大河ドラマ・乳房星(たらちねぼし)
【月のエレジー】
(キューッ…カキカキカキカキカキカキカキカキカキカキカキカキカキカキ…)
時は、8月2日の夜10時頃であった。
ところ変わって、九州の佐伯港付近にある国道217号線にて…
私は、大きめのスケッチブックにフェルトペンで『MIYAZAKI』と書いたあとヒッチハイクを開始した。
それから90分後であった。
私の前にミツビシフソーの特大ウイングが私の前に停まった。
ヒッチハイクの交渉を終えたあと、ショルダーバッグを持ってトラックに乗り込んだ。
トラックは、国道217〜10号線を通って宮崎方面へ向かった。
日付が変わって、8月3日の深夜1時過ぎであった。
トラックは、延岡市出北《のべおかしいできた》の国道10号線沿いにある待避所に到着した。
ショルダーバッグを持ってトラックから降りた私は、次のヒッチハイクポイントへ歩いて向かった。
それから5分後であった。
ショルダーバッグを持っている私は、守屋浩さんの歌で『月のエレジー』を歌いながら歩いた。
この時、私の気持ちはひどくあせっていた。
大急ぎで大番頭《おおばんと》はんたちとマァマとドナ姐《ねえ》はんを見つけなきゃ…
仕事に必要な資格と修士博士号と統合幕僚長の位とイワマツの財産一式がないと仕事ができない…
大番頭《おおばんと》はんたちとマァマとドナ姐《ねえ》はんがいないと、仕事をすすめて行くことができない…
どうしよう…
…………
時はうんと流れて…
1984年3月31日頃であった。
私は、2年9ヶ月に渡って大番頭《おおばんと》はんたちとマァマとドナ姐《ねえ》はんを見つけるためにあちらこちらを旅していた。
広島県南部・九州・山口県・高知県・愛媛県中予と南予のあちらこちらを歩いて探し回ったが、大番頭《おおばんと》はんたちとマァマとドナ姐《ねえ》はんはどこにもいなかった。
もうだめだ…
この時、私はギブアップしそうになった。
時は、夕方6時頃であった。
またところ変わって、竹原港の待合室にて…
待合室のイスに座って居る私は、日記を書いていた。
3月31日・曇り
私は、生まれてきた家を間違えたと思う。
どちらかと言えば、フツーの家庭の夫婦の子どもで生まれたかった…
生まれてきた時代もよくなかった…
私が成人になった頃は、第二次世界大戦下であった…
アジアとヨーロッパのあちらこちらが戦場になっていたので、安住の地と言える場所がなかった…
もちろん、楽しい思い出なんかあるわけない…
三田明さんが歌っていた『美しい十代』と言う歌があったが、私の十代は『ガマンガマンばかりの十代』であった。
なにが『美しい十代』だが…
『ジュリー』『キンチャン』『ショーケン』…などと言うてキャーキャーさわいでいた女の子たち…
学生運動で青春をおうかした大学生たち…
………
あれ見ただけでもはらがたつワ…
『それだったら、しあわせになろうとは思わないのか?』とまわりの大人が言うけど、私はしあわせになりたいと言う気持ちがない…
ふざけるな!!
なにが楽しい青春時代だ!!
なにが『美しい十代』だ!!
ふざけるな!!
私の青春時代を返せ!!
子ども時代を返せ!!
ママの愛に満たされて過ごした幼児期を返せ!!
…………
(パタン…)
ノートを閉じた私は、全身をブルブルと震わせながら怒り狂った。
許さない…
私の人生を根こそぎ奪ったセヴァスチャンじいさんは…
絶対に許さない!!
時は、8月2日の夜10時頃であった。
ところ変わって、九州の佐伯港付近にある国道217号線にて…
私は、大きめのスケッチブックにフェルトペンで『MIYAZAKI』と書いたあとヒッチハイクを開始した。
それから90分後であった。
私の前にミツビシフソーの特大ウイングが私の前に停まった。
ヒッチハイクの交渉を終えたあと、ショルダーバッグを持ってトラックに乗り込んだ。
トラックは、国道217〜10号線を通って宮崎方面へ向かった。
日付が変わって、8月3日の深夜1時過ぎであった。
トラックは、延岡市出北《のべおかしいできた》の国道10号線沿いにある待避所に到着した。
ショルダーバッグを持ってトラックから降りた私は、次のヒッチハイクポイントへ歩いて向かった。
それから5分後であった。
ショルダーバッグを持っている私は、守屋浩さんの歌で『月のエレジー』を歌いながら歩いた。
この時、私の気持ちはひどくあせっていた。
大急ぎで大番頭《おおばんと》はんたちとマァマとドナ姐《ねえ》はんを見つけなきゃ…
仕事に必要な資格と修士博士号と統合幕僚長の位とイワマツの財産一式がないと仕事ができない…
大番頭《おおばんと》はんたちとマァマとドナ姐《ねえ》はんがいないと、仕事をすすめて行くことができない…
どうしよう…
…………
時はうんと流れて…
1984年3月31日頃であった。
私は、2年9ヶ月に渡って大番頭《おおばんと》はんたちとマァマとドナ姐《ねえ》はんを見つけるためにあちらこちらを旅していた。
広島県南部・九州・山口県・高知県・愛媛県中予と南予のあちらこちらを歩いて探し回ったが、大番頭《おおばんと》はんたちとマァマとドナ姐《ねえ》はんはどこにもいなかった。
もうだめだ…
この時、私はギブアップしそうになった。
時は、夕方6時頃であった。
またところ変わって、竹原港の待合室にて…
待合室のイスに座って居る私は、日記を書いていた。
3月31日・曇り
私は、生まれてきた家を間違えたと思う。
どちらかと言えば、フツーの家庭の夫婦の子どもで生まれたかった…
生まれてきた時代もよくなかった…
私が成人になった頃は、第二次世界大戦下であった…
アジアとヨーロッパのあちらこちらが戦場になっていたので、安住の地と言える場所がなかった…
もちろん、楽しい思い出なんかあるわけない…
三田明さんが歌っていた『美しい十代』と言う歌があったが、私の十代は『ガマンガマンばかりの十代』であった。
なにが『美しい十代』だが…
『ジュリー』『キンチャン』『ショーケン』…などと言うてキャーキャーさわいでいた女の子たち…
学生運動で青春をおうかした大学生たち…
………
あれ見ただけでもはらがたつワ…
『それだったら、しあわせになろうとは思わないのか?』とまわりの大人が言うけど、私はしあわせになりたいと言う気持ちがない…
ふざけるな!!
なにが楽しい青春時代だ!!
なにが『美しい十代』だ!!
ふざけるな!!
私の青春時代を返せ!!
子ども時代を返せ!!
ママの愛に満たされて過ごした幼児期を返せ!!
…………
(パタン…)
ノートを閉じた私は、全身をブルブルと震わせながら怒り狂った。
許さない…
私の人生を根こそぎ奪ったセヴァスチャンじいさんは…
絶対に許さない!!