桜花彩麗伝
第五章 移ろい

第二十五話


 春蘭の住まう桜花殿へ、王は暇さえあれば顔を出すほど頻繁に訪れていた。
 帆珠の嫉妬を誘う策略が不要となっても、王自らの意思でそうしているという事実に、春蘭は戸惑い呆れながらも満更でもないという心持ちであった。

 劇的に何かが変わったわけではない。むしろ、殿内では以前と同じようにそれぞれが思い思いに過ごしているだけだ。
 それでも、同じ空間にいることが心地よい。互いの存在に安心感を覚えている。
 自然と少しずつ近づいていくような距離感が、何だかとてもちょうどよかった。

 ────茶の支度を終えた芙蓉は、ふたりを残し下がった。
 仲睦まじいその様子に唇を噛む。

「…………」

 最高位の側室である“貴妃”に任命された春蘭は、その事実からも明白であるように、惜しみない寵愛(ちょうあい)を受け、着実に力をつけ始めていた。

 最初こそ彼女の入内(じゅだい)冊封(さくほう)に異を唱える(おみ)も少なくなかったが、いまとなっては取り入ろうとあらゆる絢爛(けんらん)な贈りものを進呈(しんてい)してくる始末である。もっとも、春蘭はどれひとつとして受け取ることはないが。

 いずれにしても勢いづいた貴妃に勝る者はおらず、後宮では一強の存在となっていた。
 栄華(えいが)も名声も寵愛も、女としての幸福も何もかもを手にした春蘭を間近で目の当たりにしてきた芙蓉は、知らず知らずのうちに憮然(ぶぜん)(しゃく)(さわ)る思いを募らせていた。

 生まれながらに恵まれている彼女が、これ以上何を望むと言うのであろう。
 同齢で友のように長いこと一緒に過ごしてきた。立場のちがいを突きつけられるたび、胸の内に蔓延る惨めさに見て見ぬふりをしてきたのだと気づかされる。
 どれほど憧れようと、彼女のようには決してなれない。

 ……それでも。春蘭に成り代わり、後宮妃として束の間過ごしたあのときの享楽(きょうらく)が忘れられない。
 煌びやかな生活を送る選民(せんみん)に奉仕するだけの“その他大勢”で終わる人生に、もはや満足できるわけがなかった。

 賜死(しし)した太后は、元は一介(いっかい)の女官であったと聞いた。
 己に力がなければ、周囲の()を借ればよいだけのこと────。

(わたしだってやれる)

 春蘭とはちがう。彼女にはなれない。
 だからこそ、春蘭にはできないやり方で成り上がってやる。
 すべての宮女にとってそんな夢のある場が、この“後宮”にほかならない。

 賢く狡猾(こうかつ)に立ち回り、今度は本物の妃となってみせる。
 何を恐れることもなく、使えるものは余さず利用してやる。
 野心を(たぎ)らせる芙蓉は、人知れずとある一策を講じ、うっすらと口角を上げるのであった。
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