。
店のママが私に怒った声で言うた。
「なにやってるのだよ!!用がないのだったら帰ってよ!!」
私は、なにも言わずにだまって店から出た。
その後、私は宮崎市内《しないちゅうしんぶ》をトボトボと歩き回った。
私は、ものすごくつかれた表情でつぶやいた。
もうダメだ…
これ以上、カラオケ流しをつづけて行くことはできない…
ゼツボーだ…
この先…
どうすればいいのだ…
それからまた4ヶ月後のことであった。
私は、1982年1月から3月のあいだもカラオケ流しをしながら大番頭《おおばんと》はんたちを探しまわった。
九州・山口県・広島市とその周辺地域・松山市とその周辺地域・高知県の各地をまわって大番頭《おおばんと》はんたちを探したが、3月末頃に限界を感じるようになった。
もう限界だ…
たしか、1982年の3月21日頃であった。
場所はどこかおぼえてないけど、飛び入り参加をしたカラオケイベントで若い女の子たちから大量におひねりをいただいたあとだった。
この時、おひねりをいただいた女の子たちのひとりの親御《おや》からめんどいことをグチャグチャと言われた。
女の子の親御《おや》は私に対して『あんたはうちの娘に色目を使う気か!?』と言うた。
女の子の親御《おや》からグチャグチャと言われた私は、わけがわからずにコンワクした。
さらにその上に、私はややこしいトラブルに巻き込まれた。
4月3日の夜遅くだったと思う。
私は、国鉄広島駅付近の的場町《まとばちょう》の酒場街をひとりで歩いていた。
ひとりで通りを歩いていた私に対して、店《パブ》の前にいた客引《ポンビキ》のニイチャンに声をかけられた。
ニイチャンは、私に対して『お安くしとくから…』…と気安い声で言うた。
ニイチャンの言葉に負けた私は、フラフラと店《パブ》に入った。
私は、ホステスのコと遊んだ…
事件は、入店してから40分後に発生した。
私は、店《パブ》の店長にボコボコにどつきまわされた。
店《パブ》の店長からなにを言われたのか知らないけれど、ボコボコにどつき回された私は心が大きく傷ついた。
時は、4月7日の昼過ぎであった。
私は、石州の小京都・津和野にやって来た。
場所は、津和野の中心部にて…
私は、ゆったりとした足取りで古い街並みの通りを歩いた。
通りの端に流れている小川に色とりどりの鯉《こい》がたくさん泳いでいた。
若いカップルさんたちが小川で泳いでいる鯉《こい》たちにスイーミー(えさ)を与えながら結婚披露宴《ひろうえん》の打ち合わせをしていた。
それを見た私は、表情が曇った。
悲しくなった私は、ゆっくりと歩いて街を出た。
(ボーッ…シュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュ…)
時は、夕方4時頃であった。
私は、国鉄津和野駅からSLやまぐち号に乗って再び旅に出た。
車内にて…
悲しげな表情を浮かべている私は、山口線《えんせん》の風景を見つめながら考え事をしていた。
この時、私は2歳の時にママと別れたことを思い出した。
ママは、母子保護施設のスタッフさんたち5〜6人に押さえつけられていた。
2歳の私は、叫び声をあげた。
「ママ!!ママ!!ママ!!」
「よーくん!!よーくん!!よーくん!!」
ママも叫び声をあげた。
しかし、私とママは母子保護施設のスタッフさんたちによって引き裂かれた。
ママを返せ…
ママを返せ…
2歳だった私は、心中でさけんだ。
………………
(ボーッ!!シュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュ…)
ところ変わって、SLやまぐち号の車内にて…
悲しげな表情を浮かべている私は、山口線《えんせん》の風景を見つめながら考え事をしていた。
小さなテーブルに置かれている300ミリリットルのワンカップ大関の中に半分入っているお酒が振動で揺れていた。
悲しげな表情を浮かべている私は、肴《あて》のちくわを食べながらつぶやいた。
ママ…
ママ…
ママ…
ママ…
………………