大河ドラマ・乳房星(たらちねぼし)
【まちぶせ】
時は、夕方6時20分頃であった。
ところ変わって、高松東港のすぐ近くにあるトラックターミナル内の運ちゃん食堂にて…
テーブルの上にスブタ定食と週刊少年マガジンの最新号が置かれていた。
私は、晩ごはんを食べながら石川ひとみさんの水着グラビアを見ていた。
この時間、店内には数人の運転手《うんちゃん》たちと親子4人家族ひと組がいた。
店内にあるタッチチャンネル式の18型のミツビシカラーテレビの画面は、山陽放送のニュース番組『山陽TVイブニングニュース』が映っていた。
時計のはりが6時23分になった時であった。
小さい女の子が6時25分からNHK総合テレビで放送される人形劇が見たいと言うてダダをこねていた。
この時、不満げな表情を浮かべていた店の人がNHK総合テレビに換えた。
テレビの画面に歌手の石川ひとみさんが声の出演をしていた人形劇が映っていた。
晩ごはんを食べていた私は、離れた席にいる親子4人をちらっと見たあとこうつぶやいた。
今の時代の子どもたちは…
どうしてガマンすることができなくなったのか…
今の時代の子どもたちが甘ったれになった原因はなんだ…
テレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビ…
どいつもこいつもテレビテレビと言いやがって…
私はこの時、あの男の子のことを思い出した。
あの男の子もたしか…
ガマンすることができないクソガキだったな…
思い出しただけでもいらつくわ…
この時であった。
数人の運転手《うんちゃん》たちが離れた席にいる親子4人をするどい目つきでにらみつけたあと、口々に言うた。
「おい、あれどう思う?」
「ああ、腹立つわ!!」
「今の子どもたちは、なんでガマンできなくなったのかな?」
「ああそうだよ…そのとおりだよ!!」
「テレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビ…今の子どもたちはテレビばかり見ているからけしからん!!」
「ああそうだよ!!」
「なんでくだらん人形劇が人気あるのだろうか!?」
「ああそうだよ!!」
「あんなよーちい人形劇は見ただけでもヘドが出るわ!!」
「ああそうだよ!!」
「人形劇見るひまあるのだったらガッコーのベンキョーしろよ!!」
「ああそうだよ!!それか、スポーツで技術をみがけよボケと言いたいわ!!」
「ああそうだよ!!」
「うちのとなり近所の家の次男くんは、去年(昭和55年)のゴーゴーソータイ(愛媛県で開催された夏の高校のインターハイ)の陸上競技で優勝したのだよ…今、次男くんはコマザワ(大学)の駅伝部で活躍しているのだよ…」
「ああそうだな…アスリートで活躍している子どもたちは技術をみがくことに集中しているのだよ…」
「テレビを見る時間もないな〜」
「オレの三男は、さいたまの私立高校《コーコー》の相撲部で合宿生活を送ってるのだよ〜」
「相撲部にいるのかい?」
「ああ…高校を卒業したあとは角界に行くと決意したんや!!」
「すごいな〜」
「それに引きかえ、あれはなんや!!くだらん人形劇を見ることしか楽しみがないなんて…どーかしてるよ!!」
数人の運転手《うんちゃん》たちは、テレビに映っている人形劇をボロクソにヒナンした。
「ごちそうさまでした。」
晩ごはんを食べ終えた私は、タンブラーに入っていたミネラルウォーターをごくごくとのみほした。
(キューッ…カキカキカキカキカキカキカキカキカキカキカキカキ…)
時は、夜8時頃であった。
私は、国道11号線に出たあとヒッチハイクを始める準備に取りかかった。
大きめのスケッチブックにゼブラハイマッキーの太字で『MATSUYAMA』と書いたヒッチハイクを開始した。
ヒッチハイク開始から60分後であった。
この時、いすゞの特大ウイングが私の前に停まった。
ヒッチハイクの交渉をした私は、ショルダーバッグを持ってトラックに乗り込んだ。
(ブロロロロ…)
トラックは、国道11号線を通って松山方面へ向かった。
私は、仮眠用のベッドでひと眠りしていた。
(ブロロロロ…)
日付が変わって、7月30日の深夜であった。
カーラジオのスピーカーから南海放送ラジオで放送されていた『いすゞ歌うヘッドライト』が流れていた。
何時頃だったかおぼえてないけど、運転手さんの生電話コーナーが聞こえていた。
その後、石川ひとみさんの歌で『まちぶせ』がかかった。
石川ひとみさんの歌声で目覚めた私は、ぼんやりとした表情で考えごとをした。
素敵な恋をした思い出はなかった…
気になる女の子はひとりもいなかった…
小学校〜中学校〜高校までは、全部レポート提出で通した…
親しい友人は、一人もいなかった…
……………
レポート提出で高校に行った時に、プロム(ダンスパーティー)をしていた様子を見て顔が曇った…
なんで私は…
プロムに参加できなかったのか…
女の子とダンスを踊りたかった…
女の子と恋をしたかった…
だけど…
セヴァスチャンじいさんが女の子とチャラチャラするなと言うたので…
できなかった…
でもその前に、あの頃は大戦争によってヨーロッパやアジアが危機的な状況下に置かれていた…
…ことで、華の学園生活《キャンパスライフ》をオウカすることはできなかった…
…と思う。
…………
もういいや…
寝る…
その後、私は再び眠りについた。
それから2時間後であった。
「おい!!いつまで寝ているのだ!!起きろ!!」
私は、運転手《うんちゃん》の怒鳴り声で目覚めた。
「ああ…ここはどこですか?」
「お前さんを乗せて行けるのはここまでだ!!」
「すみません…」
運転手《うんちゃん》に怒鳴られた私は、降りる準備を始めた。
ショルダーバッグを持ってトラックから降りた私は、再び旅に出た。
たどり着いた場所は、道後温泉街《おんせんがい》の300メートル手前の地点であった。
(ドン!!ドンドンドンドンドンドンドン!!)
時は、朝6時頃であった。
ところ変わって、道後温泉本館にて…
この時、朝6時と本館がひらくことを知らせる刻太鼓《ときだいこ》が鳴り響いた。
私は、朝風呂に入るために館内に入った。
(ザーッ…)
ところ変わって、浴場にて…
温泉につかっている私は、アレコレと考えごとをしていた。
まず最初に、ドナ姐《ねえ》はんがいた置屋へ行こう…
置屋の芸姑《やっこ》さんが金沢へ行ったと思われる芸姑《やっこ》さんを知っていると思う…
だけど…
やっぱりやめとこ…
ガセネタだった…で終わるかもしれない…
行くだけムダだ…
結局、私はドナ姐《ねえ》はんが経営している置屋へ行くことをやめて南予へ向かうことにした。
温泉でつかれをいやしたら、また旅に出るか…
ところ変わって、高松東港のすぐ近くにあるトラックターミナル内の運ちゃん食堂にて…
テーブルの上にスブタ定食と週刊少年マガジンの最新号が置かれていた。
私は、晩ごはんを食べながら石川ひとみさんの水着グラビアを見ていた。
この時間、店内には数人の運転手《うんちゃん》たちと親子4人家族ひと組がいた。
店内にあるタッチチャンネル式の18型のミツビシカラーテレビの画面は、山陽放送のニュース番組『山陽TVイブニングニュース』が映っていた。
時計のはりが6時23分になった時であった。
小さい女の子が6時25分からNHK総合テレビで放送される人形劇が見たいと言うてダダをこねていた。
この時、不満げな表情を浮かべていた店の人がNHK総合テレビに換えた。
テレビの画面に歌手の石川ひとみさんが声の出演をしていた人形劇が映っていた。
晩ごはんを食べていた私は、離れた席にいる親子4人をちらっと見たあとこうつぶやいた。
今の時代の子どもたちは…
どうしてガマンすることができなくなったのか…
今の時代の子どもたちが甘ったれになった原因はなんだ…
テレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビ…
どいつもこいつもテレビテレビと言いやがって…
私はこの時、あの男の子のことを思い出した。
あの男の子もたしか…
ガマンすることができないクソガキだったな…
思い出しただけでもいらつくわ…
この時であった。
数人の運転手《うんちゃん》たちが離れた席にいる親子4人をするどい目つきでにらみつけたあと、口々に言うた。
「おい、あれどう思う?」
「ああ、腹立つわ!!」
「今の子どもたちは、なんでガマンできなくなったのかな?」
「ああそうだよ…そのとおりだよ!!」
「テレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビテレビ…今の子どもたちはテレビばかり見ているからけしからん!!」
「ああそうだよ!!」
「なんでくだらん人形劇が人気あるのだろうか!?」
「ああそうだよ!!」
「あんなよーちい人形劇は見ただけでもヘドが出るわ!!」
「ああそうだよ!!」
「人形劇見るひまあるのだったらガッコーのベンキョーしろよ!!」
「ああそうだよ!!それか、スポーツで技術をみがけよボケと言いたいわ!!」
「ああそうだよ!!」
「うちのとなり近所の家の次男くんは、去年(昭和55年)のゴーゴーソータイ(愛媛県で開催された夏の高校のインターハイ)の陸上競技で優勝したのだよ…今、次男くんはコマザワ(大学)の駅伝部で活躍しているのだよ…」
「ああそうだな…アスリートで活躍している子どもたちは技術をみがくことに集中しているのだよ…」
「テレビを見る時間もないな〜」
「オレの三男は、さいたまの私立高校《コーコー》の相撲部で合宿生活を送ってるのだよ〜」
「相撲部にいるのかい?」
「ああ…高校を卒業したあとは角界に行くと決意したんや!!」
「すごいな〜」
「それに引きかえ、あれはなんや!!くだらん人形劇を見ることしか楽しみがないなんて…どーかしてるよ!!」
数人の運転手《うんちゃん》たちは、テレビに映っている人形劇をボロクソにヒナンした。
「ごちそうさまでした。」
晩ごはんを食べ終えた私は、タンブラーに入っていたミネラルウォーターをごくごくとのみほした。
(キューッ…カキカキカキカキカキカキカキカキカキカキカキカキ…)
時は、夜8時頃であった。
私は、国道11号線に出たあとヒッチハイクを始める準備に取りかかった。
大きめのスケッチブックにゼブラハイマッキーの太字で『MATSUYAMA』と書いたヒッチハイクを開始した。
ヒッチハイク開始から60分後であった。
この時、いすゞの特大ウイングが私の前に停まった。
ヒッチハイクの交渉をした私は、ショルダーバッグを持ってトラックに乗り込んだ。
(ブロロロロ…)
トラックは、国道11号線を通って松山方面へ向かった。
私は、仮眠用のベッドでひと眠りしていた。
(ブロロロロ…)
日付が変わって、7月30日の深夜であった。
カーラジオのスピーカーから南海放送ラジオで放送されていた『いすゞ歌うヘッドライト』が流れていた。
何時頃だったかおぼえてないけど、運転手さんの生電話コーナーが聞こえていた。
その後、石川ひとみさんの歌で『まちぶせ』がかかった。
石川ひとみさんの歌声で目覚めた私は、ぼんやりとした表情で考えごとをした。
素敵な恋をした思い出はなかった…
気になる女の子はひとりもいなかった…
小学校〜中学校〜高校までは、全部レポート提出で通した…
親しい友人は、一人もいなかった…
……………
レポート提出で高校に行った時に、プロム(ダンスパーティー)をしていた様子を見て顔が曇った…
なんで私は…
プロムに参加できなかったのか…
女の子とダンスを踊りたかった…
女の子と恋をしたかった…
だけど…
セヴァスチャンじいさんが女の子とチャラチャラするなと言うたので…
できなかった…
でもその前に、あの頃は大戦争によってヨーロッパやアジアが危機的な状況下に置かれていた…
…ことで、華の学園生活《キャンパスライフ》をオウカすることはできなかった…
…と思う。
…………
もういいや…
寝る…
その後、私は再び眠りについた。
それから2時間後であった。
「おい!!いつまで寝ているのだ!!起きろ!!」
私は、運転手《うんちゃん》の怒鳴り声で目覚めた。
「ああ…ここはどこですか?」
「お前さんを乗せて行けるのはここまでだ!!」
「すみません…」
運転手《うんちゃん》に怒鳴られた私は、降りる準備を始めた。
ショルダーバッグを持ってトラックから降りた私は、再び旅に出た。
たどり着いた場所は、道後温泉街《おんせんがい》の300メートル手前の地点であった。
(ドン!!ドンドンドンドンドンドンドン!!)
時は、朝6時頃であった。
ところ変わって、道後温泉本館にて…
この時、朝6時と本館がひらくことを知らせる刻太鼓《ときだいこ》が鳴り響いた。
私は、朝風呂に入るために館内に入った。
(ザーッ…)
ところ変わって、浴場にて…
温泉につかっている私は、アレコレと考えごとをしていた。
まず最初に、ドナ姐《ねえ》はんがいた置屋へ行こう…
置屋の芸姑《やっこ》さんが金沢へ行ったと思われる芸姑《やっこ》さんを知っていると思う…
だけど…
やっぱりやめとこ…
ガセネタだった…で終わるかもしれない…
行くだけムダだ…
結局、私はドナ姐《ねえ》はんが経営している置屋へ行くことをやめて南予へ向かうことにした。
温泉でつかれをいやしたら、また旅に出るか…