大河ドラマ・乳房星(たらちねぼし)

【おもいで酒】

時は、午後3時頃であった。

またところ変わって、国鉄高松駅のプラットホームにて…

私は、引田行《ひけたゆ》きの各駅停車《どんこう》に乗って再び旅に出る予定であった。

ほたるさんは、駅弁(幕の内)3食分と500ミリリットル缶のサントリーCANビール2本とニッスイのちくわ一袋とブルボン羽衣あられと雪印6Pチーズが入っているキオスクのレジ袋を私に渡しながら言うた。

「これ、今夜と明日の食べる分よ。」
「ありがとうございます。」
「よーくん、きちんとごはんを食べるのよ。」
「うん、分かった。」

…………………………

(ピーッ、ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)

午後3時半頃であった。

私が乗り込んだ各駅停車《どんこう》が高松駅のプラットホームから出発した。

ほたるさんは、ひと言も言わずに私が乗っている列車を静かに見送った。

……………………………

時は、高松駅を出発してから80分後であった。

列車が三本松駅(香川県東かがわ市)に到着した。

この時、三本松駅から徳島寄りへ500メートル先の地点にある信号機が故障したトラブルが発生したので列車の運行が休止になった。

私は、列車から降りたあと代替バスに乗らずに歩いて旅に出た。

それからまた80分後に三本松駅から南へ1キロ離れた地点でヒッチハイクした長距離トラックに乗って旅に出た。

トラックは、夜8時50分頃に坂東駅(徳島県)に到着した。

ショルダーバックを持ってトラックから降りた私は、県道池田鳴門線《むやかいどう》を歩いて池ノ谷駅まで行った。

池ノ谷駅に到着したのは、深夜11時20分頃だった。

……………………………

日付が変わって、9月23日の深夜0時30分頃であった。

またところ変わって、国道11号線沿いの余木崎《よぎさき》の県境付近にあるラブホの一室にて…

部屋の中に、三永《みえ》さんがいた。

白のブラウスと赤のロングスカート姿の三永《みえ》さんは、ベッドに座っていた。

それから数分後であった。

浴室にいた津乃峰《つのみね》が白のバスタオルを腰に巻きつけた状態で部屋に入った。

津乃峰《つのみね》は、ベッドに座っていた三永《みえ》さんに声をかけた。

「三永《みえ》。」
「なあに?」
「オレに話したいことがあると言うた…よね。」
「うん。」
「それは何なのだ?」

三永《みえ》さんは、津乃峰《つのみね》に対してこう言うた。

「あるわよ…その前に…少しだけ時間をちょうだい。」
「時間?」
「うん…あんたもその前に…時間がほしいよね。」
「ああ。」

津乃峰《つのみね》は、三永《みえ》さんに対してこう言うたあとベッドに寝転んだ。

津乃峰《つのみね》は、ベッドに寝転んだ三永《みえ》さんの身体に抱きついたあと三永《みえ》さんが着ていた衣服を脱がした。

……………………………

さて、その頃であった。

またところ変わって、国鉄池ノ谷駅の待合室にて…

テーブルの上にノートと万年筆とカシオの卓上電卓が置かれていた。

私は、万年筆を使ってレシートに記載されている内容をノートに書き込んでいた。

(カチカチカチカチカチカチカチカチ…)

レシートに記載されている内容を書き込んだあと、電卓のボタンをたたいて金額を計算した。

合計金額が出たあと、ノートに9月22日の支出総額を記入した。

昨日の支出総額の計算を終えたあと、私はショルダーバックの中から1981〜1983年の3年手帳とメモパッドを取り出した。

その後、ノートと卓上電卓をショルダーバックに収納した。

つづいて、私はメモパッドに記載されている内容を手帳に転記する作業を始めた。

…………………………

時は、深夜3時40分頃であった。

テーブルの上に、ソニーのケータイラジオと500ミリリットルのサントリーCANビールとブルボン羽衣あられとニッスイのちくわと駅弁(幕の内弁当)が並んでいた。

ラジオのスピーカーから四国放送ラジオで放送されている『いすゞ歌うヘッドライト』が流れていた。

私は、ニッスイのちくわを食べたあと缶ビールをのんだ。

ラジオのスピーカーから留守電リクエストのコーナーが流れていた。

リスナーさんからの留守電のメッセージのあと、小林幸子さんの歌で『おもいで酒』がかかった。

歌を聴いていた私は、1942年の4月か5月頃にアメリカ西海岸のハイスクールに行った時のことを思い出した。

この日、私は最後のレポート提出日であった。

最後のレポートを学校に提出した私は、急ぎ足で大学へ向かおうとしていた。

この時、ハイスクールで12年生(高3)と11年生(高2)の生徒たちが参加している(学校行事である)ダンスパーティーがひらかれていたのを見た。

私は、レポート提出のみの生徒だったのでダンスパーティーに参加できなかった。

私は、ダンスパーティーで一緒に踊っている男女《せいと》たちを見た時にものすごく悲しい気持ちになった。

ハイスクールのダンスパーティーで一緒に踊った男女《ふたり》が生涯のパートナーになったと言う話は知っていた。

激多忙な暮らしを送っていた私は、周りから『恋愛厳禁』と厳命されていたのでできなかった。

ハイスクールのみんなは、自然に恋をしているのに…

私だけができなかった…

不公平だ…

不公平だ!!

…………………………

歌を聴いている私は、泣きながら缶ビールをのんだ。

このあとも、『泣き歌』『ふられ歌』がたくさん流れた。

……………………………

(ブロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ…ボーッ、ボーッ、ボーッ、ボーッ、ボーッ、ボーッ…)

時は、朝7時半頃であった。

ショルダーバックを持って再び旅に出た私は、ヒッチハイクした長距離トラックと鳴門と淡路島を結ぶフェリー・甲子園フェリー(今は廃止になっている)を乗り継いで関西方面へ向かった。

大番頭《おおばんと》はんたちとマァマとドナ姐《ねえ》はんを早く見つけなきゃ…

一日も早く放浪《このたび》を終わらせよう…

こんなフラフラした暮らしはもうイヤだ…

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