桜花彩麗伝

 煌凌も帆珠も揃って息をのんだ。
 ほどなく帆珠は眉根に力を込める。

 最後の希望を掴もうと手を伸ばすことすら、許してくれないのだろうか。
 なんと強欲(ごうよく)厚顔無恥(こうがんむち)な女なのだろう、と頭に血が上る。
 初恋の少女という王にとって特別な存在に彼女が成り代わる必要などない。いま以上に何を望み、その立場を奪おうとするのであろう。

「いい加減にして。あんたこそ嘘ついてんじゃないわよ!」

「嘘なんかじゃない。“約束の証”だってあるもの」

 驚いて春蘭を見つめた煌凌は、当時のことを回顧(かいこ)する。

『うけとってくれ。約束の証だ』

 かくして桜吹雪の中、少女に佩玉(はいぎょく)を渡したのである。再会を誓う代物として。
 そのことは自分と少女しか知らない。

「忘れないで。いくら固めても、嘘は嘘のまま事実にはなり得ないの。あなたの罪はわたしたちが必ず暴くわ」



 ────玉漣殿をあとにすると、煌凌はすぐさま春蘭を引き止めた。

「先ほどの話は誠なのか?」

 すなわち、春蘭こそが九年前の少女であると言ったことである。
 失意のどん底で孤独に泣いていた煌凌にとって、唯一の希望の光となってくれた彼女が、本当にいま目の前にいるのだろうか。

「……何のこと? さっきは適当に話を合わせただけよ」

 一拍の間を置き、春蘭は首を傾げて笑う。
 そんなはずはない。そう煌凌の口をつきかけたが、咄嗟に飲み込む。
 確信めいた予感に無理やり折り合いをつけたのは、春蘭が認めない限り、いくら信じたところで自分の願望でしかないと気づいたからだ。
 不思議と花香(はなか)が漂う。夢か(うつつ)か、咲いているはずがないのに花びらが舞っていた。



     ◇



 ふたりが退殿した玉漣殿へ、妹の容態を案じた航季が訪れた。

「大丈夫か? おまえも子も無事でよかった。父上もいまこちらへ向かっているぞ」

「……兄上」

 唸るように低い声で呼んだ帆珠は、憎悪(ぞうお)に満ちた眼差しで顔をもたげる。
 握り締めたてのひらに爪が食い込み、血が滲んだ。

「あの女を殺して」

「……え?」

「目障りなあの女よ! 刺客(しかく)でも何でも送って、いますぐ息の根を止めて!」

 髪を振り乱し、顔を歪めながら喚いた。
 “あの女”が誰を指すのかを悟った航季は、しかし困ったように眉を寄せる。

「待て。落ち着け、帆珠。相手は後宮妃……宮中で剣を向けるのは無理だ」

「だったら、毒よ。あの女の食事に毒を盛るよう手配して!」

 もし命まで奪うことができずとも、御子(みこ)が流れるのは免れないであろう。
 とことん絶望へと追い込み、不幸を味わわせてから(あや)めるのでも遅くはない。

「帆珠……」

 過去に同様の企てを仕損じ、冷宮へ落とされる羽目になったことを思い返した航季は不安を滲ませた。
 あのときは堕胎薬(だたいやく)であったが、こたびは明確に春蘭の命を狙わんとする毒薬とあらば、二度目というのこともあり、露見(ろけん)した折には確実に冷宮送りなどでは済まない。
 しかし、既に帆珠の激情は手のつけようがないほどに燃え(さか)っては(たぎ)っていた。

「……絶対に許さない」
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