大河ドラマ・乳房星(たらちねぼし)

【知覧の母】

それからまた4日後のことであった。

私・イワマツは、4日間に渡って九州鹿児島に滞在していた。

4日の間、私は鹿児島県薩摩地方《さつまちほう》のあちらこちらにある観光名所《めいしょ》を回って過ごした。

話は、3月26日の午前10時過ぎであった。

ショルダーバックを持ってあちらこちらを歩き回っていた私は、知覧町《ちらん》の中心部にある平和記念公園にいた。

知覧町《ちらん》は、第二次世界大戦《さきのたいせん》の時に特攻隊の前線基地があった。

私は、公園内にある特攻隊資料館《しりょうかん》に行った。

またところ変わって、館内にて…

館内には、特攻隊に関する資料がたくさん展示されていた。

私は、何も言わずに展示されている資料をじっと見つめていた。

1945年4月7日に戦艦大和が九州の坊の岬沖で米軍の戦闘機による奇襲を受けて撃沈した事象があったことを最初に思い出した。

知覧特攻隊《とっこうたい》は、その以前(戦艦大和が撃沈するまでの間を言う)から知覧町《このまち》にあった。

とくに知覧特攻隊《とっこうたい》の活動がより活発になったのは、1945年4月1日…沖縄戦が始まったあたりからであった。

終戦の日の8月15日まで、戦闘機による特攻が続いた。

戦闘機に乗っていたパイロットたちは、私・イワマツと同い年または年齢が近い世代の若者たちばかりだった。

………………………

だまって展示資料を見つめていた私は、悲しげな表情でつぶやいた。

私・イワマツと同い年または年齢が近い若者たちは…

ほんとうは…

戦闘機に乗りたくなかった…

しかし、上官《うえ》が『戦闘機に乗れ』と言うたので仕方なく乗るしかなかった…

戦闘機に無理やり乗せられた若者たちが心底から望んでいたのは、平和的な方法で解決することであった…

それなのに…

まわりの大人たちには、若者たちの声をヨウシャなくかき消した…

『欲しがりません勝つまでは…』

第二次世界大戦《さきのたいせん》の時に日本国内であの言葉が繰り返して唱えられた。

第二次世界大戦下《せんじか》の日本人たちが言うた『欲しがりません勝つまでは』と言う意味は…

一体なんだろうか…

…………………………
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