桜花彩麗伝

「彼が生前話していたことが引っかかっているのです。それを、どうしてもお伝えしたくて……」

 (いわ)く、友人であったその男は生前、ある貴族の令嬢との逢瀬(おうせ)とその目的について淵秀に話していた。
 父親の紹介で知り合ったということから、相手は蕭派の娘であろうと淵秀は推測していた。
 なんと恐れ知らずなことを、と驚いたが、男はむしろ満更(まんざら)でもなさそうであった。

 淵秀は相手が誰であるのかまでは聞いていなかったが、帆珠の懐妊(かいにん)と時期が重なること、報酬(加えて口止め料)として大金を受け取っていたこと、さらにはそのあと男が不可解な死を遂げたことから、まさかと思いつつも疑念を抱いた。
 莫大(ばくだい)な報酬を約束された時点で、蕭派の中でもかなりの家柄であることが窺える。蕭家は妥当だ。

 また、煌凌と帆珠の床入(とこい)りがあったとされるその夜、煌凌は蕭派官吏との会食に出席していた。
 それも淵秀の父である文禪が誘ったと聞く。

「父は根っからの蕭派なので、既成事実を作ろうとしていた侍中や淑妃さまに協力した可能性は高いです。主上はお酒に酔われたわけではなく、父が薬を盛って眠らせたのかも……」

 煌凌にとって完璧に腑に落ちる話であった。
 あの夜は勧められたこともあり確かに酒を(たしな)んだが、酔い潰れるほど飲んだ覚えはない。
 文禪が睡眠薬などを用いたせいで昏睡(こんすい)状態に陥ったのだと考える方がよほど現実的である。

「……すみません、大事なことをずっと黙っていて」

 秀眉(しゅうび)を下げた淵秀は頭を下げる。
 相手が相手なだけに不確かなことは言えず、何よりこれを明かせば父親を裏切るも同然であり、なかなか踏みきれないでいた。
 最終的に背を押してくれたのは、以前の春蘭の言葉であった。
 父の(たが)として、父にとっての良薬(りょうやく)として、己の役割を果たさなければと思った。
 たとえ文禪自身に不利益であっても、公正な淵秀自身の信念を(もっ)て誠実さと忠直(ちゅうちょく)さを貫いたのである。

公子(こうし)さまが謝られることでは……。正しいご判断だとわたしは思います」

「礼を言う。そなたのお陰で真実を証せそうだ」

 ふたりの言葉を受け、淵秀は甲斐(かい)があったことを実感したように表情の強張りを解いた。自身の判断を後悔せずに済みそうだ。
 再び顔をもたげた彼は言を紡ぐ。

「……実は、友人だった彼から報酬の銀子(ぎんす)を預かっておりました。いまは父に隠して屋敷に保管してあります」

 春蘭と煌凌は思わず目を見交わした。
 蕭家はどうやら動かぬ証拠を残していたようである。
 淵秀こそが、連中の悪辣(あくらつ)な罪の数々を暴く糸口となってくれそうだ。
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