大河ドラマ・乳房星(たらちねぼし)

【ギター流し】

話は、【月のエレジー】で私が延岡市に着いた1981年8月3日頃から始まる。

時は、夕方6時半頃であった。

またところ変わって、国鉄延岡駅のすぐ近くにあるごはん屋にて…

57歳8ヶ月だった私は、白ごはんとみそ汁とそうざいのとんかつと冷ややっこときんぴらごぼうでばんごはんを食べていた。

店内に置かれている18型のナショナルクイントリックス(カラーテレビ)の画面に宮崎放送が映っていた。

番組は『JNNニューススコープ』に替わった。

中村八大先生が作曲したテーマ音楽が流れたあと、男性アナウンサーがきょう1日の全国ニュースを伝えた。

ばんごはんを食べている私は、今夜のねどこを探すこととあしたのめしのことで頭がいっぱいだからきょう1日のニュースはどうでもよかった。

いえ、それよりも大番頭《おおばんと》はんたちを大急ぎで見つけないと…

イワマツの財産書に記載されている財産一式と技能技工の資格と修士博士号の位と国防系の大学・大学院で得た統合幕僚長などの最高位の資格などは、大番頭《おおばんと》はんたち連帯見守り人たちの預かりになっていた。

あれがないと仕事ができない…

単独では仕事を進めることができない…

どうすればいいのだ…

…………………………

時は、夜10時過ぎであった。

またところ変わって、延岡市幸町《しないさいわいまち》の酒場街にある焼き鳥屋にて…

カウンターの席に座っている私は、焼き鳥を肴《さかな》にホッピーをのんでいた。

テーブルの上に中ジョッキのホッピーと焼き鳥と山かけがならんでいた。

(ガラガラガラガラガラガラガラガラガラガラ…)

この時であった。

店の戸がひらく音が聞こえた。

「こんばんわ〜」

この時、ギターを持っている流しのニイチャンが店に入った。

流しのニイチャンは、私が座っている席にやって来たあと『一曲どうですか?』と言うた。

私は『おまかせいたします〜』と答えた。

流しのニイチャンは『ギター流しはいかがですか?』と言うた。

私は『はい、お願いします。』と答えた。

流しのニイチャンは、ギターを弾きながら春日八郎さんの歌で『ギター流し』を歌った。

ひと通り歌を聴いた私は、財布の中から五百円札1枚を取り出したあと流しのニイチャンに渡した。

その後、私は食べかけの山かけを食べた。

……………………

(ブロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ…)

日付が変わって、8月4日の深夜3時10分頃であった。

私は、長距離トラックのベッドスペースで寝ていた。

トラックのカーラジオのスピーカーから大分放送ラジオが流れていた。

この時間は『いすゞ歌うベッドライト』が放送されていた。

この時、リスナーさんからのリクエストで春日八郎さんの歌『ギター流し』がかかった。

延岡市内の焼き鳥に来た流しのニイチャンがギターを弾きながら歌っていた歌であった。

…………………

この時間、トラックは大分県内の国道10号線を走行していた。

私は、今から2時間ほど前に延岡市内の国道10号線沿いにあるドライブインで長距離トラックをヒッチハイクした。

『大分方面へ行くので乗せてください。』とたのんだあと、トラックに乗って旅に出た。

今から4時間ほど前のことであった。

私は、延岡市内の焼き鳥でクリーム色のトレンチコートを着た黒のサングラスの男と会った。

サングラスの男は、私に対して『お前の大好きなママの居場所が分かったぞ…ヒントは…西条…1945年8・6…』と言うた。

西条…

1945年8・6…

あっ、

思い出した。

あの日はたしか…

広島に…

ものすごい破壊力を伴ったあの爆弾がおとされた日だ…

西条…

…と言えば…

東広島市…

東広島市の西条だ…

東広島市の西条とあの日に…

どんな関係があると言うのだ…

…………………………
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