大河ドラマ・乳房星(たらちねぼし)
【嵐の素顔】
時は、10月2日の午前11時頃であった。
またところ変わって、広島市中区の紙屋町交差点にて…
よしのから太兵衛《たべえ》が広島に投下されたピカ(原子爆弾)でひばくしたことを聞いた私は、ほんとうかどうかを確認するためにやって来た。
私は通りを歩いている人たちに対して太兵衛《たべえ》のことをたずねたが、の、通りを歩いている人たちに太兵衛《たべえ》のことをたずねてみた。
人々は『知らない』『そのじいさんはだれ?』…と言い返した。
その当時のことを知っている地元のみなさまにも太兵衛《たべえ》のことをたずねたが、かえって来た答えは『そんな人は知らない〜』であった。
この日の調査は、午後2時前に終了した。
……………………
(ジャーン!!ジャーン!!ジャーン!!ジャーン!!…ジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャン!!ワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワー!!)
時は、午後3時頃であった。
またところ変わって、広島競輪場にて…
場内に鐘《ジャン》と観客たちの歓声が響いた。
同時に、9人の選手たちが乗っている自転車が猛スピードでバンクを走っていた。
………………………
またところ変わって、競輪場の正面玄関前の広場にて…
広場には出店のテントがたくさん並んでいた。
ショルダーバックを持っている私は、テント沿いの通路を歩いていた。
私は、質屋さんのテントにいる60〜70代くらいのおっちゃんに声をかけた。
「おっちゃん〜」
「ヘイいらっしゃい〜…手持ちがなくなったの?」
「ちがうのだよ…オレ、ひとをさがしているのだよ…」
「ひとをさがしている?」
「うん…渕崎太兵衛《ふちざきたべえ》さんを探しているのだよ〜」
「ああ、太兵衛《たべえ》さんのことなら知ってるよ〜」
「ほんとうですか!?」
「ああ。」
「オレ、興信所の人から太兵衛《たべえ》さんを探してくれとたのまれたのだよ〜」
「興信所?」
「ああ…太兵衛《たべえ》さんが行方不明になったのだよ…ご家族のみなさまがすごく心配しているのだよ…太兵衛《たべえ》さんは昭和20年8月6日にピカ(原子爆弾)の被害を受けた…と言うことをご家族の方から聞いたんだよ〜」
おっちゃんは、あきれた声で『はっ?』と言うた。
私は、おっちゃんに対して太兵衛《たべえ》がピカ(原子爆弾)の被害を受けたことを重ねて伝えた。
おっちゃんは、コンワクした声で『さあ、知らないな〜』と言うた。
私は、おっちゃんに対してこう言うた。
「おっちゃん、おっちゃんはどこで終戦をむかえたの?」
「おっちゃんはその時、九州のチランにいたよ。」
「チラン…たしか、特攻隊の基地があったところだね。」
「そうだよ。」
「おっちゃんも特攻機に乗る予定だったの?」
「ああ…8月16日に特攻機に乗る予定だったよ…だけど、命拾いしたよ。」
「そうですか…太兵衛《たべえ》さんも、チランにいたのですね。」
「いたよ…太兵衛《たべえ》は、宿舎のゲソク番で入っていたよ。」
「ゲソク番?」
「ああ…だけど、来て2日目に脱走した。」
「脱走した?」
「ああ。」
「その後は?」
「外国へ逃げるためにミッコウしたよ。」
「ミッコウした?」
「ああ。」
「知っているのはそれだけ?」
「それだけだよ。」
「そうですか…分かりました。」
………………………
時は、夜7時半頃であった。
またところ変わって、宇品港のすぐ近くにある公園にて…
公園のベンチの上に、極東地域の地図がひらいた状態で置かれていた。
私は、万年筆を使って地図上に書き込みをしながらつぶやいた。
チランの基地から脱走した太兵衛《たべえ》は、どうやって外国へ逃亡するつもりだったのか…
貨物列車に乗り込んで青森まで行ったあと、青函連絡船に乗って北海道へ渡った…
函館からマオカ(ホルムスク)経由でエストルに行ったあと、その足で国境線へ向かった…
……………………
それはないか…
昭和12年頃に大女優さんと脚本家による越境事件があったので、現地が緊迫していたのでダメ…
…か…
……………………
北陸地方の港から極東ロシアへ向かう旅客船があった…
だけど…
どうやって乗り込むのだ…
中国人になりすまして乗り込む…
それは考えられない…
太兵衛《たべえ》の性格ではむりか…
…………………
まてよ…
北陸地方の港に極東ロシアから来た貨物船が停泊していたと思う…
太兵衛《たべえ》は、貨物船に乗ってミッコウしたかもしれない…
急がなきゃ!!
(ブロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ…)
日付が変わって、10月3日の深夜3時頃であった。
私は、ヒッチハイクした長距離トラックに乗って再び旅に出た。
トラックは、国道2〜1〜161〜8号線を通って北陸方面へ向かった。
北陸地方に行けばなにか分かるかもしれない…
急がなきゃ…
……………………
またところ変わって、広島市中区の紙屋町交差点にて…
よしのから太兵衛《たべえ》が広島に投下されたピカ(原子爆弾)でひばくしたことを聞いた私は、ほんとうかどうかを確認するためにやって来た。
私は通りを歩いている人たちに対して太兵衛《たべえ》のことをたずねたが、の、通りを歩いている人たちに太兵衛《たべえ》のことをたずねてみた。
人々は『知らない』『そのじいさんはだれ?』…と言い返した。
その当時のことを知っている地元のみなさまにも太兵衛《たべえ》のことをたずねたが、かえって来た答えは『そんな人は知らない〜』であった。
この日の調査は、午後2時前に終了した。
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(ジャーン!!ジャーン!!ジャーン!!ジャーン!!…ジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャン!!ワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワーワー!!)
時は、午後3時頃であった。
またところ変わって、広島競輪場にて…
場内に鐘《ジャン》と観客たちの歓声が響いた。
同時に、9人の選手たちが乗っている自転車が猛スピードでバンクを走っていた。
………………………
またところ変わって、競輪場の正面玄関前の広場にて…
広場には出店のテントがたくさん並んでいた。
ショルダーバックを持っている私は、テント沿いの通路を歩いていた。
私は、質屋さんのテントにいる60〜70代くらいのおっちゃんに声をかけた。
「おっちゃん〜」
「ヘイいらっしゃい〜…手持ちがなくなったの?」
「ちがうのだよ…オレ、ひとをさがしているのだよ…」
「ひとをさがしている?」
「うん…渕崎太兵衛《ふちざきたべえ》さんを探しているのだよ〜」
「ああ、太兵衛《たべえ》さんのことなら知ってるよ〜」
「ほんとうですか!?」
「ああ。」
「オレ、興信所の人から太兵衛《たべえ》さんを探してくれとたのまれたのだよ〜」
「興信所?」
「ああ…太兵衛《たべえ》さんが行方不明になったのだよ…ご家族のみなさまがすごく心配しているのだよ…太兵衛《たべえ》さんは昭和20年8月6日にピカ(原子爆弾)の被害を受けた…と言うことをご家族の方から聞いたんだよ〜」
おっちゃんは、あきれた声で『はっ?』と言うた。
私は、おっちゃんに対して太兵衛《たべえ》がピカ(原子爆弾)の被害を受けたことを重ねて伝えた。
おっちゃんは、コンワクした声で『さあ、知らないな〜』と言うた。
私は、おっちゃんに対してこう言うた。
「おっちゃん、おっちゃんはどこで終戦をむかえたの?」
「おっちゃんはその時、九州のチランにいたよ。」
「チラン…たしか、特攻隊の基地があったところだね。」
「そうだよ。」
「おっちゃんも特攻機に乗る予定だったの?」
「ああ…8月16日に特攻機に乗る予定だったよ…だけど、命拾いしたよ。」
「そうですか…太兵衛《たべえ》さんも、チランにいたのですね。」
「いたよ…太兵衛《たべえ》は、宿舎のゲソク番で入っていたよ。」
「ゲソク番?」
「ああ…だけど、来て2日目に脱走した。」
「脱走した?」
「ああ。」
「その後は?」
「外国へ逃げるためにミッコウしたよ。」
「ミッコウした?」
「ああ。」
「知っているのはそれだけ?」
「それだけだよ。」
「そうですか…分かりました。」
………………………
時は、夜7時半頃であった。
またところ変わって、宇品港のすぐ近くにある公園にて…
公園のベンチの上に、極東地域の地図がひらいた状態で置かれていた。
私は、万年筆を使って地図上に書き込みをしながらつぶやいた。
チランの基地から脱走した太兵衛《たべえ》は、どうやって外国へ逃亡するつもりだったのか…
貨物列車に乗り込んで青森まで行ったあと、青函連絡船に乗って北海道へ渡った…
函館からマオカ(ホルムスク)経由でエストルに行ったあと、その足で国境線へ向かった…
……………………
それはないか…
昭和12年頃に大女優さんと脚本家による越境事件があったので、現地が緊迫していたのでダメ…
…か…
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北陸地方の港から極東ロシアへ向かう旅客船があった…
だけど…
どうやって乗り込むのだ…
中国人になりすまして乗り込む…
それは考えられない…
太兵衛《たべえ》の性格ではむりか…
…………………
まてよ…
北陸地方の港に極東ロシアから来た貨物船が停泊していたと思う…
太兵衛《たべえ》は、貨物船に乗ってミッコウしたかもしれない…
急がなきゃ!!
(ブロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ…)
日付が変わって、10月3日の深夜3時頃であった。
私は、ヒッチハイクした長距離トラックに乗って再び旅に出た。
トラックは、国道2〜1〜161〜8号線を通って北陸方面へ向かった。
北陸地方に行けばなにか分かるかもしれない…
急がなきゃ…
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