桜花彩麗伝



 ────芙蓉の遺体は錦衣衛の兵らによって運び出された。
 既に地位を追われた罪人であるという扱いから、その後の処遇については伏せられ、春蘭の知るところではなくなった。
 しかし、恐らくはほかの罪人らと同じように(ほうむ)られることとなるであろう。その死をほかの誰に(いた)まれることもなく。

 桜花殿への帰路、悄然(しょうぜん)とする春蘭の足取りはひどく重かった。
 こらえきれずに涙をこぼしては悔恨(かいこん)するように空を仰ぐ姿を眺め、櫂秦はたまらず口を開く。

「……あいつ、裏切り(もん)だぞ。おまえが悲しむ必要なんかねぇだろ」

 力なく首を横に振った春蘭は頬を拭うが、そのうちにまた涙が伝った。

「わたしのせいなの。後宮になんて来ないであのまま鳳邸で暮らしてたら……きっと、こんなことにはならなかった」

 たとえば春蘭のもとを去る日が来たとしても、決してこのような永劫(えいごう)の別れなどではなかったはずである。
 妬み、(そね)み、(ひが)んで敵対するようなことは恐らくなかった。
 すべては己の過信(かしん)が招いたことである。彼女を正しく理解していると信じて疑わなかったせいで、一方が破滅するまで終着しない泥沼へ踏み込むこととなった。

「……栄華は時に、人を狂わせるものです。芙蓉はそれに目が(くら)み、己の欲望に溺れ、身を滅ぼしたに過ぎません」

 紫苑の言葉は冷淡なようで、真理を捉えていた。
 最後の最後に芙蓉が自死を選んだのは、己の所業を悔いたゆえの(あがな)いのつもりであったのか、はたまた、どうせ冷宮へ落とされては万策(ばんさく)尽きて絶望的であるゆえに諦めてのものであったのか、いずれにしても同じことである。
 動機がどうあれ、本心がどうあれ、事実は変わらない。
 行ったことの結果がただそこにあるだけであった。

『気持ちは分からないでもないが、覚えておけ。人の心は分からないものだ』

 彼の言葉を受け、いまになって朔弦の冷徹な忠告を思い出す。
 恐らくあの段階で、彼はこうなることを見据えていた。
 あのときはまるで耳を貸さず、理不尽な言いがかりであるとさえ思ったが、果たして彼の言う通りであった。

「…………」

 芙蓉亡きいま、その心は誰にも分からない。
 紫苑のように割り切れば、いくらか気が楽になるのかもしれない。
 しかし、思い直そうとしたところで自分に責任が一割もないとはやはり考えづらかった。
 春蘭はもう一度、心の内で「ごめんなさい」と唱え、落ちた涙を拭って目を伏せた。
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