桜花彩麗伝

 王を射止めたことで、芙蓉の立場は安泰であると高を括っていた。
 いまに御子(みこ)を宿せば、後宮は向かうところ敵なしの芙蓉の天下となるはずであった。
 王妃の座に最も近いのは、自分にほかならないと信じていた。

 しかし、昼間のたったあれだけで、満ちていた自信が揺らいだ。
 いまも本当は、王が春蘭を想っているとしたら────。

「……っ」

 王だけが頼りであったのに、はじめからあてにできない存在であったということになる。
 寄る瀬のない芙蓉には到底、春蘭に対抗できるだけの力も能もない。
 後宮妃を三すくみの状態に持ち込んだのが自分である以上、春蘭を追い落とすべく帆珠と手を組むことも現実的ではなかった。

 このままではまずい。
 王の心を完全に塗り替えるか、春蘭を消さなければ、芙蓉に先はないであろう。

 ────蒼白な険相(けんそう)思索(しさく)(ふけ)ると、一世一代の賭けともいえる謀計(ぼうけい)を練り出す。
 (たもと)に隠していた小瓶を取り出し、その中身を少量、目の前の器に混ぜ込んだ。

「あの、それは……?」

「この小瓶を密かに桜花殿内へ隠してきて」

 訝しむ女官には答えず、それを差し出しながら芙蓉は淡々と命ずる。
 箸を手に取り、一瞬の躊躇ののちに覚悟を決めると、器の料理を口に運んだ。



     ◇



「何ですって? 芙蓉が倒れた……!?」

「ええ、そのようです。どうやら食事に毒を盛られたそうで、いまも意識が戻らないとか────」

 衝撃を受けたように思わず立ち上がった春蘭に、謹厳(きんげん)な面持ちで紫苑が頷いた。
 緊迫した空気をものともせず、櫂秦は呆れたような表情をする。

「ほーら、調子乗ってるからそうなるんだよ。ざまあねぇな」

「櫂秦」

 彼が芙蓉に対し、憮然(ぶぜん)と不平を募らせていたことは分かっているが、予断を許さないこの状況でいくら何でも不謹慎であろう。
 春蘭に咎められると、櫂秦は「ふん」とそっぽを向いて口を閉じた。

「だけど、いったい誰が毒を?」

「蕭帆珠ではありませんか? それ以外にめぼしい犯人候補もいませんし」

「確かに……。でも、同じようなことをして冷宮へ落とされたのに、懲りもせず繰り返すかしら」

 どことなく()せず、難しい表情で春蘭がそう言ったとき、不意に桜花殿の表が騒がしくなった。
 何事かと顔をもたげると、数人の兵たちが断りもなく飛び込んでくる。

「な、何だよ。おまえら」

 醸されるものものしい雰囲気に、櫂秦は眉根を寄せた。
 彼らは見たところ錦衣衛に属する兵のようである。
 春蘭に礼を尽くしつつも、懐疑(かいぎ)を滲ませたような鋭い双眸(そうぼう)を光らせていた。

「失礼します、鳳貴妃さま。こたびの才人さまがお倒れになった件で捜査に参りました」

「……それでどうして桜花殿(ここ)へ?」

「恐れながら、桜花殿の女官が怪しげな小瓶を持っているのを見たとの目撃情報により、殿内を捜索させていただきます」
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