大河ドラマ・乳房星(たらちねぼし)
第87話・わかれうた
【わかれうた】
(ピーッ、ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)
時は、夜7時半頃であった。
この時間、私は国鉄芸備線《げいびせん》の各駅停車《どんこう》に乗っていた。
私は、ショルダーバックをひざの上にのせた状態で席に座っていた。
座席に座っていた私は、ウォークマンで歌を聴いていた。
イヤホンから中島みゆきさんの全曲集に収録されている歌がたくさん流れていた。
『おもいで河』『かもめはかもめ』『あばよ』『悪女』『ひとり上手』『すずめ』『春なのに』…
そして『わかれうた』…
イヤホンから流れていた歌は、つらい歌・悲しい歌ばかりであった。
この世に生まれてから60年のあいだ、イワマツを作るプロジェクトを始める準備がメインの日々で通してきた。
同い年の子たちとまったく違う生き方で通したので、いい思い出なんかまったくなかった。
私はこのまま…
生涯独身で、人生を終えるしかないのか…
…………………………
列車が広島駅に到着したのは、夜9時5分頃であった。
…………………………
時は、夜10時過ぎであった。
またところ変わって、広島市南区的場町《しないまとばちょう》にある居酒屋の店内にて…
カウンターの上に酒王千福《せんぷく》(日本酒)の冷酒が入っているステンドグラスの徳利《とくり》とおちょことお造り(刺し身)が置かれていた。
カウンターに座っていた私は、つかれた表情を浮かべながら酒をのみながらつぶやいた。
この先…
私はどうすればいいのだ…
このまま大番頭《おおばんと》はんたちとマァマとドナ姐《ねえ》はんが見つからなかったら…
イワマツを作るプロジェクトを…
始めることができない…
……………………………
この時、私は2年前(1981年)の夏の日のことを思い出した。
あの日はたしか、アメリカの大学院に在籍していた時にお世話になった日本人の男性教授《きょうじゅ》の親類の家へ行った。
あれ思い出しただけでも…
いらつくわ…
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時は、夜7時半頃であった。
この時間、私は国鉄芸備線《げいびせん》の各駅停車《どんこう》に乗っていた。
私は、ショルダーバックをひざの上にのせた状態で席に座っていた。
座席に座っていた私は、ウォークマンで歌を聴いていた。
イヤホンから中島みゆきさんの全曲集に収録されている歌がたくさん流れていた。
『おもいで河』『かもめはかもめ』『あばよ』『悪女』『ひとり上手』『すずめ』『春なのに』…
そして『わかれうた』…
イヤホンから流れていた歌は、つらい歌・悲しい歌ばかりであった。
この世に生まれてから60年のあいだ、イワマツを作るプロジェクトを始める準備がメインの日々で通してきた。
同い年の子たちとまったく違う生き方で通したので、いい思い出なんかまったくなかった。
私はこのまま…
生涯独身で、人生を終えるしかないのか…
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列車が広島駅に到着したのは、夜9時5分頃であった。
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時は、夜10時過ぎであった。
またところ変わって、広島市南区的場町《しないまとばちょう》にある居酒屋の店内にて…
カウンターの上に酒王千福《せんぷく》(日本酒)の冷酒が入っているステンドグラスの徳利《とくり》とおちょことお造り(刺し身)が置かれていた。
カウンターに座っていた私は、つかれた表情を浮かべながら酒をのみながらつぶやいた。
この先…
私はどうすればいいのだ…
このまま大番頭《おおばんと》はんたちとマァマとドナ姐《ねえ》はんが見つからなかったら…
イワマツを作るプロジェクトを…
始めることができない…
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この時、私は2年前(1981年)の夏の日のことを思い出した。
あの日はたしか、アメリカの大学院に在籍していた時にお世話になった日本人の男性教授《きょうじゅ》の親類の家へ行った。
あれ思い出しただけでも…
いらつくわ…
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